小説家

大荒れの日本ペンクラブ・総会、作家たちは歯に衣を着せず(上)

 第55回、日本ペンクラブ(阿刀田高会長)の総会が5月25日、東京・千代田区の東京會舘で開催された。議長には山田健太さん(専修大准教授)が指名された。

 日本ペンクラブ(P.E.N)定款の改定の討議に入った。高橋千劔破常務理事から、何年間も改定が延び延びになっていたと言い、その趣旨説明があった。
「重要な定款がながく改定もされず放置されていた、執行部の放漫ではないか」
 鋭い質問がさっそく出た。
「これまでの総会で出席者(委任状を含めて)3分の2の達せず、法的に改正できなかった。今回は会員1860人に対して、1266人の出席が得られた」
 という釈明で切り抜けた。わずか26人超で、参加者の賛成多数で可決した。
      
           厳しい追及を受ける日本ペンクラブの執行部
    
 2010年の決算報告に入ると、メディアでも報じられてきた、「簿外口座」に対して、鋭い質問が飛び交った。

 篠弘監事の監査報告の段階から、国際ペン東京大会で予算に対して、大幅な予算超過(約4000万円超)がある。それにもかかわらず、臨時総会もなく、理事会にもかけず実施したと、監事すらも容赦なく、批判側にまわっていた。

 簿外口座とは世間では通常、不正の温床である。内部けん制の体制ができていない、と篠監事が指摘する。
 ただし、公認会計士の特別調査で、簿外帳簿に関して不正はなかった、という報告書を本日受け取った、と付け加えた。吟味をする余裕はないままに、それを読み上げて紹介するだけである。


 監督官庁の外務省から体質改善の要請があったと、財務委員長が報告する。(注)

「P.E.Nは会員の会費から成り立っている、無駄金に対して、執行部の責任はどうなのか」
 会員が強い語調で迫った。

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大震災の名作にチャレンジしよう=第49回・元気100エッセイ教室

「東日本大震災」の烈震と大津波は、TV映像を通して、世界中の誰もが強烈な印象を受けました。自然災害に対する人間生活の脆さ。「これでもか、これでもか」と繰り返し報道され、観るほどに、心を痛めました。

 大都市・東京でも強震で、多くの都民が恐怖を覚え、帰宅難民となりました。その体験から、数多くの作品が生まれてきています。

 それらが私の手元に寄せられています。殆どが距離感がなく、作者の想いが空回りしています。恐怖の感情用語を声高に並べているに過ぎないものです。却って恐怖が響かず、伝わらずです。
 TVや新聞の報道と比べて、はるかに見劣りしています。

 今後、数年間においてプロ・アマを問わず、「東日本大震災」素材とした、エッセイ、小説の名作品が生まれることでしょう。


 今回は「名作が生み出せる可能性」について、レクチャーしました。

 映像には災害の迫力があり、新聞記事には掘下げがあります。文学の強みは何でしょうか。「災害時の人間を描く」、という強みです。

 大災害に対峙した「人間の何を書くのか」という、徹底した『テーマの絞込み』が大切です。と同時に、『距離感』です。


 大災害を体験したり、大事件に遭遇したり、身内の不慮の死に直面したり。そのまま状況を書くと、体験的にただ説明された、「距離感がない作品」になってしまいます。

 作者が対象(大災害)を客観的に捉え、突き放して、描写文で展開していけば、「距離感が取れた作品」となります。
「うまい文章だな、的確に言い当てているな」「上手に描いているな」「この作者にしか書けない表現(描写)だな」と高く評価されます。


 東日本大震災をどう描くべきでしょうか。大地震がきた瞬間は読み手に最も強いインパクトを与えることでしょう。
 どのように読み手を引き込むか。文章表現で、強い求心力を持たせるか。

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男と女の邪念こそ、生きる原点、長生きの秘訣=渡辺淳一

 日本文藝家協会の総会が5月17日、アルカディア市ヶ谷(私学会館)で行われた。夕刻6時から同会員や出版・放送関係者などの懇親会が開かれた。同会員である渡辺淳一さん(作家・医学博士)が、20分間のミニ講演を行った。


タイトルは「無題」でしたが、年老いても性に対する邪念が大切です、と強調された。講演内容を紹介します。

 男と女の側面でもある、邪念(じゃねん)は正直なものである。
 外科医として病院勤務をしていましたころ、病棟に、ある男性患者がいました。元小学校校長で、半身不随でした。
 女看護師が、「あの患者はいやらしくて嫌だ、先生(渡辺氏)、注意してください」と言われた。朝、脈をとるときは決まって手を握り返す。ベッド周りのことを行っていると、胸元を覗き込む、と訴えてきたのです。

