小説家

正月から読もう、出久根達郎著『人生の達人』=楽しんで学べる偉人伝

 正月はTV一辺倒でなく、読みやすい本、手軽な、そしてためになる本を読んでみたいものだ。出久根達郎著『人生の達人』=いい「大人」のための人物伝(中公新書ラクレ440 700円+税)がお勧めである。

 歴史に名を残した人物には、独特の処世術がある。偉業や成功には裏話があるし、失敗の教訓などは大人の人生のためになる、と出久根達郎さん(直木賞作家)は、そう述べている。渋沢栄一、泉鏡花、後藤新平と、どこから読んでも、人生に役立てられる、と推す。

 勝海舟の町歩きでは、「町を歩け。何事なく見覚えておけ、いつか必ず用がある……」と紹介している。鉄砲に撃たれて落馬し、命拾いしたエピソードなども組み込まれている。

 若槻禮次郎は2度、内閣総理大臣に任命されている。若槻は家が貧しくて、中学校も出ていない。上京して司法省法学校を受けたが、「法律が専門の司法省はひねくれているから、論語でなく、孟子を出すに違いない」と山を張って、それを猛勉強したが外れてしまう。総理になる前、陪審法(現代も復活)に大反対をして、国会で草稿なしで4時間の反対演説をした。この記録は現在でも破られていないようだ。日米開戦での御前会議では、戦争反対を唱えた。東条英機が業を煮やしたという。

 大妻コタカは大妻女子大の創設者である。現在の学校案内には「地価日本一の学校」とあるが、コタカは「学校経営を衣食の道としない」と誓った人物だったという。この落差に、出久根さんは目をつけている。

 取り上げられた人物には、一人ひとりに人間ドラマがある。小説の流れのように、次々に読めていく。さすが直木賞作家の筆の力だ。
 登場人物を美化もしていない。人生訓、教訓の押し付けになっていない。人物がしっかり吟味されている。一人ひとりの偉人を吟味しているのだから、短時間で書けない。7年間の連載を一冊の本にしたものである。

 出久根さんは読売新聞の「人生相談」も行っている。当然ながら、相談内容は多岐にわたり、結婚や家庭生活、子どものしつけなどもある。偉人の伝記にも、そうした目線で書かれている内容もあり、興味深い本である。

 筆者が「あとがきにかえて」で、伝記を読む基準は、エピソードが豊富か否かだという。エピソードが多い人物は、癖があって、交際範囲が広い。いろいろな分野の人と交流している。伝記の妙は、人と人のつながりである、と出久根さんは述べている。
 正月から楽しめる良書である。
 
 

第64回・元気に100エッセイ教室=豊かな表現力

 人はなぜ時間をかけてエッセイや小説を読むのでしょうか。テレビや映画を観ている方がフリーで楽なはずなのに。
 その一つに、読み手は自由に、自分好みの作品を選べるからです。文字から得た内容が、私たちの頭にある脳細胞のスクリーンに描けるし、人物の心理までも読み取れるからです。
  
 エッセイや小説などを読めば、読者は楽しんだり、感動したり、涙したり、情感豊かに心を刺激してくれる。さらには長く記憶にとどまるからです。

 ただ、文章や単語がぶっきら棒すぎると、映像化が難しくなります。文章が説明調になると、なおさらイメージが浮かびにくくなります。強いては読み手の負担になり、読んでいる途中で嫌になります。

 エッセイや小説を創作する人は、読み手の脳裏スクリーンを意識した書き方が重要です。それには豊かな表現力を身につけることです。
 
   ・ 駅から男がやってきた。

   ・ 港から船が出航する。


 どんな駅かどんな男かもわからない。ひとまず新宿駅を描いてみる。
 どんな港か、客船船か貨物船か、それすらもわからない。読者なりに横浜港あたりを頭脳スクリーンにイメージしてみる。
 それがまったく違っていた場合はどうなるでしょうか。


   ・ 奥多摩の無人駅から、登山姿の40男がやってきた。

   ・ 夜が明けた入江の漁港から、釣り客を乗せた船が出航する。  


 読者は脳裏スクリーの描き直しになります。これがくり返されると、義理で読む場合を除いて、作品は途中で放棄されてしまいます。
(ミステリー小説の場合は、意図的に豊かな描写を避けることがあります)

