A020-小説家

幕末・維新史から、「名もなき雑草のごとく偉人」の発見へ     

 小学生の文集をみると、「雑草のように生きる」という表現がよく出てくる。この雑草とはなにか。逆境にも負けず、くじけないで、力強く生きることだろう。受持ちの先生は何かと、偉人伝を読みなさい、とすすめる。読んであこがれても、そうたやすく偉人にはなれない。雑草のようなたくましい人生ならば、自分にも期待できる。そんなことから雑草をモットーにするのだろう。

 19世紀半ばに開港・開国した幕府や、明治新政府の文明開化政策から、招へいされた有能な外国人が数多くいる。やる気は充分あるにもかかわらず、ほとんどの外国人は無情にも短期の使い捨てにされた。

 それでも日本を愛し、死ぬまで逆境のなかで頑張ったひともいる。業績を挙げても、その誉れはいつしか日本人にすり替わっている。「名もなき雑草の偉人」。そんな勝手な思いで、小説に描ける外国人を可能なかぎりさがしてみた。


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【写真】 ドイツ人のカール・レーマン(1831年11月28日 - 1874年4月21日)

 カール・レーマンはドイツ人で優秀な造船技師であった。徳川幕府が長崎に軍艦造船所を建設する目的で、乞われてきた初期の「お雇い造船技師」である。ところが、幕府はフランス政府の借款で、横須賀に造船所を建設する、当初計画の長崎は破棄した。その理由からカールは、三年間という雇用契約のみで延長が認められず打ち切られた。

 人間は男女の恋で生きている側面がある。かれは長崎の丸山遊郭の芸妓と結婚し、生まれたばかりの女児がいる。解雇で無収入になってしまった。この先、どう生きたのか、と私は興味をもった。
 母国・プロシアは、宰相ビスマルクが統一ドイツの誕生をめざし、近隣のデンマーク、オーストリアなどと戦争つづきである。後詰めで高性能な射程のライフル銃が開発されて、強国をあいてに連戦勝利しているさなかだ。妻子を連れて帰国すれば、徴兵制で兵士にとられる、その怖れがある。

 かれは日本に残り、ハンブルグ出身者(外交官)と協同で、ドイツ貿易商になった。このころの日本国内をみれば、薩英戦争、下関戦争、禁門の変、長州戦争と矢つぎばやに戦争が起きている。幕府も、全国諸藩も、火縄銃ではもはや戦えないと、西洋銃に切りかえている。あす戦争となれば、だれもが勝ちたい。ドイツ製の優れた銃がほしい。もとめられてカールはあつかい品目の比重を機械から武器へとシフトした。武器商人、もしくは死の商人。これでは小中学生の教科書には載らないだろう。

 かれは、グラバー流の密貿易などしない。会津、桑名、紀州藩など長崎税関を通過する正規の銃のみをとりあつかう。幕府筋から大量注文を請け負うと、カールは最新銃を仕入にドイツに帰国する。調達して再来日すれば、会津城は落城し、幕府は瓦解していた。大量の銃は宙に浮いてしまう。まさに、絵にかいたような逆境だ。知的なカールは、ビスマルク戦術を知る剛毅なプロシア下士官を日本に連れてきていた。和歌山藩にはドイツ式徴兵制の導入と、プロシア同様の軍事訓練による戦力づくりをすすめた。

 和歌山県では身分を問わず二十歳以上の青年が、ドイツ銃で訓練をうけた。この軍隊システムは日本中におおきな反響をあたえた。和歌山県(徳川家)が全国最強の軍事力をもった。薩長閥の新政府は、徳川家の再集結をおそれて廃藩置県を早めた。中央集権制で和歌山軍を無くし、まねて日本陸軍のドイツ徴兵制の導入に踏み切った。
 ここに鎌倉時代からつづいた武士階級が消えた。カール・レーマンが日本の歴史を最も大きく変えたといえる。

                  ☆      

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    【写真】弟のルドルフ・レーマン1842年 - 1914年)
 帰国したおり、弟ルドルフ・レーマンを日本に連れてきていた。この弟はドイツでも名門のカールスルーエ工科大学(2018年現在6人のノーベル賞受賞者を輩出)で土木・機械工学を学んでいる。兄弟して大阪に民間の鋼船づくりの造船所を興す。

明治二年には明治天皇、公家、新政府の政治家が、京都からこぞって東京に移ってしまった。天皇の遷都なき奠都である。
 御所や公家邸には雑草が茂り、商人らは逃げていき、経済は衰退した。荒ぶる人々によって伝統文化や寺社が破壊されるなど廃れた。京都府参事で失明の山本覚馬(妹は八重で、大河ドラマになった)が、レーマン兄弟に「京都の復興」を託し、京都初の「お雇い外国人」として招へいしたのだ。

 千年の古い都に、西洋の近代化を導入し、日本初の京都博覧会を開いた。京都に立入禁止の外国人らにも見学を許可した。京都御所まで一般に開放し、国際観光・京都へと踏みだす。さらにドイツ語・外国語の普及、赤十字病院、日本初の幼稚園、製紙会社、和独辞典など諸々の展開をした。

 今日の京都は国際観光都市として空前の客をあつめる。「名もなき雑草のごとく偉人」のレーマン兄弟を発見した

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