「半身不随の患者だし、胸を見せてやっても、いいじゃないの」
 というと、私は批判されました。
 婦長ともども、策を練り、胸が覗けない制服姿で対応した。すると、その患者は2週間後には死んだ。
「胸を見せていれば、もっと長生きできたはず。見る執念が生きる原点だったと思う」


 女性も同様で、性の邪念がある。大腿骨を骨折した老婆がリハビリで、ハンサムな整体師をなにかと独り占めしていた。「ほかの患者さんもいるのだから」と注意しても、拘泥して指名する。
 イケメンに対する執念から、女性は1か月で完治し、退院して行きました。男にしろ女にしろ、知性よりも、邪念が大切。生きる原点だから、恥じることはまったくない、と渡辺さんは強調した。

 

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日本文藝家協会が公益法人になる=総会で発表

 日本文藝家協会の総会が、2011年5月17日、東京・アルカディア市谷(私学会館)で開催された。同協会は4月1日、公益法人として正式に認定されて登記した。

 「物を書く人(作家、詩人)は、書くこと自体が公益です。それ以外は不得意なもの。今後は、文芸講演会、文学トークイベント、文化庁主催セミナーの支援などの公益活動を活発にし、文化人、文藝愛好家にたいして信用度を増す活動をしたい」と篠弘理事長が述べた。

 寄付者に対しては、税制優遇があり、寄付控除がある。「協会が新設した義援金基金口座が、銀行ですぐにできた。これも公益法人となったメリットがすぐに出た、事例の一つです」

 東日本大震災では日本図書協会から協力を依頼された。同協会は支援の輪に加わり、書籍のコピーやデータ、朗読などの録音、録画データを送信できるようにした。
 本来ならば、それぞれ著者の許諾を必要とするが、入手困難と時期と地域にかぎり、一括して許諾できるものとした。

 青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、千葉県の会員は105人(全国の会員・2548人)。被災状況について問い合わせした。42人から返信があった。大小の被害を受けている。会費の二年間猶予など、今後は検討されていく。

 林真理子さんら3人が理事に加わった。

P.E.N.広報委員会の反省会、打上げ会、作家たちは美声を聴かせる

 「国際ペン東京大会」が2010年9月に開催された。会場は早稲田大学・京王プラザホテルなど。ノーベル賞作家、文学者たちの講演会、文学イベントが行われた。他方では国際会議として、諸外国から参列した文学者たちの代表者会議が行われた。

 ホスト役の日本ペンクラブは大会を成功裏に終わらせた。それには阿刀田高会長以下、各委員会・メンバーや会員が精力的に処してきた、という背景がある。

 同会員は、現役の作家、詩人、文筆業、大学教授など、大半がそれぞれ仕事を持って活動し、収入を得ている。
 国際ペン大会に向けて、仕事の一部、あるいは大半を棚上げし、全力投球してきた人も多い。同クラブはボランティア(会場までの交通費も自前)だから、収入減になる。それもいとわず国際文学活動のために尽くしてきた。

 私が所属する広報委員会(相澤与剛委員長)は会報委員会(清原康正委員長)と合同で、一年半、取り組んできた(担当役員:高橋千劔破)。
 
 大会前の広報活動は、報道各社への案内、会員への通知など、処すことが多かった。大開当日は、「日本ペンクラブの歩み」などの展示会、記者会見の対応、そして各セッションに出向き、「記録資料編纂」の取材を行ってきた。

 国際大会が終わっても、記録の整理、執筆などが続いてきた。半年後の現在、記録資料がゲラの段階まできた。
 一区切りついたところで、合同委員会の反省会と打ち上げ会が行われた。

 国際ペン東京大会は25年周期で、日本が受け持ってきた。となると、次回も25年後の可能性が高い。それが共通認識だった。
 この反省会が次回に生かされるにしても、25年後は誰も委員として残っていないかもしれない。個々人が良かった点と改善点を述べ、記録で残すことになった。

 反省会。とともに委員会メンバーの最後の顔合わせ会でもあった。日本ペンクラブ規定で、各委員の任期は2年間である(再選もある)。

 阿刀田会長は2期勤めたが、3期目を辞退している。新しい日本ペンクラブ会長は誰になるのか。
 初代が島崎藤村、正宗白鳥、志賀直哉、川端康成……、と著名作家が続いてきた。次期会長の選任には興味深いものもある。

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第48回・元気100エッセイ教室=マンネリの解消法

 人間は旧態依然とした状態を続けると、けん怠を覚えます。そして、惰性になります。エッセイや小説など文学の創作活動では、筆力が高まり、文章技術が身についてくると、マンネリズムが起こりやすくなります。

 創作の力量は右肩上がりの一本調子で、上達などしません。階段を上るように、一つ上がれば、水平状態になります。そのまま書き続けていれば、力量がふいに一段上がます。そして、その力量で水平状態になります。 

