小説家

第23回 『元気100エッセイ教室』作品紹介

 エッセイの基本は『人間』を書くことである。中核に座るのが、人間の心を描くことである。
 人間の心の動きや異性への想いなどは、ことばでは明確に言い切れないものが多い。
「なぜ、そんなことをするのか」
 ことばでは言い表せず、根拠すら曖昧なものが多い。悶々とした感情、得体の知れない苦しさ、気まずい気持ち、もどかしい苛立ち、これら心の動きをいかに読者に伝えられるか。


 それには心理描写の書き方を学ぶことである。心理描写の書き方が上手くなればなるほど、良いエッセイが書ける。

 ビジネス文に慣れてきた人、記事を書きなれた人は、曖昧な表現を用いず、排除する習慣が身についている。散文のエッセイは、その逆である。曖昧な心をいかに曖昧なまま表現して伝えられるか。それよって真価を問われる。

【心理描写の書き方のコツ】

① 副詞を多めに使う。
「妙な」「なんとなく」「得体の知れない」「悶々とした」など
② 副詞の後には必ず、「なぜ、そう思うのか」「なぜ、そう感じるのか」という説明を添えること。そうすれば、散文の作品には深みが出る。
③ 疑問形を作中に入れる。疑問形で、自問してみる。読者に問いかけてみる。
この3点を中心に、例文をあげて説明した。

 今月の作品には、ユニークで面白いものや、「警察犬になれない」「くそばばあ」という奇異なタイトル、歳時記、展覧会の批評など、小さな体験のなかに世相を斬るものなどと、バラエティーだ。
 私自身は動物が好きではない。むしろ嫌いだが、講師の立場上、連載ものの動物歳時記を読む。いつしか動物愛に感心させられつつ、こちらまでも犬猫の名まえすらおぼえてしまった。
 こうした作品を一作ずつ、紹介して生きたい。

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日本ペンクラブ・役員の暑気払いに、取材で潜入してみたが?

 日本ペンクラブは、2010年に、国際ペン・東京大会が内定している。現在はロンドンの本部の正式決定を待っている。
 日本側としては大会の受け入れ態勢をどうするか。準備委員会をどう立ち上げるか。その下打合せが各委員長、副委員長のレベルでおこなわれている。それら予備の打合せのあと、東京・一ツ橋の如水会館のガーデンハウスで「暑気払い」がおこなわれた。

 私は広報委員として、特別に同席させてもらった。私的な飲み会だし、あらたまった取材できる雰囲気ではなかった。鈴木康之編集(広報委員・副委員長)と話すうち、「取材をやめて、穂高さんも飲みに徹したら」、といわれた。「そうしますか」
 
 私の右席は阿刀田高会長だった。バーベキューの区割りが境目となったので、左席の山崎隆芳さん(企画事業委員長)との話が弾んだ。山崎さんはかつて大手出版社の文藝関係の名編集長だ。ユニークな話が多かった。佐藤愛子のユーモア小説の話はとくに面白かった。

 ハワイアンが今日が誕生日の人に、歌をプレゼントしていた。吉岡忍さんは茶目っ気がある人だ。「穂高さん、きょうが誕生日だといいなよ。どうせ、身分証明書は求められないし」という乗りから、出て行って、歌を一曲貰った。
 ガーデンハウスの人が、みな誕生日だと、信じた。ちょっと乗り過ぎかな。吉岡さんはとくに愉快がっていた。作家の実像となると、こうした茶目っ気がたっぷりあるものだ。

 この日が本ものの誕生日の女性がいた。ワインを一杯プレゼントしたらといわれて、薦めにいった。どんな方々ですか、と女性から問われた。
 浅田次郎さんとか、何人かの人を教えたら、「ほんとうだ」とおどろいていた。だれもが普段の顔だから、居酒屋などにいっても、名の売れた作家でも目立たないものだ。

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第4作目はサスペンス。「神楽坂」で、取材

『TOKYO美人と、東京100ストーリー』は、現在は3作目で、ミステリー『心は翼』を掲載中である。写真モデルは森川詩子さん。少女誘拐事件の真犯人はだれか。容疑者が浮かびはじめ、事件解明の核心へと入ってきている。


