小説家

東京広島県人会・幹事会で、「二十歳の炎」の販売、ショート・スピーチ

 私は、幕末の広島藩を初めて小説にした作家という点が評価されて、東京広島県人会の同「ニュース(49)」で「二十歳の炎」が取り上げられた。


「平成26年度秋季役員懇親会」が、10月15日に東京・文京区の東京ドームホテルで開催された。出席者は地元選出の代議士、県知事、政財界の大物ばかり約200人である。広島藩、福山藩の浅野家、阿部家、水野家など、「お殿様」の直系・子孫の方々なども出席されていた。

 同実行委員の配慮で、「二十歳の炎」書籍販売と、私にショート・スピーチの機会を与えてくれた。
 壇上では、先月に中國新聞・文化部「緑地帯」のコラムで8回連載した「広島藩から見た幕末史」のポイントをかいつまみ、「二十歳の炎」の神髄のさわりとして話した。


 「禁門の変で、長州は京都の町を半分焼いた。民衆も怒り、天皇も激怒し、幕府も治安面でテロ活動とみた。そして、朝敵になった」
 そう前置きしてから、長州が倒幕など関われるはずがない。京都に長州人が侵入すれば、新撰組も、会津桑名の藩士に、問答無用で殺されていた。

 だから、大政奉還にも、小御所会議の王政復古による京都の明治新政府の発足にも、まったく関わっていない。それなのに、薩長倒幕とは嘘である。

 実際は、薩摩と芸州広島は政経の両面で強く結びついていた。つまり、「薩芸倒幕」がやがて「薩長倒幕」にすり替えられた。

 幕末広島藩の展開が「二十歳の炎」に描かれています。出来るだけ史実を折り曲げないで書いています、と説明させてもらった。

 高間省三たち神機隊が、自費で戊辰戦争に出向いた。第2次長州戦争では、「小笠原老中を暗殺してでも、戦争をとめる」と主張した若者たちが、戊辰戦争では参戦した。

 戦争は始まる前に止めるべきで、戦いが始まると、非戦論でも戦いに臨む。戦争と平和を考えてほしい。そこらを要約して話した。

会場の入口で、販売を展開した。出版者の営業マンと、写真協力者の滝アヤさんが書籍販売を手伝ってくれた。

 持ち込んだ本は、順調に買っていただいた。

 とくに修道高校OBには、「頼山陽、髙間省三は皆さんの大先輩ですよ」と強く打ち出した。また同校の畠元校長と先週の懇談の席で、「髙間省三を知らずして修道を語るなかれ」といっていましたよ、と勧めた。畠元校長は「二十歳の炎」の協力者のひとり。

 殆どの修道OBの方が知っていた。「畠先生は国語教師で、サッカー部の監督でした。全国大会に出場した。私は部員でした」という方もいた。それにはちょっと驚いた。

「私が撮った被災地の写真が載っている本です」と滝さんは、小説3.11「海は憎まず」を売り込んでいた。カメラマンから声をかけると、購買動機が起きるようだ。こちらも数冊売れていた。

写真提供:滝アヤ

第82回 元気に100エッセイ教室=主語は文章のいのち

 良い作品とは、全体の流れが良く、読みやすく、主語がハッキリしている。だから、どの文章も読み手の頭のなかにスーッと負担なく入ってくる。文意が難なく理解できる。

 逆に、駄作とは突きつめれば、2つの要因に集約される。

①ページをさかのぼって読み返さないと、理解できない。「後戻り

②文章に首を傾げて、立ち止まってしまう。「一時停止


 作者が考えるほど、読者はていねいに読んでくれない。「主語」が不明瞭の場合は、なにを書いているのか解らず、一時停止してしまう。

「えっ、これはだれの話し?」

「どっちの人の話し?」

「主語は何なの?」

 作者はわかっているが、読者には解らない。だんだん読むのが嫌になる。やがて、読むことすら放棄してしまう。挙句の果てには、ぽい、と棄ててしまう。感想を聞かれたら、「面白かった」とお世辞でごまかされてしまう。
 それは捨てたことが面白いのである。