 この水平状態がくせ者です。

 エッセイ作品の素材がいつも日常的なものだと、マンネリズム現象に陥ります。毎回、同じ色合いの作品を書いていると、作品がいつしか平板になり、切れ味が悪く、単調な作品に仕上がってしまいます。上手にはまとめているが、作品に光った部分がなくなります。

 それを如何に打破し、超えていくか。

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【書評】中嶋いづる・作「石文は歌を残した」=東北の悲劇を描く

 東日本大震災はマグニチュード9.0で、地震、津波、原発事故とトリプルの大災害となった。規模と被害は想像を絶するもので、世界的にも震撼とさせるものだ。

 中嶋氏から、「25年ぶりに小説を書いてみました」と、「塵風」(西田書店、900円、2月1日発行)が送られてきた。彼は3、40代頃の小説の習作仲間である。(講談社・フエーマススクール「伊藤桂一教室」で、学んだ友)。
 早めに読みたいという気持ばかり。それが先送りになっていた。開いたのは大震災の後だった。

 
作品は西暦700年代(奈良、平安時代)の東北が舞台である。北に侵攻する大和朝廷に対して、青森、岩手、宮城の蝦夷が立ち向かう、敗者の歴史小説である。朝廷の武力に屈する蝦夷の民の悲しみがテーマとなっている。

 このたび、東北地方は大地震の途轍もない大災害に打ち負かされた。現代の悲惨・悲劇と、作品とどこかオーバーラップしながら読み進んだ。
 
 作者は、邪馬台国が九州説を採っている。その勢力が奈良盆地に拠点を移してきた。日本(ひのもと)と国名を決め、応神天皇を祖とする大和朝廷が誕生する。勢力争いで、奈良を追われた王権がやがて津軽へと亡命していく。

 当時の津軽・蝦夷は一つの国でなく、部族の集まりだった。文字の文明はなかった。粟、栃、山菜、きのこを採り、海では魚介類を捕り、山では熊や鹿を獲る。稗、粟、蕎麦などの雑穀農業が行われていた。

 津軽に亡命してきた王権は、漢字や数学の文化を持ち込み、地場産業だった・製鉄(タタラ)や、古くからの中国大陸や北海道の交易と結びついた。そして、国名を日本中央(ひのもと まなか)と称した。

 西暦789年、蝦夷の800人の騎兵が北上川支流の衣川で、4000人の朝廷軍を川に追い込む、という奇襲作戦で打ち勝った。溺死者は1036人(続日本書紀)。武将の名前はモレとアテルイだった。

 その勝利はつかの間だった。大和朝廷は律令制による中央集権政治を推し進めるために、決してあきらめず、執拗に北部・東北地方を攻めてきた。そこで、朝廷は坂上田村麻呂を中心として10万の大軍を差し向けてきた。当時の日本の総人口は600万人だから異様な人数である。

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第47回・元気100エッセイ教室=脳の活性化はここにあり

 数日前、私と同年代の方と喫茶していた。別段、医学的な話でなく、「年寄りは何歳からだろう」という内容だった。実年齢と脳細胞の若さとは正比例しない、という合意に達した。そして、同エッセイ教室に話題が及んだ。

「受講生は50代から80代の方だよ。もう5年を超えた。そういえば、長く続いているけど、この間、1人としてボケたな、と思った人はいないな」
 私は妙な感慨をもらした。
「高学歴の優秀な人がそろっているからじゃない?」
 知人がそういった。
「そうじゃないだろうな。過去に優秀な人でも、社会のトップにいた人でも、ボケる人はボケるけどな。なぜだろう?」
 私はちょっと首をかしげた。


「どんな指導をしているの?」
「簡単だよ。孫の話と、病気の話と、過去の自慢話はしない。この3つはうるさく言っている。特に自慢話が入ると、目線が高い、それじゃあ、誰も読みたくなくなる、とあからさまに指しているよ」

「それだよ。年取ったら、ごく自然に、過去の自慢か、病院や薬の話が中心じゃない。それが禁じ手だから、脳細胞は常に新しさを求めているんだよ」
「うまい分析をするな。たしかにそうだよ。月に一度、1200字のエッセイを書いて提出する。そのためには、今度は何を書こうかな、この素材が良いかな、どんなタイトルにするかな、と頭は休んでいられないからな」


 私はいま雑誌にミステリーの連載をしている。書けば、6000文字。それまでは常に次号はどう展開するかな、犯人との絡みはどうするかな、伏線はどう張るかな、と頭のなかは試行錯誤して、休む間もない。

 脳細胞は刺激を与えれば、いつまでも若さと柔軟性を保てる。同教室の受講生はつねに作品のテーマ、構成、書き出し熟慮しないと、講師の厳しい採点についていけない。その実証の場でもある。と同時に、「自慢じゃないけれど、と言いながら過去の自慢をする人」と、休むまもなく脳を刺激する受講生と、この5年間の差は大きな、と思った。


