第14回『元気100エッセイ教室』作品紹介
9月の教室では、「文章のうまいエッセイ」よりも、「味のある作品」を書こう、と強調した。「文章のうまい作品」とは全体に、そつなく、まとまっている。誤字、脱字もなく、文脈の乱れがない。文章を書きなれている。これらは意見を述べる作文、論文、事実を伝える記事などでは評価は高い。
エッセイは「味のある作品」が求められる。全体の文章がごつごつしていても、多少の文脈の乱れがあっても、文体が未完成でも、『光るところ』が必要だ。
「人間って、そういうところがあるよな」と共感と共鳴を覚えたり、「そんなことがあったの」と驚きとショックを感じたりする作品だ。散文となるエッセイ、小説では光るところがあれば、高い評価が得られる。
今月の提出作品は、素材は日常的でも、テーマを絞り込んだ、求心力の強いものが多くなった。他方で、受講者の素材の豊富さにはいつもながら感心させられた。世間ではあまり知られていない材料にも出会えた。
作品紹介は原文を尊重しながら、「光るところ」、心にとどまるところを抽出してみた。
ノンフィクション・9月学友会 北千住に・1人現れず
学友5人は毎回、各人のテリトリーである飲み屋、居酒屋などを紹介し、渡り歩いている。人間同士でも、飲み屋でも、初めての場所でも、新たな出会いや新発見は楽しいものだ。
暖簾(のれん)を潜った飲み屋が安価で美味しい。この学友会のテーマの追求に合致したならば、至上の幸せを感じるものだ。一ヶ所で飲む、という価値観も悪くないが、新発見を得るにはほど遠い。驚きとの出会いは、足で各地を動き回るほどに得られるものだ。ある意味で、酒飲みの口実かもしれないけれど。
今回は、元教授が約30年前から贔屓にする、東京・北千住の焼き鳥屋の『五味鳥』だった。マスコミの取材はいっさい応じず、その道の「ツウ」が好む店らしい。
元教授の場合は、飲み屋情報が狂うことはない。前評判に失望されられたことは一度もない。それだけに、今回は期待が高まった。「取材拒否の店」。それだけでも、胸が高鳴り、気持ちがワクワクする。
ヤマ屋がまたしても大チョンボをやらかした。
『9月27日。この日は元銀行屋がだいじょうぶだから、夕方五時、北千住の丸井・正面玄関に集合』という案内をCCで送った。
当日の同時間になっても、元銀行屋がただ一人現れなかった。
『五味鳥』は超人気店だから、もたもたすれば座る席がない。5人掛けのテーブルは一席しかないという。元教授の顔には焦りの表情があった。
「先にいって席をとっておく」
一人で五人分の席となると、気が引けるらしい。元教授は元蒲団屋を誘って駅裏の赤提灯街に消えた。
「いけない。おれは元銀行屋に電話をするのを忘れた」
ヤマ屋がこの場に及んでやっと気づいたのだ。
元銀行屋はケイタイをもたず、パソコンを持たず、CC連絡がつかない、現代のアウトサイダーだ。前日までに電話がなければ、元銀行屋はどこに行ったらよいのか、それが判らない。
集合時間になって気づくヤマ屋の無神経さ。すべてが手遅れだった。それでも、ヤマ屋が銀行屋の自宅に連絡した。細君が出てきた。
日本ペンクラブ・メールマガジン「P.E.N.」で、広報委員として記事担当
日本ペンクラブ・メルマガは10月号から、大幅に刷新し、新連載をスタート。10月1日にはその記事がアップされました。
1)新企画「ペンの素顔」・阿刀田高 新会長に聞く
2)『世界P.E.N.フォーラム「災害と文化」』の全容ほぼ固まる
3)10月6日 シンポジウム「女流文学者会の記録」
4)「電子文藝館」9月の新掲載作品
5)ぺんぺん草
穂高健一は広報委員として、①と②の記事を担当しています。③は次号のメルマガに、取材記事として書く予定です。今後も、一連の記事を書いていきます。
阿刀田高会長(右)、インタビュアーは高橋千劔破常務理事(左)。筆者は奥の席。
(撮影:鈴木康之・編集担当)
『ペンの素顔』シリーズは、記事を書く側としても楽しみです。日本ペンクラブはノーベル賞作家、著名な作家、ジャーナリスト、詩人の宝庫です。次はだれにインタビューするのか。それは広報委員会で決まります。
第13回『元気100エッセイ教室』作品紹介
エッセイ教室は、人生経験豊富な、いい素材を持つ受講生たちの集まりだ。さらには熱意に満ちている。講座はスタートしてから一年余りで、文章、文体の基礎を学んできた。
『何のために、エッセイを書くか』という点も、それぞれが会得してきた。このさき、公募エッセイで受賞作品を狙う。機関紙などに寄稿する。多くがエッセイストの道を進むだろう。
それには他と比べて秀でる、差をつけることだ。その技法を凝縮して一言で語れば、作品の求心力と遠心力の違いにある。
エッセイを求心力で書いた作品は読者がのめり込み、完成度の高い作品になる。
遠心力の作品はあれもこれも書き散らすために、作品に山場がなくなり、平板になる。分裂、冗漫、散漫な3悪の印象の薄い作品になってしまう。
教室のレクチャーでは、技法としての求心力と遠心力の二点について説明した。
今回の提出作品は16編である。良作が多い。一作ずつ紹介していく。
ノンフィクション・8月学友会 徳川幕府はペリー来航の50年前からアメリカと貿易していた なぜ学校教育で教えない?
