A020-小説家

夏のPEN例会で、「思想・表現の自由」の重要性を再認識する

 日本ペンクラブ七月例会が7月16日午後5時30分から、千代田区の東京會舘で開催された。
 浅田会長は冒頭の話題として、7月の35度が4日間もつづいた猛暑を取り上げた。昭和元年から同20年まで35度の日は1回しかなかった。さらに昭和時代はわずか数日で、それも連続35度は一度もなかった。平成時代に入ったいまの異常気象を語る。
 浅田さんはパソコン(ネット)をやらない。書斎にはそれらの知識を引き出せる本が積まれている口ぶりだった。

 毎回、例会では20分間のミニ講演がある。佐藤アヤ子さん(明治学院大学教授)がタイトル『国際会議に参加して』のスピーチを行った。日本の文学作品がもっと海外に翻訳出版される、そうした体制を作るべきだと強調していた。

 パーティーに入ると、野上暁さん(常務理事・写真右)と、6月21日の日本ペンクラブ「憲法九十六条改変に反対する」声明と記者会見の内容について語りあった。
「野上さんの説明はとても解りやすかったです。中学生、高校生でも理解できるように……」
 その会報記事(写真・文)を担当する私は、記者会見の場を取材していた。

「総選挙の低い投票率を考えると、全有権者の3分の1くらいで議員に当選している。その議員が3分の2で憲法改正を発議しても、国民の総意からすれば少ないくらい。それなのに、議員の半数で拳法が改定なんて、暴論ですよ。国民の総意をまったく反映していない」
 野上さんはそう強調されていた。

 憲法と法律の違いについて、吉岡忍さんの説明も解りやすかった、と2人して話す。

『憲法は国家権力がどういう範囲内で、行政、立法、司法をやってよいか、と政治の枠組みを定めた、為政者の行動を規定するもの。法律とは国民の行動を規定するもの』
 一般の法律のように、議員の半数で憲法が改定される、とハードルを下げてしまえば、衆参の半分以上の議席を取った与党がそれだけで、憲法改正の発議ができる。時どきの政府が自由に憲法を変えれば、社会の根幹を変えてしまう、と吉岡さんは記者会見で説明していた。

 このさき憲法を改正し、「公共の秩序の維持」、という甘い言葉で法律までもが変えられたら、まさに官憲の弾圧を招いた、戦前の治安維持法の暗黒の時代に逆戻りする。九条とともに、重要な問題である。それは野上さんと私の共通認識だった。

 日本ペンクラブの約1800人には、多種多様な考え方、見方、思想がある。思想信条の自由がある限り、それぞれが自身の意見を述べていくべきだろう。それが作家の役目の一つだと考える。

 夏場のパーティーは毎年、出席者が少なめである。およそ200人くらいだろう。国際弁護士の斎藤輝夫さん(ニューヨークにも事務所)から声をかけられた。
「ネットで日本ペンクラブを検索していたら、穂高さんのHPにヒットしました。多彩な活動で読み応えがありますね」と妙に感心された。
 斎藤さんはこのたび国際委員会に任命されたという。同委員長とはまだ面識がない、と話す。ミニ講演の佐藤アユ子さんが同委員長である。私はよく知る人だ。
「ご紹介しますよ」
 彼女のいる場所に案内した。二人は国際通だから、すぐに打ち解けていた。


 その場を離れると、吉岡忍さんが声をかけてきた。
「2、3日まえに、(穂高)着歴があったけど?」
「轡田さんが立石に来るから、ひと声かけてみようか、と思っただけですよ」
 すぐに返事をもらえる吉岡さんだけに、忙しさは読み取れたと話す。
「いまメチャメチャ忙しくて。電話をかける余裕すらなくてね。実はTVドキュメントとの審査委員長で、ずっと映像を見っぱなし。9月の立石の飲み会は10月にしてよ」
「9月末か、10月に設定しましょう」
 弁護士の斎藤さんも、講談師の神田松鯉さんも楽しみにしている。

「海は憎まず」の話題が吉岡さんから(帯を書いてくれた)出てきたので、私はいまフクシマ取材をしていると近況を話した。
 先日は飯舘村の村長に取材しましたよ、と補足した。
「ぼくもあの村長に会ったよ。飯舘はしっかり追いかけると、これまでにない作品が生まれるよ。日本人が誰も描かなかったものが……」
 時代の切り口が鋭い吉岡さんだ。フクシマ小説に対するいくつかのヒントを頂いた。


 ととり礼二さんに会ったので、先月は幕末因州藩の取材で鳥取市に出向きましたよ、と戊辰戦争の一部を語った。

 二次会は広報メンバーと銀座に流れるつもりだった。東京會舘ロビーで、「金陵グループ」の面々から声をかけられた。そちらに合流し、俗にいう有楽町のガード下で、日本酒「金陵」(直営店かも?)へと足を運ぶ。日本酒が好きな作家たちだが、私はビール党で押し通す。

 隣り合う保岡孝顕さん(上智大学国際研究所・写真左から2番目)は、昨年8月の狛江市平和フェスタ―に来ていただいた。その時の私のショートスピーチが心に響いたよ、という。岩手・宮城に取材で17回も、それも自前で足を運んだと、保岡さんはそれを知るだけに、「海は憎まず」を執筆した作家精神はとても価値あるものだよ、と賞賛してくれた。そのなかに、不都合は報道しないジャーナリズム批判をも強く押し出しているだけに、なおさらだった。

 私はいまフクシマ原発を取材している。『原発事故の危険な事実が世に出せば、住民がパニックになる』。そんな大義名分で、事実隠しがなされている、と私は推測している。マスメディアがそれを知っていて伝えない、あるいは伏せている。これら事象や真実を世に顕在化させて描く。
 それが商業ジャーナリストにない、小説家の役目だ、と私は思っている。

 国家や官僚や巨大企業が支配する日本国内で、武力や官憲の妨害がなく、たった1人の作家がフクシマ原発事故周辺で取材活動できる。なんといっても「思想信条の自由」が守られているからだろう。
「ペンは剣より強し」
 それが風化したらダメだ。孤高の作家でも、ペン一つを持って突き進む。そんな思いを強く感じた日だった。
 

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