第14回歴史文学散策(上)=小石川は江戸時代の史跡の宝庫だった
日本ペンクラブの歴史好きの仲間による、「歴史散策」は14回目を迎えた。こんかいは吉澤さん(PEN事務局長)が、長野県で開催される島崎藤村(初代会長)のイベント関係が多忙で、欠けていた。
このところ全員の集合写真は、飲み屋が多かった。ついては、東京・文京区の小石川植物園の園内で、プロカメラマンらしき人物に撮影してもらった。
3月20日13時、集合場所は茗荷谷駅(地下鉄丸ノ内線)だった。
「穂高さん遅れなかったのね」
10数回のイメージはしっかり根付いていた。
最初は、林泉寺の「大岡政談のしばられ地蔵」だった。
葛飾区にも「しばられ地蔵」がある。関連はわからないが、私の受講生が素材にしている、と話した。
次なるは深光寺(小石川七福神のひとり)である。滝澤馬琴の墓所だった。
歴史小説作家の山名さんが、キリシタン燈籠を詳しく説明してくれた。巧妙に、十字架とマリア像が組み込まれていた。人間の知恵はすごいな、と思った。
彼女はこの1月に、BS「細川ガラシャ」の1時間番組のメイン・ゲストで出演していた。切支丹にはとても詳しい。彼女への講演料がゼロ円で、現地で聴ける。それがこの歴史散策のメリットか。
切支丹坂から、切支丹屋敷跡に出むいた。
相澤さん(PEN広報委員長)と井出さん(PEN事務局次長)が、史跡の一つひとつを見逃さない姿勢で、真剣に文字を読んでいた。
茗荷坂(みょうがざか)の周辺は高級住宅地が多い。
先の佃島の歴史散策で、新津さん(女性ミステリー作家)が高級マンションを素材に使った。近々、売り出される。
「編集者から、やけに詳しいですね、そう言われたのよ」と披露していた。作家はつねに取材の精神なんだ。
こんどは、次作はここらの高級住宅地で出てくるね、と語り合っていた。
ソメイヨシノがまったく咲いていない。「播磨坂さくら並木通り」を行く。
春の黄色い花は品種が紛らわしい。みなは童心にもどって、木々の花の名を言い当てていた。
東大・小石川植物園に入った。徳川慶喜は水戸斉昭の子として、この小石川植物園で生まれて、この近くで終焉した(立ち寄ってきた)。ともに文京区内だった、と清原さん(PEN会報委員長)が教えてくれた。
日本を代表する文芸評論家で、歴史物評論の著作も多いし、実に詳しい。
慶喜は1913年11月22日に亡くなっている。「関東大震災は1923年(大正12年)だから、その10年前だな……」
遠い幕末の人物だと思っていたが、我われ世代の少し前まで生きていたんだ。
ニュートンのリンゴの木。興味を示す新津さんに、「ミステリー小説のトリックで、信州林檎にすり替わっているのかな」と揶揄(やゆ)した。
彼女は長野県・大町市出身だ。
井出さんはかつて日本航空の幹部だった。新入社員の時の思い出話になった。
かれはコールセンターに配属されて毎日、花見だった、という。何しろ、同部署の新人・男性はふたり。まわりは殆ど女性だったから、7チームの花見に連れ出されたらしい。
次なるはスチュワーデスに関連するセクションにいた。ここでも、花見が行われていた。さぞかし、美人に取り囲まれすぎて、男社員と上司の悪口を言いながら思い切り飲みたかったかもね。
懸命に写真を撮る相澤さんは、この文京区の高校を卒業している。あけすけに過去を語っていた。
冒頭に紹介したカメラマンが、ここがバックにした方が良い勧めてくれたところだ。
私には、背景が大きいから、新津さんひとりの方が良いと思ったけど?
相澤さんの趣味はバードウォッチングだ。
文芸・歴史が専門の清原さんが、なるほどね、と聞き入っていた。
【つづく】