「主語」が解りにくい文章は重大な欠点である

①センテンスが長すぎる。(平均で45字以内にとどめる)。

②主語が文章の後ろ過ぎるので、肝心な主語がなかなか出てこない。

③修飾が多すぎて、「主語はどこにあるのか」、それが解りにくい。

④隠れ主語(省略)が続き過ぎると、読み手の負担になって、主語がやがてわからなくなる。

⑤男性(女性)が複数いるのに、彼(彼女)は、と記する。誰を指しているのかわからない。

⑥一つセンテンスに、意味を詰め過ぎて、二つ以上の主語になっている。

⑦回りくどく、気取った言い方に凝(こ)り、主語を欠落している。


センテンスは短くする。その上で、主語は極力センテンスの頭に持ってくると、簡素で明瞭な作品が生まれます。最大のコツです

第81回 元気に100エッセイ教室=語感をみがこう

 文章は書きなれるほどに、微妙な言い回しで、味わいふかい作品を生み出せる。文の表現が巧くなる。それを前提にして、ふだんから語句をみがくことである。


 叩きつける夕立があがると、太陽が燃え、西の雲が真っ赤に染まる。青空がより鮮明になる。ふだんは都会の濁川でも、焼けた雲が川面に映り、刻々と色が変化していく、見あきない神秘的な情景になる。
 語感の鋭い人は、これを表現するには、どんな色の言葉を当てはめるべきか、どのような表現で書くか、と考える。瞬間ごとに、頭のなかで、語彙を探している。濁川、神秘的、かたいな、ありふれているな、と精査する。
 
 その場で語彙が見つからなければ、写真に撮って来て、自宅に帰り、じっくり考えるのも一つの方法である。(写真・鳥取砂丘)
  あるいは、「文章スケッチ」で、その場でメモ帳、ノートに言葉を書きなぐっておいても、むしろその語彙が貴重なヒントになったりする。

 ともかく記録に残すことである。人間の頭脳は新しく次々に吸収るものがあるから、一晩越せば、10%の記憶しか残っていないのがふつうである。

 語感をみがくコツは、見なれた景色のなかでも、常に語彙を探すことである。生活の中で意識するほど、ことばが適切に使い分けられる能力が高まってくる。
 反面、書きなれていない作者は、文章が気取って複雑な言い回しになる。やたら難しく、碧天、翠天、などの漢字をつかう傾向がある。次にくる言葉が、美しい夕焼けだった、と手あかのついた、紋切り型の表現になったりする。

 作者は上手く書いたつもりだろうが、妙に気取られても、文章が痘痕(あばた)に思えるだけだ。時には地の文のなかに、叔母様は、と入ったりする。読者の立場からすれば、あんたのおばさんだろう、身
内に尊敬語を使って、おかしくないの、となる。


「下手だな、この人の文章は」
 表現が複雑な割に、適切な語彙が使われていない。気取りすぎて文意が解らず、いったい何を書いているのだろう、と読み手は立ち止まってしまう。「夫は」「妻は」と書かれても、こちらには顏もわからず、性格もわからない。


語感をみがくコツはなにか
 上手な文章家の作品をたくさん読んでみる。そして、真似てみることだ。語感が磨かれた人の文章は簡素で、気取りがなく、自分のことばで、さりげなく書いている。だから、すんなり頭に入ってくる。真似るだけでなく、応用してみるのがコツだ。くり返し積み重ねていけば、書きたい状況に見合った、適切なことばが使い分けられる能力が高まってくる。
 そして、この作者は語感が鋭いな、という評価につながる。


 語感をみがけば、感銘作品の創作に寄与してくれる。ふだんが大切である。

中国新聞『緑地帯』のコラム、「広島藩から見た幕末史」連載はじまる

 私が執筆する「広島藩からみた幕末史」が、コラムとして、中国新聞・文化欄『緑地帯』で、8月30(土)から掲載される。2回目は9月3日(火)からで、8回連載である。

 幕末歴史小説「二十歳の炎」がことし(2014年)6月に発刊された。作品の趣旨、執筆の動機、取材のプロセス、幕末史の捉え方など、作品の背景となるものを記している。

 第1回目の書き出しだけを紹介すると、

『江戸時代の260年間、日本は戦争をしなかった。しかし明治時代に入ると、10年に1度は戦争をする国になった。広島、長崎の原爆投下まで77年間も軍事国家だった。外国から、日本人は戦争好きな国民と思われてしまった。
 誰がこんな国にしたのか。さかのぼれば、幕末の戊辰戦争に行き着く。大政奉還で平和裏に政権移譲したのに、戦争が起きた。日本史の中で最も分かりにくい。民主的な政権ができた後、薩長の下級藩士による軍事クーデター(鳥羽伏見の戦い)が起きた―とはっきり教えないからだ。~』

