山岳歴史小説の執筆依頼をうける。舞台は天保時代の安曇野(長野県)
6月24日、務台代議士(同推進委員・事務局長)を衆議院議員会館に訪ねた。務台さんは超党派「山の日」制定議員連盟の事務局長である。
「いま『山の日』制定」の書籍の監修もおこった。(写真)
この折、2年後の「山の日」(2016年8月11日)にむけた、山岳歴史小説の執筆を依頼された。たんに登山だけでなく、山とかかわりあう人間の群像です、と要望を受けた。背景は、長野県の山と山麓にからむ天保時代である。
「天保の改革」の失敗、「天保の飢饉』による、大勢の餓死者が出たきびしい時代だ。小説としては、そのまま書くと暗さと厳しさが前面に出すぎて、読み手が息苦しくなってしまう。歴史小説だから、極度のひょうきん者など入れて、明るく笑いをとる人物設定などは難しい。
人間はきびしい中にも、明るさとか愛がある。そこらがポイントになるだろう。
天保時代のころ、僧侶たちの山岳登山が盛んになってくる。槍ガ岳を登った播隆上人の小説だけになると、「山の日」が登山の祝日と誤解を招く。
山とともに暮らす人々の群像を描く必要がある、と務台さんは語った。地元選出だけに、詳しいので、素材を提供してもらった。
当時は信州から飛騨に抜けて日本海に出る、「塩の道」の生活山岳道路がつくられた。さらには安曇野には大規模な治水による農地開墾があったという。
この3つを絡めた歴史小説でいきますと、私はお引き受けをした。
先々月から、「二十歳の炎」が脱稿し、次なる取材のひとつ阿部正弘(福山藩主・開国の首席老中)の取材に入っていた。ひとつ前の水野忠邦の「天保の改革」時代だから、さして違和感がない。
私には山岳小説の小説受賞作がいくつかあるので、登山は書ける。有名な播隆上人は過去に著名作家が書いている。それに影響されないように、当座は資料のみを読みこなせば大丈夫だろう。
山岳道路関係は、信濃大町の飯島善三を子孫を訪ねて調べたことがある。(明治初年に、いまの黒部アルペンルートを開拓した)。その時の知識は残っている。
『水を制する者は国を制する』
古代から江戸時代まで、各大名は治水には苦労している。新たな治水をするとなると、水の流れ、地形、地質あらゆる条件が付加する。
題材としては面白そうだが、私は江戸時代の河川工学を学ぶところから始めなければならない。
山岳道路の土木と、河川工学とは専門家がまったく違う。双方からしっかり学び、脳裏で濾過してから書く必要がある。学者の研究書のように引用すれば、すむものではない。小説で描くには、指揮する人、測量する人、掘る人、泥を運び出す人、堤の意志を運んでくる人、それらの汗を書く必要がある。
北アルプス山麓に足を運び、天保の人間模様を掘り出し、山と川と開墾地に向かい合ってみる。大自然の山とともに生きる人々から、どんな人間ドラマが生み出せるのか。有名・無名を問わず、魅力的な人物を克明に描けば、よい山岳歴史小説になるはずだ。