学友会は1年以上が経つ。幹事はごく自然に持ち回りとなった。メンバー5人は『類は類を呼ぶ』で、揃いにそろって他力本願、かつ無責任な連中ばかり。なにごとにもツメが甘い。かならず陳腐な出来事が起こる。
「次回は大宮だ、いい居酒屋がある」と焼芋屋の鳴り物入りで決めていた。元蒲団屋が7月の開催日を勘違いし、出張を組み込んでしまったことから、仕切りなおし。8月9日17時、集合場所は大宮駅『みどりの窓口』となった。
幹事は旧岩槻市と旧与野市に住む2人、それに居酒屋を指定した元焼芋屋が加わった。学友会メンバーが5人なのに、幹事が3人というバランス自体にも問題があった。それが詰めの甘さになり、8月の集合すらも陳腐な展開となった。
「大宮駅構内はいま工事中で、『みどりの窓口』が移設している」と、元銀行屋がいち早く情報をキャッチした。ヤマ屋が連絡網で、ただ横流し、詳細の付加など一切なし。つまり、大宮駅に行けば、『みどりの窓口』なんて、簡単に判るさ、というていどの認識だった。
5人が時間通りにやってきた。しかし、大宮駅『みどりの窓口』周辺の3ヶ所で、ばらばらに待つありさま。冷房の効いた『みどりの窓口』のなかにいたのが元焼芋屋。ほかの者は暑さに霹靂(へきれき)して待っていたのだ。結果として、最後に現れたのが元焼芋屋で、「大宮で用が早く終わり、1時間前に来て、ずっと待っていたんだ」と、涼しい思いをしながら抜けぬけと恩着せがましくいう。
皆がそろったところで、東口繁華街の居酒屋『かしら屋』へ向かった。「人気店だから、夕方5時をあまり回ると、座る場所がないかもしれないぞ」と元焼芋屋が時間ロスの原因を棚に上げにした、焦りの口調でいう。この図々しさが学生時代からの持ち前だから、誰も腹を立てない。
小説講座の指導は、受講者の実践・実作のみでレベルアップを図る
目黒カルチャースクールで、『小説の書き方』の講師をしている。教室では、創作の実践指導のみで、受講生には、A4原稿用紙の升目を埋めてもらっている。あえてパソコンは使わない。原稿用紙に拘泥する。それはキーボードを叩けば、だらだらと文字が連なるからだ。
初期の段階では、「人物の登場のさせ方」を説明し、原稿用紙にむかってもらう。次の講座では主人公の性格、外観、生活などの書き方のポイントを述べる。そして、書き綴る。原稿用紙に向かう受講生には、鉛筆と消しゴムは使わせない。ボールペンだけで書き進む。
世のなかには小説を書きたい人は多くいると思う。実際に書き始めて挫折した人は数え切れないだろう。その理由の大半が、最初から読み直ししたり、手を入れたりするからだ。受講生にはそんな失敗をさせたくない。
「初稿だから、主人公の年齢も、名前も、家族構成も途中で変わってもいい。ストーリーも辻褄が合わなくてもいい。2稿の段階で手直しすればいいんだから。伏線も2稿で張ればいい」と、それを守ってもらい、先へ先へと書き進む。
各地にあるカルチャーセンター小説講座の多くは、提出された小説の批評、添削、それにレクチャーだと思う。私はどこまでも実践にこだわる。
第12回『元気100エッセイ教室』作品紹介
受講生にはつね日頃から、『隠したいこと』『言いにくいこと』『過去にしゃべったことのない失敗』などを書いて欲しい、といっている。自慢話は日経新聞の『社長の履歴書』に任せればよいのだから。もう一つ、孫の話は避けて欲しい、と。
最近、あることに気づいた。受講生どうしが酒席で、旧知のように語り合っているのだ。
提出するエッセイは本音で、自分の心を裸にし、恥部に触れるところまで書けるようになってきた。失敗談ほど、講師や仲間から高い批評を受ける。良い作品だと言われる。とりもなおさず、それは作品を通して、筆者の人間性を知ることになる。