30分間レクチャー 作品の創作・仕上げ方『三段階法』について

初稿(第1段階)は、エッセイ素材を決めたら、作者のスタイル(個性)で書く。最後まで書き切れば、出来ばえなど問題はありません。

『作者のスタイル(血液型)』

①全体の構図(ストーリー)をしっかり考えてから、書き出す。(A型)
①ばく然と全体のあら筋をつかんでから、書き出す(AB型)
②メモ程度に断片を書いてから、全体をつなげていく(O型)
③思うまま、筆任せで、書いていく(B型)

2稿(第2段階)として、書き上げた作品は読み直し、全体を整える

①構成を組み替える。最も重要なもの(力点)は結末近くに持っていく。
②力点は、前段階で伏線を加筆する。
③テーマの統一を図る。テーマに無関係な描写や説明は外していく。
④タイトルを見直す。結末との整合性も行う。

3稿(第3段階)が作品の精度を高める。

①数日間は作品を寝させる。
②冗長なところは削除し、回りくどい表現は短くする(刈り込む)。植木の職人の気質で。
③一字一句のチェック、修飾、類語など置き換えなどで、仕上げる。
④最後は大きな声を出して読み上げる。ちょっとでも、読み停まれば、それは文章に難があるところです。

僕を知らないの? 日本人で、あんただけだよ

 日本ペンクラブの2月度・例会が2月15日、東京・千代田区の東京會舘・ロイヤルルームで開催された。阿刀田高会長が冒頭において、「今年初めての例会です。旧正月でもあり、おめでとうございます」と新年の挨拶を行った。「国際ペン大会が終わり、やや気の抜けた気分もありますが、新たなペン活動のために推し進みましょう」と述べられた。
 
 乾杯の音頭は中西進副会長だった。
 司会の高梁千劔破(ちはや)常務理事から、「今年は定款の改正があります。2/3の出席(委任状を含めて)が必須です」と、春の総会の参加を呼びかけていた。

 新ペンクラブ会員が壇上で紹介された。外国人が2人いた。1人は欧米系の女性。もうひとりはアフリカ人男性だった。


 その後、パーティーに移り、広報委員会のメンバーがあれこれ談笑していた。アフリカ人のオスマンユーラ・サンコンさんがやってきた。私はふだんTVニュースのみで、娯楽番組を観ていない。作家仲間からは「芸能音痴」で通っている。

「何、やっている人なの?」
 私がサンコンさんに訊いた。
「日本人は1億2千数百万人いるよ。知らないのはあなただけだよ」
 彼は呆れ顔で、白い歯を出して笑っていた。
 となりにいた鈴木康之さん(副委員長)が、「穂高さんはほんとうに芸能音痴だね、TVバラエティー番組で、一世を風靡(ふうび)していたタレントだよ」と教えてくれた。

 サンコウさんに文筆活動を問うと、日本の自然、家族、そして素晴らしい日本文化をアフリカに紹介している、と説明していた。ただ旧来の家族良さが消えかけている、とつけ加えた。

 現在は、タレント稼業よりもギニア大使館に勤務している。
「何等書記官なの?」
「一等書記官だよ。大使とふたりで日本にきたからね」
「だったら、一等書記官兼飯炊きだね」
「そういうことよね」
 彼は大笑いして打ち解けていた。

「胸のバッチは?」
 私が指すと、
「2年前に、『東久邇宮 文化褒賞』を受けたんだよ」
 彼はギニアの緑化運動、学校づくりに7年間に尽くしてきた。それが評価されたものだという。
 この表彰式で、明治初年に撮影された第1回の功績叙勲者たちの集合写真を貰ったという。

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第46回・元気100エッセイ教室=文章の若返り

 文章にも老齢化がある

 文章には呼吸とリズムがあります。それが句読点(くとうてん)です。
 句点(。)は平均して45文字ていどが、最も読みやすく、読者の理解をスムーズに運んでいきます。

 
句点が少なく、センテンスが長くなると、主語と述語の関係が乱れてきます。一つのセンテンスのなかに、意味が2つも、3つも、ひどいときは5つぐらい入り込みます。そうなると、作者は一体なにを言っているのか、と解らなくなります。必然的に読むのが嫌になります。


 読点(、)は文脈を考え、わかりやすい文章にさせるものです。読点(、)は平均的に15字前後が最も読みやすい文章のようです。


 年配者ほど句読点(くとうてん)が少なくなる傾向があります。それは文章の老齢化です。読者側は、一読で文意がつかめず、もう一度読み直す。そのくり返しが多くなると、そのうち読むのが嫌になり、途中で放棄してしまいます。


 とくに読点の打ち方は大切です。名作の情景文は、句読点が短いものが多いようです。それは若さと文体(個性)を作ることにつながります。

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