第10回文学仲間たちと、雪の「世田谷を歩く」
文学仲間の歴史散策がちょうど10回目を迎えた。日本ペンクラブの広報委員、会報委員、事務局長、同次長など7人が、2011年8月9日の猛暑の葛飾立石に集まった。下町を歩いて、そして飲もう。そんなかるい気持ちだった。「次はどこか別の場所を歩こう」
ごく自然発生的に、浅草だの、川越だの、横須賀だの、と候補が上がった。
3-4か月に一度くらいは、歴史散策、歴史研究、知識の提供・共有化など、というほど大げさなものではないけれども、皆で、街を歩いて愉しんでいる。
7人はそれぞれ文筆にたずさわる。出かければ、なにかと取材という役目を背負うことが多い。しかし、この歴史散策だけは別に出版社に原稿を出すわけでもないし、締め切りもない、取材で眼を光らせるわけでもない。開放感に満ちている。ひたすら、「好きな歴史」を楽しんでいる。そして、ほどほどの知識(飯のタネ?)を仕入れている。
今回は『世田谷歴史散策』で2014年2月19日(水)だった。夜の飲み会は、南米のワインの話で盛り上がった。ちょっとワイン通になれた雰囲気があった。
1週間前の天気予報だと、当日は雪だった。
今年の大雪が多い。やきもきさせられた。なにしろ、1か月半前頃から日程を絞り込み、調整し、ピンポイントで決めた日だ。ながれたら、2カ月先になってしまう。
「交通機関が動いているならば、決行としましょう。雨ならば傘を差せばよい」
と前日に決定となった。
理由の一つには、吉澤さん(日本ペンクラブ事務局長)の提案で、南米料理店が予約されている。
「順延では店に負担がかかり過ぎますので……」
相澤さん(同・理事、広報委員長)の配慮があったから、ともかく決行の決意だった。雨や雪はふらなかった。ただ、積雪の街歩きだった。
2月だから、気温が低くて、風が吹くと、寒さが身体に堪える。それは仕方ないし、計算のうえだ。
ルートは山名美和子さん(同・会報委員、歴史小説作家)が立案し、清原康正さん(同理事・会報委員長・文芸評論家)が監修である。
新津きよみさん(推理小説作家)、井出勉さん(PEN・事務局次長)、私・穂高健一のいつもの7人である。
東急世田谷線・三軒茶屋駅の改札前が集合だった。田園都市線駅と同名だが、乗り換えルートがわかりにくい場所だった。集合場所の改札には、「えっ、誰もいない?」となると、日にちを間違ったのか。そんなことはない。駅員に聞けば、改札口はここしかなかった。
駅ビル内で、寒さ除けで皆が避難して待っていた。やはり、私が10回連続して、ビリの集合だった。ほとんど遅刻だったけれど。
世田谷線の車両はカラフルでおしゃれだ。情緒にあふれている。車窓から「目青不動」の教学院を見ながら松陰神社前駅に到着した。
車道と歩道が区分けされていない商店街を進む。新旧の店が混在していた。足を止めたのは酒屋の前である。『吉田松陰ビール・370円』である。物書きは酒とたばこが切り離せないようだ。
松陰神社は、幕末の吉田松陰の墓所である。松陰は処刑後に小塚原の回向院に埋葬されたが、高杉晋作らによって同神社に改葬されている。同社の境内の随所には、幕末史に残る長州志士たちの名前がある。松下村塾を模した建物もあった。
近代史フアンにとっても、たまらない魅力の場所だろう。
吉田松陰は、思想家でもあり、大勢の幕末志士たちを育てた教育者でもあった。志半ばにして、安政の大獄で処刑された。
「現在は熱狂的な松陰フアンがいるよ」と井出さんが教えてくれた。
皇国思想に惚れているのか、指導者としての魅力なのか? 過激な倒幕思想が心にひびくのか。フアンの当人は松陰と直接に接したことがない。突き詰めれば、歴史書や小説上で惚れ込んだはずだ。(あるいは映像化されたもの)。
物書きの筆の影響力を感じさせられた。
東京聖十字教会に行った。山名さんが「レイモンド設計の合掌造り風建物」と紹介する。教会の中に入るか否か。「帽子は脱げ、コートは取れとうるさいよ。牧師の話は20分はある」という話から、だれもが躊躇(ちゅうちょ)し、外観見学に終わった。
