第12回「歴史散策」は台風接近の横須賀港
こんかいの歴史散策は横須賀港だった。2014年7月10日は台風が接近ちゅうで、関東に達する進路予想だった。
世話役は井出さん(日本ペンクラブ事務局次長)で、数日前から、やきもきされたことだろう。
作家やジャーナリストたちは、それぞれ予定が詰まっている。7人の日程調整はピンポイントだから、予備日はない。「雨でも、雪でも、台風でも、交通機関があるかぎり決行する」という当初からの方針だ。
台風の接近だが、かまわず同港の観光船に乗る。さすが軍港だけに波静かだった。
写真(右から):井出さん、新津さん(ミステリー作家)、山名さん(歴史作家)、相澤さん(作家兼ジャーナリスト)、吉澤さん(日本ペンクラブ事務局長)、清原さん(文芸評論家)さん、そして私(穂高健一・作家)を含めた7人全員が勢ぞろいした。
日露戦争の日本海戦・旗艦「みかさ」の甲板で撮影。甲板下にいた若者をデッキまで呼び寄せて、「すみませんね」とシャッターを切ってもらう。
京急汐入駅に集合は午前11時だった。 台風は九州から四国あたりに進んでいた。いちどは上陸したから、大型でも勢力が弱まりつつあった。
当日の横須賀の予報は午前中が曇り、午後から雨だった。台風の速度はやや後ろ倒しになっていた。
同駅前では、強風が傘や頭髪を巻き上げる。
「現地の船会社に問い合わせたところ、軍港めぐりは運航するということです。猿島のほうは中止となりました」と井出さんが説明してくれた。
横須賀港は軍港だから、台風でも、波が立たない。港内には第7艦隊のイージス艦が接岸していた。1隻が1500億円もする。
ディズニーランドが一つ作れる。
戦争はまさに経済力だ。税金は使っても、人の命は使ってもらいたくないものだ。
ヴェルニー公園には、日本海海戦の石碑などがある。
和歌や俳句などの石碑もある。
ヴェルニー記念館では、江戸時代に外国から入ってきた製鉄所の圧延機とか鋳造機がある。本物、模型、実演コーナーがある。吉澤さん、相澤さんが愉しむ。
作家たちはみな文系だから、理論の吸収でなく、玩具のように遊んでいた。
軍港めぐりツアーは事前予約が必要。台風にもかかわらず、すでに全部満席だという。
横浜軍港めぐりは、最近、ずいぶん人気が出ているらしい。
横須賀の軍港は、日本の海上自衛隊も使用している。
潜水艦は横須賀と呉(広島県)だと、港内クルージングの案内係が放送していた。
ちなみに、呉に行くと、リタイアした潜水艦の艦内なかに入れる。そんな説明はなかったけれど。
軍艦を見ると、観光客はなにかしら高揚感がわくようだ。
多くの人が見入り、写真を撮っている。
横須賀軍港には小島がある。
そこで働く軍関係者が、対岸への渡し船を待っている。こちらに手を振っている。
これもサービス精神か。
横須賀の街なかは整備されて、お洒落だったり、
どぶ板通りに似合う、奇異なものがある。
なんだかよく解らないが、撮影してみた。
さあ、昼食だ。名物横須賀バーガー屋を目指す。
店頭の陳列には特大ハンバーガのメニューがならぶ。
一つ1000円ていどだ。
巨体な米兵ならば、ちょうど手頃なボリュームだろう。
日本人には大きすぎると思うが、「これにしよう」とみんな巨大なバーガーにチャレンジする。
待ちかねていたハンバーガーだ。
「さあ、来たぞ」
「美味しいわね」
好物に、顏がほころびる。
「これは食べきれないな」
口に出さずとも、食べる速度が鈍ってくる。
ぱくつくのは始めのうちだけだった。
神奈川歯科大学にむかった。校内には、初夏を告げるジャカランダの花があるという。
世界三大花木の一つ。葉はシダに似る。花は紫色で釣鐘形をしていた。花は一週間ほど盛りを過ぎていたが、それを確認できた。
日露戦争の日本海海戦で、日本が勝利した。「戦艦・みかさ」旗艦の東郷元帥と参謀たちの力によるものだ。否、水兵全員の力の結集だ。
この戦いの勝利は単に日本の喜びだけではなかった。
最も喜んだのはヨーロッパや中近東の人たちだった。巨大なロシアがつねに南下政策を取り、侵略してきた。ロシア帝国が、日本との敗戦で崩壊につながった。
「東の小島が、大帝国のロシアを破ってくれた。嬉しい」
侵略に悩まされてきたヨーロッパ・中近東の人たちの感激を誘った。
物書きは好奇心旺盛だから、あちらこちらに散ってしまい。人数が揃わない。最大公約数で、記念撮影してから、下船した。
「さあ。飲み会だ。しかし、夕方5時にはまだ早いな」
井出さんの案内で、三浦半島の地場の魚と野菜を売っているスーパーマーケットに立ち寄った。
お土産を買う。それでも時間が余っている。魚屋で水槽のサザエを刺し身にしてもらい、みんなで食べた。コリコリして美味しかった。
横須賀中央駅近くの居酒屋「萬菜」にむかった。古風で洒落た店だった。台風なので、2次会なしで、8時前に終了し、それぞれ帰路についた。