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美人ストリッパー(作家)と文学談義で盛り上がる=スカイツリーで裸身を

 日本ペンクラブ主催「ペンの日」のパーティー会場で、作家・高橋克典さん(日本作家クラブ専任理事)から、ふたりの女性を紹介された。高橋さんが主幹する同人誌『ZOWV・ゾワヴ』のメンバーである。私は前々から、「同人の在日の金子京花さん、もう一人は牧瀬茜さん。2人の作品の講評をしてあげてほしい、将来性がある人だから」と高橋さんから言われていた。
 同パーティー会場で、初顔合わせだった。

 牧瀬茜さんの名刺には、『表現者・ストリッパー・作家』と表記されていた。ペンネームは「時羽七知」である。元ストリッパーなのかな、と思った。現役で、とても売れっ子で、追っかけがいる。この道ではとても有名だと、金子さんが教えてくれた。

 私の受講生だった純文学作家を目指す女性が、ストリッパーを取材し、それを作品化していた。それを思い出し、話題にしてみた。
『売れない二〇代の女性ストリッパーが、ヒモの男性と暮らす。舞台でぺちゃな乳房を侮られても、生きていくためには、劇場の便所掃除婦へと落ちていく。座長の人間性もよく書けていた』と私は説明した。

 その作品を読んだときには、すごい取材をするものだな、と感心させられた。ある文学賞の選考の上位まで行っている。
「狭い世界ですから、誰に取材したか、それがわかれば、顔はわかります」と牧瀬さんが話していた。

 PENのパーティーが終われば、決まって二次会だ。高橋さんとは出版の用件があるので、小中さんグルーブのメンバーとともに、東京會舘に近い居酒屋に行った。
 牧瀬さんを中心に盛り上がった。彼女は「ストリッパーに誇りを持っています」と堂々と話す。父親がTVの放送作家だった。元NHK・小中さんは番組名から、わかったようだ。

 彼女がこの道に入った動機を話す。路上でアクセサリーを売っていたある日、ストリッパーの人が買ってくれた。劇場に観に行くと、気持ちよく、美しく脱いでいた。これは私に似合った職業だと一瞬にしてひらめいたという。

 日本中の劇場で、ストリップで表現する、職業の魅力を語る。彼女には自信と誇りが満ち溢れている。私がイメージしていた暗さ、引け目など、みじんもない。からだで芸術を語る。すごい価値観だと感慨を覚えた。
 

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ドナルド・キーン講演「90歳で日本に帰化・うれしい」=ペンの日

 11月26日、東京・千代田区の東京會舘で、「ペンの日」が開催された。1935年11月26日に、国際ペンの組織の下に、島崎藤村が初代会長として創立された。毎年、この日を創立記念日「ペンの日」として祝っている。会場には、全国から会員や来賓者が多く集まった。

 PENが発足当時の日本は、満州事変、国際連盟を脱退し、国際的にも孤立していく、暗い時代だった。さらには日中戦争、太平洋戦争へと突き進んでいく。
 と同時に、治安維持法などで、多くの作家が言論弾圧を受けた。それでも、『言論の自由』『戦争反対』の二つを柱とする日本ペンクラブが存続してきたのだ。

 なぜ戦後まで存続できたのか、と私はいつも不思議に思う。最も早くにつぶされてもよい団体なのに。そこに文学精神の強靭さがあるからだろう。

 国際ペン(本部・ロンドン)は、「獄中作家」の支援を行っている。21世紀でも、世界を見れば、ノーベル賞の受賞者でも、自宅軟禁とか、獄中の作家が今なおいる。信念を曲げず、体制に屈しない。つよいな、と思う。そういう作家が戦前、戦中にも日本にもいたから、日本ペンクラブが存続したことは間違いない。

「日本ペンは設立してから、77年が経ちます。喜寿の日です」
 浅田次郎・第16代会長があいさつした。77年間の先輩諸氏の作家たちを讃えていた。

 会場内には、篠笛が厳かに演奏された。そして、紹介されたのが、ドナルド・キーンさん(1922年生まれ)だ。20分ていどの講演が行われた。

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第6回・歴史散策・文学仲間たちと=御茶ノ水・神田

 日本ペンクラブの広報委員会、会報委員会の歴史作家、歴史好き作家、文学者の7人がごく自然にできた、「歴史散策」は6回目となった。11月7日(水)午後1時、JR御茶ノ水駅・聖橋口が集合場所だった。そして、御茶ノ水・神田界隈の歴史ある場所を回った。

