『良書・紹介』 「漱石センセと私」=出久根達郎
出久根達郎著「漱石センセと私」(潮出版社:本体1500円)が6月20に出版された。このタイトルの『私』とはだれか。先入観からいえば、妻なのかな? と思いきや違っていた。
四国・松山にすむ「より江」なる尋常小学校一年生の少女が登場してくる。離れの2階に独身時代の夏目漱石、1階に正岡子規が下宿していた。夏目センセと呼び、子規におだてられて俳句を詠む。より江はこうした羨むべき文学環境の下で育った。
主人公は幼いより江「私」である。文豪の夏目漱石にたいする淡いラブ・ロマンスかな、と思いきや、センセが鏡子なる女性と早ばやと見合い結婚をしてしまう。この予想もちがっていた。
見合いの場のエピソードは、漱石像の一端を物語り、ユーモラスに描かれている。
夏目漱石が松山から熊本の五高へ転任になった。松山の少女は夏休みに入ると、祖父につれられて熊本にでむく。漱石の家に訪ね、新婚の鏡子夫人と対面する。
一般に、漱石の妻は自殺を図ったり、精神が不安定だったり、悪妻だと決めつけられている。しかし、作者は温かい目で、より江「私」からみた鏡子夫人を優しい良き女性として丹念に描いている。つまり、鏡子夫人は悪妻という通説をくつがえしている。
それが作者・出久根さんの狙いであり、作品の趣旨だろう。
より江の恋のスタートは、このときの熊本からだった。
熊本の旅館で、祖父が急病になった。少女はそのからみで、一高卒で帝国大学医学部に在学する「ドクトル猪之吉」なる久保猪之吉(いのきち)と知り合う。ふたりは人力車で熊本城見学をする。ごく自然に、西南戦争、明治熊本地震(明治22年7月29日)などの語りが出てくる。
ふたりの間で、松山と東京という遠距離交際がはじまり、やがて恋愛結婚へと成就する。お見合いが中心に座る時代に、なぜ長期に文通が続いたのか。それには理由があった。
猪之吉がかつて学んだ一高の国語恩師・落合直文が、国語辞典の編さんに取り組んでいた。それに協力する帝大生の猪之吉が、松山のよし江に、「日常生活のなかで、変わった言葉、妙な言葉、どういう意味だろう」と疑問に思ったことばの拾い集める役をたのむ。それに対する返信が都度もどってくる。
国語辞典の完成まで、ふたりの長い交際の源になる。なるほど、とおもう。と同時に、国語辞典をつくるプロセスが興味ぶかく読める。
『吾輩は猫である』のなかで、より江が雪江で登場するらしい。「もっとも顔は名前ほどではない」とセンセはあんまりであると記す。「ちょっと表に出て一二町あるけば、かならず逢える人相である」と作中で展開しているようだ。
小説家の妻とか、友人とかはモデルにされると、コケにされるから、要注意かもしれない。
より江は猪之吉への想いから、やがて東京への進学をめざす。
夏目センセの奥さま(鏡子夫人)はそれを知ると、二十社の「合格祈願」の朱印が捺された集印帳を送ってくれた。松山からは特産の竹細工を贈る。この交流のプロセスからも、鏡子夫人の日常生活や身辺が克明に描かれていく。
国語辞典が完成し、より江と久保猪之吉が3年ぶりで再開する。そして、求婚、結婚、初夜、出産と物語が展開されていく。医者の妻として良き人物に成長する、さわやかな内容である。
この間に、かつて母親の求婚者だった男性を探すシーンが出てくる。その手掛かりは松山の伊予絣(がすり)である。意外な結果だった。こうしたストーリーの味付けも、作品に求心力をもたらしている。
出久根さんは随所で、漱石作品を深く解説している。と同時に、数多くのエピソードも作中で展開する。二つばかり紹介すると、
熊本の丁髷(ちょんまげ)を結った古本屋が、懇意なる夏目漱石の書物の好みを教えない。それは権力者が思想調査をしているから、情報提供になってしまうからだという。
栗の木も素朴だが面白い。枕木になる、堅くて腐らないから舟の艪(ろ)の材料になる、栗飯ご飯はイガから炊き上がるまで手間がかかる、10人家族だと大変だ。現代では消えかけた知識が習得できる。
エピローグでは当時の文壇事情を解説しているので、幅広い知識が得られる。
『目次』を紹介しておくと、下記の通りである。
第1章 いっぷり
第2章 大人
第3章 ヨとヲ
第4章 求婚
第5章 いとしのより江ンジェル
エピローグ