山名さんは朝日カルチャーで公開講座『歴史散策』の講師をしている。彼女はわりに速足だ。「どのくらい受講生がいるの?」
「だいたい30人くらいかしら」
「山名さんの足だと、後ろが遅れないの?」
「事務局が最後尾にいるけど、はぐれたこともあるわ」
とエピソードとして語っていた。
『ボロ市通り』に入ると、世田谷の大イベントだけに、皆が感心を持つ。だが、これだけは熱気を肌で感じ取るしかない。12月には個々に行ってみよう、と話になった。
世田谷代官所が残されている。隣接するのが、「世田谷区立郷土資料館」である。古代から昭和まで展示されている。
全員が歴史に専門的な関心度が高いだけに、じっくり見学した。 館内は撮影できたので、山名さんにタイムカプセルに入ってもらった。
こんなふうに、私はけっこう写真を楽しんでいる。
その続きになるが、
世田谷八幡宮には『江戸三大奉納相撲』の土俵がある。コロシアム風の観覧席だ。その折、私がカメラを構えて、「古関雅仁さん、佐藤恵美子さん。写真を撮りたいから、土俵で相撲を取ってみて」とモデルをお願いした。
男女ががっぷり四つだった。
「まさか、二人が結婚するとは、びっくりよね、おどろきよね」と新津さんが語る。
「それを世間に発表すれば、『縁結びの土俵』になるよ」と清原さんが真顔で語っていた。
ふたりは初婚か、再婚か。新津さんと私の情報を重ねると、再婚どうしだった。『再婚の縁結びの土俵』と結論づけた。清原さんの話から、ここで紹介してみた。
ちょっと惚れた相手がいれば、この土俵にきて、互いに胸を突き合わせて相撲を取れば、心と心がつなぎあえるかも。冗談も、ときに真実になることもある。再婚したいなら、試したら、どうだろう。ご利益があるかもしれない。
「その前に離婚しなければ」
こんなストーリーをつくったら、ややこしくなる。
勝光院は世田谷城主の吉良家の墓所である。「吉良氏は小田原北条氏の傘下だった。その後に徳川幕府下で30石を賜う」と山名さんが説明してくれる。
「豪徳寺」はりっぱな寺だ。彦根藩・井伊大老の墓がある。『招き猫伝説』でも有名だ。この境内には無料ガイド押し売りのおじさんがいる。それも名物に挙げてもいいのではなかろうか。
それはともかくとして、井出さんが井伊大老の暗殺にはくわしくて、幕府側の狼狽する様子を語っていた。
世田谷城址公園・城址の土塁を歩き。古城は現代感覚で、よくぞこんな堀切や胸壁ていどで、敵の襲撃を守れるものだと思ってしまう。
やがて、吉澤さんの案内で、世田谷線宮の坂駅から豪徳寺駅へいく。そして、待望の南米料理『コスタ ラティーナ』へいく。 外壁のイグアナがトレードマークが目印だが、店内には本ものがガラスケースに入っている。
『コスタ ラティーナ』は本格的なラテン料理(メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、キューバなどの南米各国など)メニューが豊富だ。イベントスペースです本ものの味である。なにしろ、南米の調理人が作っているのだから。
ラテンリゾートな店で、夏場は屋上で、バーベキューもできる。1階レストランバー、2階オープンキッチン、3階はパーティ。吉澤さんが店内を案内してくれた。
渋谷駅からバス停で3-4先で、お客さんが来るのかな、と思いきや。食通の方はずいぶんいるものだ。カップルもいる。それにも驚かされた。
東京は世界中の料理が食べられる。なるほどな、と思った店だ。
みな語るのが大好き人間だ。文学論、文壇、そして最新作などを語る。脱線しても、どこか物書きらしい話題だ。ワイン論から海外文化など話題が拡がっていた。
私ひとりビールを飲んでいると、なにかしら場違いな感じがした。とても南米色のある素敵な店である。せめて、写真を撮るときくらいはグラスを持ってみた。
【関連情報】
『コスタ ラティーナ』(Costa Latina)
目黒区駒場1-6-12 03-5465-0404)