 と展開していく。

「二十歳の炎」は、地元の中國新聞、髙間省三を筆頭祭神に祀る広島護国神社、学問所の伝統を引き継ぐ修道学園など関係者が強く推してくれている。
 広島の書店も平積み同様に扱ってくれているところが多い。また、取材先関係者を通して、口コミで広めてくださっている。東京広島県人会なども。
 多くの読者がアマゾンのプレビューにも、書き込んでくれている。

 広島はことし何かと話題になっている。音楽家の不祥事、広島カープの活躍、広島市内の土石流災害、崇徳高校・野球部の50回延長戦とか。

 広島藩からの幕末に絞り込んだ歴史小説は、きっと初めてだと思う。読めば、これまで多くの歴史作家が無理してこしらえてきた、幕末史観が変わると思う。虚像の多さには唖然とするだろう。

 多くの作家が維新志士の美化に夢中で、その後の軍事国家をつくった危険な思想の持ち主だったという批判もほとんどなされていない。かれらは「誰がこんな軍事国家にしたのか」、という人物につながっているのだ。そんな思いのコラムである。

 幕末・広島藩が、二十歳で死んだ髙間省三を通して、世間一般に知れ渡り、正しい歴史認識になることを期待している。
 中国新聞はそれを理解してくれたから、執筆の最中の1月、書籍紹介の6月、「作者に聞く」の書評の7月、さらにはこの8月からのコラムと紙面を割いてくれたのだ。

「作家の文章は、それ自体に著作権がありますから」
 文化部の記者は、私の思い通りに書かせてくださった。

『読書の秋に読もう・推薦図書』 南太平洋の剛腕投手=近藤節夫

 旅行作家兼エッセイストの近藤節夫さん(日本ペンクラブ会員)が、初のノンフィクション作品『南太平洋の剛腕投手』を刊行した。サブタイトルは「日系ミクロネシア人の波瀾万丈」である。発売日は8月18日。出版社は現代書館で、1600円+税。

 作品は昨年来から取りかかっていたもの。主人公はススム・アイザワ(相澤進)で、日本人の父と、旧トラック島(現ミクロネシア連邦)酋長の娘との間に生まれた。戦中・戦後に父の故郷・藤沢市で、彼は逞しく成長した。そして、プロ野球投手として活躍した。
 その破天荒な生涯を描いている。

 ススムはプロ野球を辞めた後、トラック島へ帰島し、大酋長となった。実業家として成功した彼は、島のため献身的にボランティア活動に携わってきた。当然ながら、島民から広く尊敬を集めた。

 作者の近藤さんは、親の代から交流のある森喜朗元首相、そしてプロ野球の元チームメートだった佐々木信也氏と、ふたりの友情の絆を同書で扱った。それだけに、奇想天外のドキュメントだともいえる。

  30数年前、作者はトラック島で大酋長と初めて会った。ススムは行動力のある魅力的な人物であった。一方で、謎をはらんだ言動の多い人物だった。そのミステリアスな点についても、証言、風評を交え、取り上げてている。

 偶々大酋長がすでに鬼籍に入られていると知った。
「もうあのカリスマ的な風雲児に会えないのか。そう思うと無性に寂しい気持ちに捉われました」
 近藤さんには懐かしい気持ちが湧き上がった。大酋長の生涯を二つのふるさと・旧トラック島と湘南地方を背景に描いてみたくなったのです、とペンを執った動機を語る。

