A020-小説家

73回 元気100エッセイ教室 = 距離感と濾過

 人の胸を打つエッセイ作品は、そう簡単に書けません。出来事(素材)を最低でも、半年くらいは頭のなかで濾過(ろか)させる時間が必要です。それはプロアマを問わずです。

 エッセイを書く場合は、まず素材をどう選ぶか、とあれこれ考えます。いま起きた出来事や、最近体験した事柄、日常些事などは記憶が鮮明なので、実に書きやすいものです。
 ジャーナリストならば、「報道記事」として、時間を置かない方が、場面がすぐによみがえるし、より事実に近いところで書けますから、内容がより正確になります。記事ならば、すぐに書くべきです。ある意味で、ルポもそうです。

 しかし、エッセイは逆です。作者が頭のなかで熟成(じゅくせい)する月日が必要です。思考を川の流れのように上流から下流へと進ませるのです。

 日常生活のなかで、いま起きた出来事をすぐに書けば、どうなるでしょうか。「こんなことがありました」という単なる紹介や報告調の内容の浅い作品になりがちです。橋の上から見た情景ならば、そこだけの内容になります。
 作者の創作技量が高く、器用に、上手く取りまとめられても、作品の内容が薄いものです。そのうえ、大げさな言葉が多かったり、語彙の使い方が上滑りだったり、文章の体を為さなかったり、どこかしら欠陥があります。

 顔見知りの読者ならば、「えっ、そんなことがあったの……」と仲間うちの出来事として、多少は興味を示してくれるでしょう。赤の他人の心には響かないものです。
 作者自身が苦しみ、裸になって、物事の本質を描く、上流から下流までも視野に入れた、本音で書いた作品と比べるとはるか遠く及びません。

『書きたいものはすぐに書くな』『これは感動させられる作品になる、と思ってもすぐに手を出すな』
 これはエッセイや小説の鉄則です。

 それはなぜか。作者が素材を決めてから、頭のなかでテーマを絞り込み、構成を考える。そして、書き出しはどうするか、とあれこれ迷う。心理描写と表現方法の字句を選ぶ。登場させる人物に対してどこまで書くか、とこれもあれこれ考え、迷う。
 頭のなかの消しゴムで、書いては消し、またしても書いては修正する、それをくりかえすことが濾過です。

 遠い昔のこと、過去の出来事でも、「あれを書こう」とふと思い起こす。それをエッセイの素材に決めてからも同じです。書きたいと思った瞬間、そこを起点として、半年間以上の思慮(しりょ)が必要です。つまり、頭の脳細胞のフィルターを通した、ろ過が必要なのです。

 読者の心を打つ作品は、作者が作中の「私」を冷たく突き放し、距離感をとる作業を通すことで、生まれてきます。作者は自分に厳しく、頭のなかで昇華させると、「人間って、そうだよな」という読者の共感が得られます。

 この濾過の工程を縮めると、「作者は苦しまず、楽に書いた」と、とかく酷評されがちです。

                                                                                                                                                                                

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