ミステリー小説および歴史小説の書き方の類似点
このところ信州(長野県)と飛彈(岐阜県)の歴史小説の取材で飛び回っている。入手した資料を昼夜にわたって読みこんでいる。
「歴史小説を書くのは大変でしょう。資料をたくさん読む必要があるし」
取材先で、そう言われることが多い。
たしかに取材で集めてきた資料の質を問わず、読みこなすには時間がかかる。
ただ、やみくもに読んでいるわけではない。ある基準で、資料は読みこんでいる。それは一言でいえば、歴史的な事実に近いか、否か、と見極めながらである。執筆するときに採用できるか、採用できないか。そうジャッジメントしながら読むのである。
一つの歴史的な事柄にも諸説ある。だから、不採用だなと解っていても、一応は読みこむ必要がある。「これはダメだ」と頭から決めつけると、私の先入観が歴史的な事実を見落としたりするからである。
1-2割は真実に近そうだと思うと、再度読みなおすことがある。その点では慎重である。
私は若いころに純文学からスタートし、中間小説といわれたエンターテイメント小説に移り、長編ミステリーも投稿作品でよく書いていた。かなり良い線まで何度も行った。受賞しなかったが、別途に書いてみませんか、と大手出版部長に声掛けされたこともある。
雑誌にミステリー小説の連載をしたことがある。これはさかのぼって伏線が張れないので、じつに神経を使った。警察と海上保安庁がらみのミステリー小説は、捜査の専門家になんども取材をくり返した。知識が豊富になった。
「指紋を隠す目的で、手袋をしていると、確実な証拠品になりますよ」
「なぜですか」
「人を殺傷するときは、必ず手のひらに汗をかく。とかく手袋は現場近くに棄てている。それを回収したり押収したりする。そして、内側の汗をDNA鑑定すれば、確実な証拠になるからですよ」
広島拘置所で死刑囚と向かい合っていた、副所長から長時間にわたり取材したこともある。
「死刑囚は毎日、観察日記を書いて、法務省に提出するんです」
「毎日ですか。その理由はなんですか」
「精神が正常か否か、それを観察するんです。もし精神が発狂したした状態では刑の執行ができないからです」
「死刑が最終確定していてもですか」
「当然ですよ。罪の意識が無くなった人を殺せば、それこそ殺人でしょ」
小説講座で、ミステリー小説はTVを観て書いている受講生が多い。私の知識から陳腐に思えることがたびたび目にする。警察官と刑務官の職種の違いすら、混同している。
「TVはシナリオライターが書いているんだよ。プロデューサーだってプロ捜査官でないから、ノーチェックだと思った方が良い」
と指導することが多い。
「裁判を傍聴しなさい。生々しい現場を知ることができるから。どんな凶悪事件でも、公開だし、検事が証拠品を出してくる」
裁判所が証拠として採用するか否か。裁判官が採用した証拠品から、犯行の全体像をつかみ、犯人に間違いない、と決める。あるいは証拠からしても、無罪だとする。
歴史小説はこれによく似ている。たくさんの「歴史的な資料」を集めてくる。郷土史家などから意見を聴いたり、学術論文を読みこんだりする。執筆する上で、採用する、あるいは捨てる。
私たちは数百年前にタイムスリップできない。書簡や手紙など物証が正しいとは限らない。当人が生きていたときにも、嘘を書くことだってある。
「あなたが大好きです。あなた以外に考えられません」
そう手紙で書いていても、複数の異性と交際している。それが人間だという認識が必要だ。
完ぺきな歴史的な証明などできない。
幾つかの史実と称するものをストーリーをつけてつないでいく。虚構からより歴史的な真実に迫ろうとするのが歴史小説だ。
だから、歴史小説を書くためには、研ぎ澄まされた推理的な勘が必要になる。
ミステリーの場合は、まず犯行現場を描く。犯人はまったく見えない。複数の容疑者から絞り込んでいく。証拠の積み重ねで、真犯人を追い込んでいく。がさネタなどを排除しないと真犯人が遠退いてしまう。
ネットで検索していると、『これは歴史的な事実だ』と断定して書いている人がずいぶん多い。既成作家の意見をほとんど鵜(う)呑みにして、知ったかぶり、独りよがりである。
現地取材、歴史的な場所に立って思慮していない歴史マニアたちだ。
「この歴史小説は、事実とはちがう」
おおかたこの手のマニアだ。
「推理とは頭のなかで考えるのでなく、足で現場をなんども歩くことだ」
既成概念をくつがえす歴史作品を書きたい。それには、と執拗に新発見の史実をさがしもとめる。時間と経費がかかる。無駄を承知しながら、歩くほどに、いつしか思わぬ矛盾と出会う。
「なぜだ?」
そこには新発見の証拠への糸口がある。
「まさか。でも、真実かも知れないな」
掘り下げていくと、妙につながってしまう。さらに連鎖していく。これは誰もできなかった発見だと、ひとり興奮してしまう。今回も、えっ、と思う出会いがある。
執筆を手がけても、史家たちの既成の見方にはなお疑問が残っている。それを解くために、今月も長野と滋賀へと足を運ぶ。