 4作目のマドンナは、野中郁子さん(一級カラーリスト)で、神楽坂の料亭に入った若女将だ。ある日の、料亭の客がテロリストだった。そこからストーリーが展開される、サスペンスである。

 8月15日は月遅れのお盆のさなか。「神楽坂」にくわしい杉森正瑞さん(一級建築士、江戸文化史研究家)に会って、料亭や土地柄などの取材をおこなった。

 都内の料亭は全体的に、その人気に陰りが出ている。その理由は後継者がいない、遊びの形態が違ってきた、若者には高額などだという。神楽坂でも廃業、転業がつづいており、料亭はもはや6軒のみだった。一方で、新業態の明るい店が建ち並び、街には活気があった。

 杉森さんからは料亭の事情を聞く一方で、特徴ある石畳の兵庫横町など各路地を案内してもらった。細い路地に沿った黒塀の料亭には、風格と威厳と歴史が感じられた。
「泉鏡花は芸者を妻にした。そんなことから、神楽坂では人気が高い作家です」と教えてくれた。他にも、江戸時代の天狗党の話など、エピソードがずいぶん聞けた。これら取材は小説のリアリティーを高めるために、数多く、4作目の作中に織り込んでいく。

 小説を書きはじめたころ、『小説新潮』の編集長から「取材に基づかない小説は面白くない」という話を聞いた。いま現在も、それを常に肝に銘じている。
 4作目はサスペンスだけに、幅広い取材を行っていく。

一丁櫓(いっちょうろ)の感動

 私は、瀬戸内海の大崎上島(広島県)の出身である。父親が教員で、この島に赴任してきた。村上水軍(因島)の血筋を引く島娘と結ばれた。その子どもとして私は生まれ育った。
 高校時代までは島っ子だった。夏には全身が真っ黒に日焼けしていた。中学時代の黒んぼ大会で、トップになったことがある。小学校から最大の遊び道具が、一丁櫓の伝馬船だった。


 ジャーナリストとして取材中に、私事にふかく関わる話題が出ることがある。学校や出身地がおなじ、趣味が共通している、身内が近いところにいると、話題として提供したい衝動に駆り立てられる。だが、決して口に出さず、聞き手に徹する。それは長くモットーにしてきた。

  旅先で伝馬船の漕ぎ手をみるたびに、漕いでみたいな、と思う。住まいに近い江戸川の河岸・柴又にいくと、渡し舟の船頭が対岸の矢切(松戸市)にむけて、リズミカルに櫓を漕ぐ光景がある。『やってみたいな』と常づね考えていた。他方で、島を離れてから久しいし、一丁櫓はもう漕ぐことはないのだろう、という思いがあった。

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松本幸四郎さん、藤間紀子さんに、インタビュー=日本PEN・メルマガ 

 日本ペンクラブ・7月例会が14日、東京會舘(東京・千代田区)で、開催された。今回の講演は、2月の世界フォーラム『災害と文化』で、活躍した神田松鯉(しょうり)さんの講談だった。三遊亭円朝作『怪談・乳房榎(えのき)』だった。

 ふだん講談は生で聞く機会がないだけに、興味深いものがあった。講談師はドスの利いた声、高温、低音と領域が広い。じっくり見ていると、顔の表情が実に変化に富んでいた。

 講談師の語ることだから、真贋は定かでないが、現在、全国に落語家は500人くらい、(東京・350人、上方・150人)、浪曲は200人くらい。講談師は東京で47人いるという。

「これは、どこかで聞いたことがある人数」と神田松鯉が語る。四十七士の赤穂浪士の数と同じ。「実に不思議な縁、こんな少ない人数の商売はめずらしい」という。都道府県が47だから、知事の数とおなじだともいう。

 講談のあと、新入会員が紹介された。神田松鯉さんも、今回が正式な入会だった。愛川欽也さん、松本幸四郎さん、妻の藤間紀子さんなど10人が壇上で、それぞれ紹介された。代表して挨拶に立ったのが、松本幸四郎だった。

