第44回「元気に100」エッセイ教室
「44」は、私の実家(広島県の島)の電話番号だった。死に連動する「4」は日本人が最も嫌う。それが連続しているから、幼い頃はどうも好きになれなかった。
物書きになってからは、縁起など気にならなくなった。神仏に祈願することもなくなった。世の中でいう不幸は、物書きにとって良い素材になることもある。物事を逆転したり、斜めから覗いたりする習慣もついてきた。
44は米国人が好きな数字だと考えれば、良い気持ちになれる。「何ごとも、気持ちの持ちようだ」と思う。
今回のエッセイ教室では、「気持ち」にからむ心理描写の上手な書き方についてレクチャーした。
水準以上のエッセイ作品を創作するには、まず心理描写が赤裸々に書ける、という要素が必須になってくる。心理描写力はいかにして高められるか。
①一度はコンプレックを書いてみよう。
過去の生活から、「私はこんな醜さがあります」と事例を釣り上げる。
作者「私」には必ずや、いやらしさ、醜さ、厚かましさ、善くない気持ちなどがある。すべて善などあり得ない。それを隠さないで書いてみる。
②書きながら、こんな私をさらけ出すなんて、泣き出したいくらいだ、という気持ちになってしまう素材である。「恥ずかしくて、逃げ出したくて、つらい、実に苦しくて」そう思っても、書き切る。
③苦しみながらも、その心理を書き終えると、妙にすかっとした、喜びをおぼえるものだ。そうすると、物怖じしない筆者の勇気が生まれる。
④すべての人間は何かしら弱みやコンプレックスを持つ。読書は、それを書いてくれる作者がいると共感、感銘を呼び起こす。ときには読者が涙して読むような、感動作品が創りだせる。
「心理描写が上手になりたければ、過去の恥、生立ちからのコンプレックを書きない」と強調させてもらった。
津軽の富豪家の息子で育った、東京帝国大卒の太宰治すら、「人間失格」と自分の弱さをさらけ出し、脱皮している。
小説とエッセイは創作精神において強く共通するものがある。
写真:広島県・大久野島。私の育った大崎上島の隣に位置しています。