『永遠の都』の創作(原稿用紙で4854枚)大作を明かす = 加賀乙彦
2015年11月25日、日本文芸家協会の「文学サロン」が開催された。ゲスト講師は、『永遠の都』の著者の加賀乙彦さんである。
加賀さんは東大医学部卒で、小説家・精神科医である。『永遠の都』は、30年間の資料の集積で、50歳代半ばから、69歳にかけて書き上げたもの。講師として、その創作の裏舞台を語った。
祖父の実家は山口県の猟師だった。その祖父は東京に出てきて、当時、交通事故の多かった品川で医者を開業した。病院は流行った。
日清戦争、日露戦争などの兵士として、祖父は参戦している。そこから日記を欠かさずつけていた。
祖父の死後に、加賀さんはその日記を貰い受けた。それが『永遠の都』の下地になった、と語る。
幼いころの加賀さんは、新宿に住んでおり、2.26事件を直接に見聞している。目の前をいく兵士が「汗臭い、鉄臭い、革臭い」とつよく印象に残っている。小説のなかでも、臭気が敏感な体質で、しばしば取り上げていると語る。
「フィクションを書くには、徹底して事実を知ることです」
祖父の日記のみならず、当時の事実を知るために、週刊誌広告を出す、あるいは記事で取り上げてもらうなどして、かつての特攻隊員、2.26事件の体験者などの証言者を全国にもとめた。多くの方が手をあげてくれた。面会し、徹底して取材してきたと打ち明ける。
同作品は2.26事件の前年から2001年まで描いている。
「想像で造りあげた人物ほど、実際の人物と結びつく」
戦時下のストーリーのなかで、音楽と文学を愛する帝大生が、出征した戦場の悲惨さに耐えきれず、自殺する、というくだりがある。事実に近い人物をつかう。こうした人間は二度と出してはいけないと、フィクションだからこそ、強調できる。
「若者の命を捨て石にし、かれらの苦しみや絶望を『お国のため』と是認してきた」
国家は国民の命を操った。軍人勅語によると、『鳥の羽よりも、兵士の命は軽い』と判読できる。それは明治5年の徴兵制に遡るものだ。
国家の命令に服さないと生きていけない時代が長く間続いたと、戦争の惨さを作品のなかで書き綴っている。
講演の参加者は、ほとんど文筆家であり、加賀さんは講演では多くの時間を文体論でついやす。
「長編は、読者を飽きさせないことだ」
登場人物はそれぞれ性格も心も違う。だから、文体をちがえる。方丈記、徒然草などに、その文体を学んだという。
松尾芭蕉は漢字、ひらがな、カタカナを織り交ぜた俳句を作った。ここらも参考になってという。
1か月に50枚ずつ書き上げた連載だった。正月号だけは休みなので、ほっとした、連載の苦しさもつけ加えていた。
3世代にわたる、震災、虐殺、戦争、疎開、空襲、敗戦、飢餓などにおよぶ。原稿用紙で4854枚の大作である。