1月10日、浅草・雷門のまえで、作家、文学者たち7人が集まった。ごく自然にできあがった、ネーミングのない文学グループである。それぞれが日本ペンクラブ・広報委員会、会報委員会の有志である。
歴史散策、そして日没後は居酒屋で文学を語り合うという仲間となった。
2011年の真夏、それも最も暑い盛りの8月、昭和の街・葛飾立石の散策がスタートだった。それで意気投合し、次なるは小江戸といわれる川越の歴史散策となった。それにつづく3回目である。
清原さん(同会報委員長、文芸評論家、歴史家)から、浅草の歴史関連資料が各人に速達でとどいた。清原著『歴史と文学の回路・上野・浅草界隈』『粋といなせが残る下町・浅草』の2点である。
こんかい歴史散策の日程は正月明けに決めたために、日取りにゆとりがなく、急だった。成人式を含む3連休で、郵便が滞るし、各人の手元に届かないことも憂慮し、清原さんが速達で配慮してくれたものだ。
集合した雷門で、清原さんからはコースガイドの地図が配布された。一瞥すると、仲見世、浅草寺、花川戸へとつづくルートが一本の線で記されていた。
浅草の界隈は、松尾芭蕉など江戸時代の文人に限らず、昭和までの著名な人たちの文学碑があるようだ。そのうえ、芝居、映画などの発祥地だけに、それらの碑もある、と口頭で説明された。
一段と興味が増してきた。
きょうは「神谷バー」はお休みだよ、と他方で、それら事前情報が伝えられた。多少の期待外れがあったようだ。
雷門から入って、浅草寺(せんそうじ)仲見世は、大みそか、元旦の初詣、それらの大混乱もすでに一段落し、平常のにぎわいに戻っていた。
宝蔵門の手間の右手から、脇道に入った。下町の町並みの風情が残っていた。東京スカイツリーも、軒先をはみ出し、大きく高く聳える。
最初の目的地、弁天山はこんもりした丘で、鐘楼がある。芭蕉の「花の雲鐘は上野か浅草か」で知られている、「時の鐘」があった。と同時に、芭蕉のほかにも、文学碑があった。
こんどは浅草寺の本堂に向かった。それぞれが参拝する。
この境内には、「半七塚」がある。ほかにも、映画関係者とか、歌舞伎関係者とかの碑がある。文学に関係する人たちにだけに、誰もが石碑の文面をていねいに読み取っていた。
この先、隅田川の方角に向かう。途中、モダンな学校の校舎があった。一見して、中学に思えた。近在の人に問えば、「浅草小学校」だという。児童たちはスクールバスで、遠くから通学していると話す。
おおかた大都会の過疎化で、区域外の児童の受け入れがなければ、運営ができないのだろう。そんな思慮を残してなおも進んだ。
履物問屋街の碑があった。一瞥しただけであった。さらなる先に、「姥が池」があった。立札の説明によると、むかしは隅田川に通じていた池だと記す。
名前の由来については、その昔、老婆と娘が旅人を連れ込んで、石で殴り殺す。悪事の果てに、娘が死に、老婆が池に身を投げた。そこから名前が付けられたと明記されていた。
一読ではわかりにくい寺名の、待乳山聖天(まつちやましょうてん)の境内に入った。ここは浅草七福神の一つで、毘沙門天を祀る。
夫婦和合や金運のご利益あるという。
新津さん(女性推理作家)が浅草神社で引いた、おみくじが『大吉』だった。この寺では『凶』だったとがっかりしていた。女性は占いが好きで、一喜一憂するものらしい。
同寺には築地塀(ついぢべい)があった。全長25間(45.5メートル)で、広重の錦絵にも絵ががれている。
さらに山谷堀(さんやぼり)公園に向かった。隅田川から吉原に通じる水路が公園の中にあった。他方で、近くの隅田公園内の「平成中村座」が目立つ。
井出さん(事務局次長)が概略を説明してくれた。
歌舞伎役者の18代目の中村勘三郎(初演時は五代目中村勘九郎)が中心となり、2000年11月に 仮設劇場を設営してもの。
「平成中村座」の外観は、江戸時代の芝居小屋である中村座を模している。中村屋の紋である「角切銀杏」が描かれている。ここでは、毎年公演があると説明する。
道々は古刹や碑のみならず゜、身近な話題も出でくる。
山名さん(会報委員、歴史女流作家)が、年初から埼玉新聞で歴史小説を連載する、という。喜ばしい話題だ。すでに、同紙で予告掲載されていると話す。
戦国時代に、明智光秀と戦った女性(埼玉出身)が主人公である。
「毎回、400字詰め原稿用紙・3枚半なの。連載回数は決まっていないけど……。130枚くらいにしたい」と見通しを語る。それは連載後の単行本を視野に入れた、ボリュームだと説明していた。
新津さんは、かつて「信濃毎日新聞」にミステリー小説を連載していた。毎回2.5枚だったと話す。新津さんはすべて挿絵がイラストだったと語る。
「ストーリーを早め、イラストライターに早く渡さないといけないから、大変だった」と打ち明けていた。
山名さんは写真で行くという。戦国時代だけに、古戦場跡などが掲載されるのだろう。
私はミステリー小説『海は燃える』(現在・第12回の入稿ずみ)で、一貫して写真で押し通している。
「犯人の密室のやり取りなどは、写真で表現できず、苦労していますよ」と披露した。
このように、3人で連載小説の創作に対する苦労話の一端を語り合った。
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