 『南太平洋の剛腕投手』は江ノ電沿線新聞社が、湘南地方、とりわけ江ノ電沿線に住民に読んでもらいたいと、座談会を催している。
 佐々木信也さんは、湘南高校時代に甲子園初優勝を成し遂げている。ススムの親戚の藤沢市商工会議所副会頭・相澤光春さん、そして佐々木氏の母校後輩となる筆者の近藤さんがトークを行った。座談会の内容については、「江ノ電沿線新聞」9月1日号に掲載される予定である。


  【著者の刊行案内から、取りまとめました】


【作者・プロフィール】

 東京・中野生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。学生時代に60年安保闘争、ベトナム反戦運動に参加した。
 学生時代・サラリーマン時代を通して、紛争地や戦地に200余り渡航している。訪問国は70数か所になる。
 著書として
『現代 海外武者修行のすすめ』(新風舎)
『新・現代 海外武者修行のすすめ』(文芸社)
『停年オヤジの海外武者修行』(早稲田出版)
 共著として
『知の現場』(東洋経済新報社)
『そこが知りたい 観光・都市・環境』(交通新聞社)

【推薦図書】 Kindleサイズ「短編集 半分コ」=出久根達郎

 Kindleサイズの紙の単行本とは考えたものだ。持ち運びが良い。満員電車でも、簡単に読める。なにしろ流行の先端を行っている。
 液晶画面でなく、紙面で読める。あらたな読者層を広めるだろう。


 出久根達郎著「短編集・半分コ」が三月書房かせ出版された。定価は本体2300円である。

 Kindleサイズの出久根さんのアイデアか。それとも出版社か。後者ならば、編集か、営業か。そんな興味もわいてくる。ご本人に訊いてみたいが、想像にとめておこう。その方が楽しい。
 
 直木賞作家で、現代では第一人者の短編小説集だ。軽妙に手軽く読める。気にいった題名から読めばいいだろう。

 人生半ばを迎えた主人公たちが、ふと過ぎし日を想う時、その何気ない言葉やしぐさに心の内を垣間見る。……どこか懐かしく、そしてほろ苦い16の小さな物語。

 『掲載作品』
    半分コ
    饂飩命
    赤い容器
    母の手紙
    十年若い
    お手玉
    空襲花
    符牒
    紀元前の豆
    名前
    薬味のネギ
    校庭の土
    こわれる
    腕章
    桃箸
    カーディガン     

『読書の秋に読もう・推薦詩集』 幻肢痛 = 平岡 けいこ 

  波は下腹部を打ち
  私は私の底に水の音をきく
  冷やかな藍色の音をきく
  水は廻りはじめる            (「水音」より)

  暗い感覚のクライマックス、
  読者はそのとばりの先を覗きたくなるのだ。


 幻肢痛ーー肢または肢の一部を切断後、患者があたかもその部分があるかのような痛みを感ずる状態、もしくはすでになくなっているのに先端があるように感じる症状。

 まさに欠如ゆえの痛覚こそはこの幻肢痛こそがもっともふさわしいだろう。ゆえにこそ、この症状を知ったとき、平岡けいこさんは自分の内なる欠陥を見失わないためにこそ、この言葉を配して、一冊の詩集を編みたいと熱望したに違いないと思う。

(「幻肢痛」考・倉橋健一氏より、抜粋)


【幻肢痛の関連情報】

 平岡けいこ著「詩集 幻肢痛」
 定価2500円+税
 発行所・砂子屋書房(千代田区神田3-4-7  03-3256-4708) 


『平岡けいこ・プロフィール』

 兵庫県出身
 日本現代詩人会、中四国詩人会、関西詩人会に所属

1991年 詩集「わたしの窓から」私家版

1995年 詩集「未完成な週末」近代文藝社
      (第4回コスモス文学出版文化賞)

2004年 詩画集「誕生~ぼくはあす、不可思議な花を植え 愛、と名づける~」美研インターナショナル
      (第4回中四国詩人賞) 

第12回「歴史散策」は台風接近の横須賀港

 こんかいの歴史散策は横須賀港だった。2014年7月10日は台風が接近ちゅうで、関東に達する進路予想だった。
 世話役は井出さん(日本ペンクラブ事務局次長)で、数日前から、やきもきされたことだろう。

