第70回元気100・エッセイ教室=「光る文章」について
創作エッセイは、同じ素材、似た内容を取り上げても、書き手の技量によって作品の完成度が違ってきます。
全体の骨組みがしっかりした作品であることが前提ですが、「きらっと光る文章」が2か所以上あれば、評価の高いエッセイになります。
「光る文章」とはなにか。一言で言えば、読者の心を一瞬にしてつかむ、気のきいた文章です。思わず『巧いな』と呟くのが常です。と同時に、読者はくすっと笑ったり、思わず涙したり、ジーンと胸にひびいたり、文章自体が強く印象に残ります。
もう一つは観察の目が鋭い描写の場合です。「なるほどな」という説得力が織り込まれています。このように「光る文章」は、文体と観察の2つの面で要約されます。
文章面で光るとは、
①ふつうは考え付かない、素晴らしい表現がある。
②独自の想像力が働いた、巧みな言い回しの文がある。
③何度も書き直し、練り直し、文を磨いた切れ味の良さがある。
観察の面で、光るとは
①人間の言動の一瞬を巧くつかまえている。
②対象物が正確なぴたり見合った言葉で書かれている。
③丹念に観察したうえで、限りなく短い言葉で言い表している。
文章は書き慣れてくると、職人芸に近づいてきます。
文章の技量が増すほどに、やさしい言葉で文章を光らせます。それが読者の共感や共鳴を誘い、感動作品を生みだす道になります。
しかし、書く量は多いけれど、光る文章がない(殆どない)人もいます。なぜでしょうか。それは一つ作品に対する推敲する回数が低いからです。
2、3度の推敲では、光る文章どころか、意味不明で首を傾げたくなる文も混在しています。これでは文章上達はさほど望めません。(中級止まりで、上級は難しい)
文章が上手な人ほど、プロほど、一つ作品にたいして推敲する回数が多く、一字一句もおろそかにしない態度で臨んでいます。推敲の重要さを認識しています。
だから、「巧い文章だな」、という光るものが根気で生みだせるのです。