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ノンフィクション・『いい加減な会』に、北から農夫が来たる

 今回の『いい加減な会』は、6月21日夕方5時、京成立石駅だ。このところ、昭和の街で脚光を浴びる町だが、同会が「学友会」としてスタートした、ルーツの街だ。こんかいは札幌市から、約30年ぶりに、学友の農夫がやってきた。新しい刺激があった。


 一方で、元銀行屋が上司にうまく嘘がつけず、業務に磔(はりつけ)になり、今回は欠席だ、という情報が入っていた。前回において、それぞれ『細君同伴』という提案・意見があった。元焼き芋屋が過去の恥部をばらされるといい、うまく成立しなかった。

 唯一、ヤマ屋のみが妻と同伴で、京成立石駅の改札口にやってきた。約束時間よりも10分まえだった。遅刻常習犯のヤマ屋にしたら、過去にはあり得ないことだ。真面目な女房に尻をたたかれた、ヤマ屋がしぶしぶ時間前に応じたらしい。
 改札ふきんには誰もいなかった。
「早く着くと、待ち人は現れずか、やたら待たされるか、どちらかだ。これが俺のジンクスだ」
 ヤマ屋がつぶやいた。
「日にちを間違ったんじゃないの? 一人もいないだなんて。ほかの人は真面目だから、定刻前に来ているはずよ」
 妻の不信の視線が、ヤマ屋に突き刺さった。
「そんなはずはない。きょう21日だ」
 ヤマ屋は首を傾げた。
「……、もう五分前よ。おかしいと思わない?」
 妻の顔から、夫への不信の表情が消えなかった。
「こんかいの幹事は元教授だ。変更があれば、かれから連絡がしてくるはずだ。奴が連絡を忘れたのかな?」
「きっとあなたに落ち度があるのよ」
 妻はそう決め付けた。彼女はすべてにわたってヤマ屋を信用していない態度だった。過去からの亭主の失態をしゃべらせたら、CD-ROMなみにデータが豊富で、緻密だ。

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第22回 『元気100エッセイ教室』作品紹介

 私的なことだが、小説を書きはじめたころ、『小説作法』関連の書物はずいぶん数多く読んだものだ。どの本も出てくるのが、決まって「テーマ」についてだった。

(テーマとは、実際にどういうものなのか?)
 それが理解できなかった。いろいろ考えてみた。テーマとはこんなものかな、という模索がつづいた。明快な答えがいつまでもつかめなかった。まわりの小説仲間にも、テーマってなあに? と真剣に質問したものだ。そんな状態が数年つづいた。


『テーマとは作品を一言で、言い表すもの』
 と理解できたのはずいぶん先のことだった。
(テーマを言い表すことばが、短かければ短いほど、求心力の強い作品が生まれる)
 それが解ったとき、長年のモヤモヤがすっと消えた。

『テーマが統一されていない作品』
 それは作者が何を言いたいのか、何を書きたかったのか、それが解らない作品になってしまう。長編の場合はとかくテーマから外れやすい。話があちらこちらに飛んでしまう。ならば、と一つの作品の執筆がはじまると、私は日々、目にする壁に「テーマ」を貼り付けておいた。
「外れたらだめだぞ、外れるなよ」
 と私自身に言い聞かせていた。

 エッセイは短文だ。ストーリーよりも、『テーマの絞込み』が重要だ。テーマ自体が作品の優劣に、大きく関わる。
 教室のレクチャーでは、演習の素材を提起し、全員に「テーマ」を発表してもらった。


 今回も、質の良いエッセイが数多く提出された。1作ずつ紹介してみたい。その前に、注釈をすれば、(こんな体験をしているのか、すごいな)
 と思ったり、ずいぶん参考になるな、教えられるな、と思った素材が多かった。

 読者は作品を読んで、新たな知識が得られたら、うれしいものだ。このエッセイ教室は経験豊富な作者の集まりだ。
 近頃は、全員の文章がずいぶん磨かれてきた。書きなれてきた。切口が良い。となると、必然的に読者の心に触れる作品が多くなる。率直に、そんな印象をもった。