 私はそれに先立つこと、都営線・蔵前駅で電車が止まり、少し遅れた。日本の電車は世界に誇る正確な交通機関だったが、最近の都心部の電車はしだいに時間が読めなくなってしまった。「線路内に人が立ち入った」という表現を聞くたびに、うんざりさせられる。誰がいつ、どんな理由で、どの路線に立ち入るか、こればかりはまったく読めない。待ち合わせ時間に5分、10分早めに出かけたところで、この言葉に出会うと、もっと長い時間を要する。
 ときにはローカル列車に一本乗り遅れたよりも、不快感がつのることもある。

 お茶の水駅をスタートした歴史・仲間は、聖橋を渡る。眼下には神田川が流れる。のぞき見るが、きょうは船の往来はなかった。

「湯島聖堂」に入る。文学にたずさわる者ばかりだから、聖堂と孔子からはじまる、案内板をじっくり読み込んでいる。德川綱吉の時代には儒学が盛んになり、聖堂ができている。その後、幕府直轄の昌平坂学問所(昌平校)の開設された。こうした時代の出来事なども語り合う。
 歴史は誰もが強いから、話題が途切れることはない。

 「神田明神」へと向かう。同神社の鳥居の手前で、甘酒屋の老舗「天野屋」があった。皆して迷わずに入ると、古風な雰囲気で、古い時計や鉄道関連品が店内装飾になっていた。
 甘酒は50円高かった。「冷えたビールが常温よりも高い時代があったな」そんな話題も出てきた。

 神田明神は広い境内で、「神田祭は江戸の三大祭よ」と山名さん(歴史作家)が他の祭りを含めて説明する。
 敷地内の千代田区指定「神田の家」(遠藤家)の邸宅に出向いたが、中に入れず、外観を見たにとどまった。そこから屋上庭園を経由し、おなじ境内の「銭形平次の碑」まで行った。作家と出版社が発起人が銘記されている。文芸評論家の清原さん(会報委員長)がくわしく説明してくれる。

 急勾配の男坂を通り、湯島天神に向かう。「妻恋坂」の交差点を横目で見る。「素敵な地名ね」と新津きよみさん(推理作家)が随分気に入っていた。「ミステリーのなかで使ったら」という話をしながら、湯島神社に入る。菊展が開催されていた。梅は有名だけれど、秋には人寄せで、菊展をするのかな、と思いながらも、周囲を見ると、「学問の神様」だから、学生の参拝者が多い。
「猿回し」でしばし笑ってから、次の目的地、ニコライ堂に向かう。

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NHK大河ドラマ『八重の桜』の先取り講演・清原康正氏=鎌倉

10月27日(土)午後1時から、鎌倉・故早乙女貢さん邸宅で、清原康正(きよはら・やすまさ)さんの講演が行われた。タイトルは、「早乙女人脈の広がりと『明治の兄弟』~NHK大河ドラマの主人公」である。
 清原さんは著名な文芸評論家で、日本ペンクラブ・会報委員会の委員長である。同志社大学大学院卒。大河ドラマ『八重の桜』の主人公である新島八重は、新島襄(同志社大学設立)の妻であるから、興味深い講演だった。


 私は昨年の秋に、会津に取材で出向いているし、戊辰戦争に関しては常に関心を向けている。この戦争は何だったのか。江戸時代の260年間一度も海外と戦争をしない平和国家から、戊辰戦争で、明治政府は戦争勝利品の味を覚え、海外派兵の戦争国家になっていったという認識が強い。

 ことし9月初めころ、清原さんから、「早乙女邸の講演に来ない?」と誘いを受けた。会津の新島八重の話だというので、一言返事で出向いた。

 京都人の清原さんの視点だから、薩長と会津とに対して公平感があった。私には好感が持てた。

 これまで「会津落城」となると、とかく悲劇の美化とか、史実の歪曲が多く、鼻持ちならない話が多く、あまり好きになれなかった。
 会津城を攻撃したのは薩摩藩と土佐藩だった。会津が白虎隊の悲劇を含め、憎むべきは薩摩、総大将の板垣退助・土佐藩なのに、「会津は長州を憎し」と作り上げている。
 これらは枚挙に厭わないし、聞くだけでうんざりさせられてしまう。