もしも自慢話、鼻持ちならない話題、過去の出世物語などだったら、面白くない相手になってしまうはずだ。
相手の人間性を知れば、『胸襟を開いて語れる』、相手の考え方を知れば、『警戒心を取り払って語れる』という交友関係につながってくるようだ。
60歳過ぎて、相手の腹を探ることなく語れる。そこには新たな人間関係が生まれる。学生時代以来ではなかろうか。
今回の作品批評も、自分の恥部をさらけ出したり、心をのぞき見たり、諸々の失敗が盛りだくさん。読み手には興味深い作品ばかりだ。
花筏(はないかだ)・さきがけ文学賞・候補作品
※著作権付き小説。無断引用厳禁
娘の十三回忌を迎えた。寺の本堂に集まった参列者から、住職を待つ間、あれからもうそんなに経ったのね、早いものね、という話がごく自然にもちあがった。誘拐された10歳の娘が能登の山奥で殺された秋、新聞の大きな記事になっていたと、誰かれなしに語りはじめた。
親戚のものたちは遠慮がちながらも、事件を口にせずにはいられないらしい。
土岐(とき)駿一は殺された娘の梨香を想い、押し黙って聞いていた。かれの心のなかでは、事件は風化せず、きのうのことのように思えるのだった。殺される寸前、娘は雨の山中で泣き叫び、死に物狂いで抵抗したことだろう。梨香の悲痛な叫び声が未だに深夜ふいに耳もとで聞え、目覚めることもある。あの事件の記憶から決して逃げられない自分があった。
梨香の話題は長つづきせず、いつしか梨香とおなじ年のいとこの結納金へと話が移った。法要の席で、縁談の話題など場違いだと思うが、世間はそんなものだし、駿一はとがめる気など毛頭なかった。子どもを殺された怨念や心の奥深い痛みはそれに遭遇した実親でなければ、親戚筋でもわからないものらしい。
本堂の窓から雑木林越しにみる、能登の山並みが雲間の陽光を受け、緑の山肌を鮮明に浮かべていた。駿一は殺害現場となった山の方角を凝視し、梨香への想いを一段と強めた。
掌編・ノンフィクション 6月学友会『下町・立石の呑み屋は1人・一軒1500円、大満足』
東京・下町の立石にあるモツ煮屋『宇ち田』が、学友会のルーツ。ホームグランドでもある。数ヶ月ぶりに、五人がそこに戻ってきた。夕方5時に、京成立石駅が集合場所だった。
元焼芋屋が一時間もはやく到着していた。「おれが会議で遅れると、みんながツベコベいうからな。仕事よりも、学友会が優先だ、といって」
今回はどうも会議をすっぽ抜かしてきたようだ。立石駅に早く着いた元焼芋屋は、立石商店街など、界隈を一巡してきたという。
「良い街だ。かつて日本のどこで見られた町が、そのまま残っている」
かれはことさら賞賛する。
葛飾・立石の下町は、京成電車の線路をはさんで、左右に広がる。昭和30年代、40年代からの店舗が連なる。その数は半端でない。商店街の買物にはサンダル履きが似合う。独特の雰囲気がある街だと、元焼芋屋が語る。
元教授がそれを受けて、「明治時代から、きちんと躾(しつけ)られた『真の日本人』が少なくなり、絶滅の危機にある。いまや身勝手、独りよがりの人間ばかりだ。しかし、この立石・下町にくれば、本物の日本人に接することができる」と話す。
立石商店街の店主は、昔ながらの客との対面商売を堅持している。客が注文すれば、その場で揚げたて、煮立ての商品を作りだす。居酒屋の女将やおやじたちは、頑固で、ぶっきらぼう。「でも、根が曲がったことが嫌い。江戸っ子気質の日銭を稼ぐ以上の儲けを出そうと思わない。呑み屋に行けば、気骨のある『真の日本人』がまだ沢山いる町だ」と話す。
立石駅前は、下町の生活情感たっぷり
こんな会話の最中にも、現れないのがひとりいた。自宅から駅改札までは4分30秒の最も近距離に住むヤマ屋だ。