 作家やジャーナリストたちは、それぞれ予定が詰まっている。7人の日程調整はピンポイントだから、予備日はない。「雨でも、雪でも、台風でも、交通機関があるかぎり決行する」という当初からの方針だ。 

 台風の接近だが、かまわず同港の観光船に乗る。さすが軍港だけに波静かだった。

 写真(右から):井出さん、新津さん(ミステリー作家)、山名さん(歴史作家)、相澤さん(作家兼ジャーナリスト)、吉澤さん(日本ペンクラブ事務局長)、清原さん(文芸評論家)さん、そして私(穂高健一・作家)を含めた7人全員が勢ぞろいした。

 日露戦争の日本海戦・旗艦「みかさ」の甲板で撮影。甲板下にいた若者をデッキまで呼び寄せて、「すみませんね」とシャッターを切ってもらう。


 京急汐入駅に集合は午前11時だった。 台風は九州から四国あたりに進んでいた。いちどは上陸したから、大型でも勢力が弱まりつつあった。
 当日の横須賀の予報は午前中が曇り、午後から雨だった。台風の速度はやや後ろ倒しになっていた。

 同駅前では、強風が傘や頭髪を巻き上げる。

「現地の船会社に問い合わせたところ、軍港めぐりは運航するということです。猿島のほうは中止となりました」と井出さんが説明してくれた。


 横須賀港は軍港だから、台風でも、波が立たない。港内には第7艦隊のイージス艦が接岸していた。1隻が1500億円もする。

 ディズニーランドが一つ作れる。

 戦争はまさに経済力だ。税金は使っても、人の命は使ってもらいたくないものだ。


 ヴェルニー公園には、日本海海戦の石碑などがある。

 和歌や俳句などの石碑もある。

 ヴェルニー記念館では、江戸時代に外国から入ってきた製鉄所の圧延機とか鋳造機がある。本物、模型、実演コーナーがある。吉澤さん、相澤さんが愉しむ。

 作家たちはみな文系だから、理論の吸収でなく、玩具のように遊んでいた。

 軍港めぐりツアーは事前予約が必要。台風にもかかわらず、すでに全部満席だという。

 横浜軍港めぐりは、最近、ずいぶん人気が出ているらしい。

 横須賀の軍港は、日本の海上自衛隊も使用している。

 潜水艦は横須賀と呉(広島県)だと、港内クルージングの案内係が放送していた。

 ちなみに、呉に行くと、リタイアした潜水艦の艦内なかに入れる。そんな説明はなかったけれど。

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『二十歳の炎』がすごい=論説委員が、書評「著者に聞く」を書く

 中国新聞社は、ことし(2014)1月16日付で、「戊辰戦争と広島藩テーマ」「藩士 髙間省三の死に光」と大きく報じてくれた。
 私はまだ初稿の執筆中だった。
 同記事では、高間省三は福島県・双葉町に眠る。「放射線量が高い一帯は住民帰還が実現しない」町で、私が同町・自性院の墓地で手を合わせる写真を載せている。
 「3・11被災地・福島の墓を訪問」。広島護国神社の藤本宮司、同紙の岩崎論説委員と3人が、町教委の特別な協力でやっと実現したものだ。


 中国新聞社の文化欄で6月27日には、「二十歳の炎」が私の顔写真と、書籍の写真とで紹介された。
 この7月6日には、同紙の岩崎論説委員がみずから筆を執り、『著者に聞く』の欄で「二十歳の炎」の書評を載せてくれた。
 タイトルは「広島・福島 維新から続く縁」である。

 記事を抜粋しておきます。

『幕末維新を語るうえで、まず出てこないのが広島藩。その動きを本格的に負う小説は初めてだろう「封印されてきた歴史に光を当てたつもり。実在した藩士髙間省三に光を当てた。「神機隊」と呼ばれる農民隊を率いて戊辰戦争に加わり、福島県浜通りの戦場で満20歳の命を散らした』

『執筆は苦労続きだった。自宅のある東京から広島に繰り返し足を運んだが「どこにいっても原爆で焼失して資料はないと言われ……」。神機隊の生き残りを含む元藩士がまとめた「藝藩志」に、戦場の描写をはじめ当時の様子が克明に書き残されていたのに助けられた』