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シンポジウムの二次会は、TVの顔ぶれ

 日本ペンクラブと(社)自由人権協会の共催で、08年6月13日、大手町サンケイプラザで、シンポジウムが行われた。タイトルは、言論がアブナイ!「伝えるべきことを伝える大切さ」だった。定員200名の会場が、数多くの報道陣を含め、満員だった。

 第1部は、鑑定医の崎濱盛三さんと、吉岡忍さん(日本ペンクラブ)の対談が行われた。

 崎濱さんは、奈良の少年(当時17歳)が放火し、継母と義弟、義妹が死亡した事件の鑑定を行った。裁判所から預かった少年供述調書をジャーナリストにみせた、刑法の秘密漏洩罪の疑いで逮捕された。起訴されている。不当逮捕だとして、日本ペンクラブは抗議声明を出している。(崎濱さんは裁判で争う)。

 つづいて、映画「靖国」の配給会社のアルゴ・ピクチャーズ代表・岡田裕さんである。新宿の映画館が上映を拒否したり、政治家が圧力をかけてきたりして、社会的にも、言論・表現の自由が問題になった。聞き手はおなじ、吉岡忍だった。

 第2部はパネルディスカッションで、テーマは「伝えることの大切さ」だった。パネリストは、第1部の3名のほかに、原寿雄さん(ジャーナリスト)、伊藤正志(毎日新聞社社会部副部長)が加わった。司会は山田健太さん(同クラブの言論表現委員長)だった。
 言論・表現の自由が、「自主規制」「自粛」の風潮の高まりで、脅かされている。「伝えることの大切さ」をあらためて問い、考える、というものだ。


 進行役は篠田博之さん(同副委員長)で、会場からの質問も、パネリストの手元に渡されていた。

 第1部、第2部とも、私は広報委員の記事担当として、日本ペンクラブ・会報、およびメルマガに書く役割を負う。これらを取材していた。

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第21回 『元気100エッセイ教室』作品紹介

 こんかいの冒頭の講義は『結末の書き方について』だった。作品の結末は最も重要なもので、作品の成否がここにある、といっても過言ではない。
 結末が弱いと、5分の4がどんなに素晴らしくても、失敗作とみなされる場合がある。成功作品といわれるものは、まちがいなく結末がぴたっと着地している。体操競技で着地が決まったように。


 展開がラストに近づくほど盛り上がり、最後の数行で頂点に達する。そして、「なるほど、作者はこれを言いたかったのか」という、テーマと結実する。それが読者の感動であり、良い読後感となる。

「上手な結末」の書き方について、技術的には5項目述べた。
 そのひとつが、『作品はやや多く書いておく。そして、どこか手前で、すぱっと切る。(トカゲの尻尾切りのように)』というものだ。そうすれば、読後に余韻が残る、と強調した。

 今回のレクチャーは「結末」だったが、作品紹介はこんかいも「書き出し」にこだわってみた。

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時代小説作家・早乙女貢さんのインタビュー記事

 私的な理由だが、亡き伯母の13回忌と、従弟の葬儀とかで、1週間に2度も、瀬戸内の大崎上島も帰省することになった。そんな経緯で、日本ペンクラブ・メルマガの【ペンの顔】の原稿が遅れてしまった。編集の広報委員会・鈴木副委員長にはやきもきさせてしまった。
 


 今回のインタビュー記事は、和服姿がトレードマークの早乙女貢さん(直木賞作家)だった。最も感心させられたことは、高齢だが、50年ほど医者にかかったことがないし、薬も飲んでいないという。悪いところは一つもない。すぐ寝れるし、痛いとか、痒いとかもないという。

「ふだんの仕事ではムリするけれど、仕事以外ではムリをしない。ムチャはしない。この習慣で、バランスが取れているのでしょうね」という。

 国際ペンの大会で、世界各国に出向いているので、エピソードは多い。前編と後編を分けることにした。阿刀田高会長からはじまった、同シリーズで、2回に分けるのははじめてだ。


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