庶民が歴史をつくる = サクセス・ストーリーを書こう
政治家は歴史を歪曲し、原点をよく見せようとする。
作家は歴史年表とフィクションで事実のように書く。そして、特定の人物が世のなかを大きく変革した、と物語をつくる。
この二つをもって正確な歴史が後世に伝えられない。
坂本龍馬が日本を洗濯した、幕末を大きく動かした、と歴史作家が書けば、それがまるで事実のように捉われてしまう。
それはあり得ないことだ。たった一人の人物で、世のなかが変わるほど、庶民はバカではない。大勢のひとが歴史を動かし、変えていくのだ。
坂本龍馬がいろは丸事件を起した。沈没船には金塊と最新銃を数百丁積んでいた、と大ウソを言い、紀州藩から8万3000両をだまし取った。10両の窃盗でも獄門の江戸時代に。紀州藩の家老は切腹寸前まで及んでいた。明治になり、執行されなかった。しかし、船主の大洲藩の家老は、龍馬のために切腹した。
張ったり屋の龍馬なる人物の性格にも問題がある。
船中八策は存在しない。龍馬は大政奉還にまったく絡んでいない。土佐藩の船のなかで、大政奉還を考えたという。これこそ作家の作りものだ。
龍馬は薩摩藩がらみで、長崎にすむ密売人・グラバーと交流を深め、幕府が禁止していた鉄砲・銃弾を西日本を中心とした各藩に売った。みずから運輸業の海援隊をつくり、密かに運ばせていた。
それら武器が、明治政府樹立後の戊辰戦争で使われ、大勢の日本人が死んだ。大勢の日本人を死に至らしめた「死の商人」につきるのだ。
薩長同盟といわれるが、実在しない。木戸が小松帯刀・西郷隆盛と話し合った。潔癖症の木戸が、長州の言い分を覚書・メモ程度に手紙にしたため、龍馬に送った。立会人として裏書きをしたにすぎないのだ。
薩長同盟の成立など、ばかげた作り事だ。鹿児島から、薩長同盟の存在を裏付ける書簡など発見されていない。あるはずがないのだ。
そもそも長州藩は禁門の変で朝敵になり、小御所会議で明治政府ができるまで、長州人は京都に入れていない。入れば、会津・桑名軍、新撰組などに問答無用で斬られた。これは歴史的事実だ。
長州は倒幕になんら関わっていないのだ。つまりは、龍馬は倒幕に関わっていないのだ。
「龍馬の精神で政治を行おう」
そんなことを言いだす政治家がいる。それは実態のない薩長同盟を信じ、小説上の活躍を現実だと錯覚しているのだ。
幕末には民衆に大きな力があった。徳川を倒したのは庶民だ。たとえば、「ええじゃないか」運動が起きた。大衆は荒れ狂った。
各地が無政府状態に陥り、経済政策ブレーンをもたない徳川慶喜には手におえず、皇国思想から政権を天皇に還した。
現代に置き換えればよくわかる。
東京・大阪で、大勢の庶民が荒狂い、インフで価値が殆どない紙幣を路上でばらまき、企業になだれ込み、書類を待ち散らし、コンピューターを打ち壊す。つまり、現代の打ちこわしだ。職を失った大衆が道路に溢れて、通行すらできない。
それらエネルギーが全国の地方都市や町村まで拡大していく。
徳川支配の奉行所と同様に、警察庁・各県警は手を尽くしても、途中から傍観するしか方法はなくなる。自国の軍隊を出して銃で大衆を殺すわけにもいかない。まして、外国から軍隊を呼ぶわけにもいかない。
やがて、政府はお手上げ状態になる。時の統治者が、自民党、民主党、だれが党首だったにせよ、その政権は倒れてしまうだろう。
これが幕末の姿だ。徳川慶喜の立場だ。
庶民がみんなして時どきの事象を書き残さなければ、特定の人物の業績になってしまう。
後世に正しい歴史認識を伝えるにはどうしたらよいか。マスコミ任せでもダメだ。後世の歴史家が、メディアで取り上げられた特定の人によって「平和な日本がつくられた」と誤認する恐れがあるからだ。
「70年の平和国家をつくってきたのは、庶民だ」
決して一部の政治家、企業トップ、文化人だけではない。
企業戦士といわれ、家庭を犠牲にしてまでも、土日すら働いて、ここまで日本を豊かにしてきた。農・漁民、商人、サラリーマン、皆の力だ。平和国家は庶民の力の総和で成された。
平和70年間には英雄はいらない。庶民が歴史をつくったのだ。
こうした認識のもとに、私はエッセイ教室の受講生たちを前にして、私たち戦後の歩みの記憶を呼び起こして、『サクセス・ストーリーを書こう』と語りはじめた。
この提唱が広まれば、21世紀後半あたりから、歴史の作られた方が変わってくるだろう。