 清原さんは、会津落城とせず「会津開城」として説明していた。
 
 新島八重は会津砲術師範の娘として生まれている。羽織袴を着て、刀を差し、城に立て籠もり、戦った人物である。洋式砲術にも堪能で、スペンサー銃で戦い、幕末のジャンヌ・ダルクとまでいわれた女傑である。

 開城後は、京都・薩摩屋敷に囚われていた、兄の山本覚馬(かくま)を頼って京都に行き、そこで新島襄に出会うのだ。清原さんはこうした流れから、なぜ京都か、それを詳しく説明する。

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日本ペンクラブのメンバーが葛飾・立石の魅力を語る=11月17日(土)

 東京・葛飾区は区制が敷かれて、今年で80年を迎えました。80周年記念行事の一環として、「かつしか区民大学」の特別講演会が開かれます。

 タイトル : 日本ペンクラブのメンバーが『下町葛飾・立石』の魅力を語る

 パネラー: 吉岡忍さん(ノンフィクション作家)

        出久根達郎さん(直木賞作家)

        轡田隆史さん(元朝日新聞論説委員)

        吉澤一成さん(日本ペンクラブ事務局長)

        新津きよみさん(推理小説作家)

        穂高健一(葛飾立石在住・作家)

 6人による、パネルディスカッションです。 各パネラーが思いのまま「昭和が残る葛飾立石」を語ります。私(穂高)はコーディネーターを行います。


 開催日:11月17日(土)午後2-4時(開場は午後1時30分)

 場所:ウィメンズパル(立石5-27-1)

 最寄駅:京成立石、あるいはお花茶屋駅

 費用:500円

 対象:200人 どなたでも

 申込み方法:往復ハガキまたは電子申請
         「特別講演会」、住所、氏名(フリガナ)、年齢、電話番号と明記

         〒124-8555
         葛飾区役所 教育委員会・生涯学習課

         11月8日(木)必着です。多数の場合は抽選となります。
 
問合せ: ☎03-5654-8475(直通) 03-3695-1111(代表) 内線2735、2736

          写真はかつしか区民大学情報誌「まなびぷらす」より
   
          広報「かつしか」10/15号にも案内が掲載されています。

          電子申請はこちらを左クリックしてください   

第63回・元気100エッセイ教室=「私の性格」を書こう

 エッセイは、「私」を描くことである。他人(身内・きょうだいを含めて)をせっせと書いても、それは薄っぺらな作品になる。ときには雑談でしかなくなる。


 「私」とは私の性格である。

 出来事、事故、事件は、ほとんどの場合は当事者の性格に起因している。
 悲しい出来事でも、愉快なエピソードでも、思わぬ失態でも、見事な解決でも、「この性格だから、このように発展したのだ」と書き進めば、読者は読む必要とか好奇心とかを呼び起こさせる。と同時に、説得力も生まれてくる。

 反面、出来事だけを書くと、どこにでもある話だ、「私」の心の奥底を見せない、本音が語られていない、上辺だけで書いている、と評価が低くなる。
 あげくの果てには、顔見知りの親しい読者だけが喜んでくれる作品に陥り、普遍性がなくなる。


 人間はとかく「他人に対する観察力」は強い。けれど、一方で、「他人から見た、私自身は解っていない」のが常だ。
 作者が頭で考えるままに書くと、まわりの人物は描けても、「私」はほとんど書けておらず、最悪は「この作品は人間が書けていない、駄作だ」という評価になってしまう。
 だから、意識して「私の性格」を書き込む必要がある。そうすれば、好感度の良い作品が生まれてくる。