『「薩長、薩長土肥で討幕を成し遂げたというのは真実ではない。広島には平和な国を作ろうとした多くの優秀な人材がいた」。維新150年向けて地元で再評価の機運が高まり、埋もれた史料が掘り起こされるのを期待している』

『広島と福島の知られざる縁。主人公が戦死する「浪江の戦い」など小説のクライマックスの舞台は、原発事故から逃れた住民が帰りたいと願う古里に他ならない。「歴史に思いをはせることで福島の今、そして原発とは何かも考えてほしい」』


 論説委員は社説を書くのが主たる仕事。あえて、『二十歳の炎』の書評を書いてくださった。その理由については、岩崎論説委員はこう語った。

「いろんな見方 立場はあるとは思いますが、メディア界からすれば、単なる広島藩のローカルな歴史ではなく、「3・11」「フクシマ」と関係があるということでニュース性が際立つことが考えられます。好むと好まざるにかかわらず、その点をうまく生かせば、輪はさらに広がると思います」
 と『二十歳の炎』の今後に期待してくれている。


 なお、中国新聞の文化欄には「緑地帯」コラムがある。私は8回連載の仕事をいただいた。むろん、テーマは『二十歳の炎』の関連内容である。
 7月下旬あたりには紙上に出るだろう。

『二十歳の炎』がすごい=戊辰戦争・浜通りの戦いは歴史の新発掘だった

「二十の炎」の発売後、私の最も驚きは、福島・浜通りの戦いがこうも知られていなかったのか、また小説にすら書かれていなかったのか、という点です。


「幕末の広島藩の活躍は知らなかった」
 これは十二分に想定していました。しかし、戊辰戦争の浜通りの戦いが、まさかここまで歴史から消されているとは思ってもいませんでした。

 献本した南相馬博物館、相馬市教育委員会などは取材先にも関わらず、大切な資料として保管にしますとか、日本文藝家協会のパーテーで名刺を交わし、くちで「二十歳の炎」で説明したNHKエンタープライズ・ライツアーカイブスセンターの部長が購入してくださり、浜通りの戦いをはじめて知ったとか、メールをくださった。

 その一部を紹介させていただきます。


『早速に新刊を拝読いたしました。長編にふさわしく重厚な内容、今までにない幕末視点が新鮮で、薩長土と広島藩の関係がとても面白く、一気に読み進んでしまいました。
ここまでの物語を構築されるだけの取材力には頭が下がります。

広島藩執政の辻将曹、土佐の後藤象二郎の「動き」が語られるあたりはとても面白く、ああ、こういうことがあったのだ、と歴史の裏で渦巻く「人」の思惑が大乗小乗とりまぜて浮沈するさまが伝わると同時に、幕末史観が変わったように思います。

それらとは極めて対照的に高間省三ら神機隊の面々が純粋そのものといった行動力で突き進むのが爽快でありながら、しかし哀しい物語として胸に沁みました。

福島浜通が官軍と奥羽越列藩同盟との激戦地であったこともご著書によって初めて知りましたが、省三終焉の地が浪江であることは今日的にはとてもセンセーショナルな気がします』

 このように、メディア界の方すらも、「浜通りの戦い」が歴史の発掘として捉えてくださっている。


 他にも宮城・福島の出身者が「会津は知っているけど、浜通りの戦いを知らなかった」とおどろいている。……。知っていたという人に、私はまだ出会っていません。

 その面で、「二十の炎」が芸州広島藩と、浜通りの戦い、と二重の掘り起こしになったようです。髙間省三がだんだん立ち上がっていく、浜通りの戦いが世の中に知れ渡っていくでしょう。


 これまでの幕末史は、歴史作家の作り物の面が多々あります。一方で、敗者で消された歴史もあります。歴史作家はそれを起こすのがしごとです。
「二十歳の炎」が史実・事実による展開から、「戊辰戦争の浜通りが、官軍と奥羽越列藩同盟との最大級の激戦地であった」と歴史教科書が書き換えられる、その役目を担うだろう、と考えます。

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