「私の性格」の書き方

① 書く対象・出来事を前にして、「私は見劣りがする、拙劣な性格ではないか」と、一度は他人(対象)の眼からネガティブに「私」に疑問を向けてみる。


② 書きはじめると、周りの相手(人物)は持ち上げ気味に、「私」は下げ気味に展開させる。それでちょうどバランスが取れる。


③ 上から目線、教える、演繹的な文体(押し付けの文章)は排除していく。


④ まわりの者から(会話文などで)、性格を言わせると、効果がある。


「キミは傲慢だよ。だから、仲間が誘いたくなくなるんだ」

「あなたの気性はまわりを傷つけているのよ。解ってないよね」

「講釈が多いわりに、肝心な時に逃げてしまう、そんな性質があるよ」

「明るい性格に見えるけど、自分の本音を出していないんじゃない」


⑤ 性格を比喩で表す。(だだし、的確でないと失敗作になる)

・折れ曲がった私の性格。
・意地と根性のネジが緩んでいる私。
・ブレーキが利きにくい気質。
・私自身が持て余す私の性格。
・浮世ばなれした私の性格。

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山名美和子著「戦国姫物語―城を支えた女たち」の出版記念会

 10月10日、東京・銀座クラッシクホール(銀座ライオンビル6階)で、歴史小説作家の山名美和子さんの出版記念会が開催された。

 著作は「戦国姫物語―城を支えた女たち」(鳳書院・本体1,600円)である。波乱の生涯をおくった、姫たちのドラマ60篇が収められている。

 同発起人代表は西木正明(直木賞作家・PEN常務理事)で、「彼女は自分の足で、全国の城を訪ね歩き、戦乱に生きた女性たちの歴史秘話を丹念に取材して書き上げた秀逸な作品です」と紹介があった。
 発起人はPEN側として浅田次郎(会長)、吉岡忍(専務理事)、高橋千劔破(常務理事)ほか、私を含めた6人と、丸山晃(埼玉新聞社)である。

 山名さんは挨拶のなかで「取材で、多くの城をめぐりました。かつて戦いの砦だった城に歳月はながれ、なお残る華麗さに目を奪われ、あるいは埋もれた歴史に哀愁を誘われます」と述べた。

 城は戦いや天災、江戸時代の一国一城令、明治の廃城令、そして空襲により、多くが失われましたが、土塁や石垣を吹きすぎる風の音、せせらぎに耳を傾けると、往時の人びとさんざめきが聞こえてくるようです、と話す。

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いつも、いざという時も、1人では生きられない=「元気に100歳クラブ」誌

 100歳まで生きよう。それだけではダメで、元気で100歳まで生きてこそ、人生が豊かになる。その趣旨で2000年に「元気に100歳クラブ」(代表幹事・和田譲次)が発足した。
「元気が最高のボランティア」の旗の下に、現在の会員数は全国で約250人である。
 北海道から九州まで、本支部において勉強会、レクレーション、パソコン教室、趣味の会など、幅広く展開されている。

 その一つに出版活動がある。毎年1回は、単行本形式のクラブ誌『元気に百歳』が発行されている。

 10月10日には、『元気に百歳』第13(夢工房・本体1,200円)号が発行された。同会員の58人が執筆している。


巻頭言  「長寿ギネス記録カルマンさんの生まれ故郷を訪ねて」(白澤卓二・医大教授)

インタビュー「好奇心ガール、これからの挑戦」(笹本恒子・写真家)

ゲスト寄稿 「夢実現の法則」(吉村作治・エジプト考古学者)

 同    「傾聴と祈り」(日比野則彦・サックス奏者)

 同    「来るべき大地震に備えて」(青木元・気象庁)


 会員はジャンル別に掲載されている。

『人と出会い支え合う』
        「永遠に生きよ、五葉松」(児玉朝能) 他13名
『自然と共に支え合う』
        「津波てんでんこ」(板倉宏子) 他8名
『言葉響き支え合う』
        「言葉の力―私が救われ支えられた言葉―」(豊田勝子)他8名
『命育み支え合う』
        「みかんの花咲く丘」(喜田祐三)他10名
『友と語らい支え合う』
        「旧い友達」(中西成美)他4名
『心耕し支え合う』
        「『元気に百歳』クラブ俳句サロン『道草』」(住田道人)他9名 
 

 私は同クラブから「エッセイ教室」の講師を依頼されて、もはや6年余り。受講生たちの良品が数多く掲載されています。(穂高健一は未掲載)。

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