PEN仲間2次会、3次会、神田松鯉(講談師)の話題で盛り上がる
日本ペンクラブの定例総会の後は、吉岡さん(ノンフィクション作家)、ととりさん(歴史作家)、相澤さん(ジャーナリスト)、古川さん(編集者)たち6、7人と東京會舘から流れ、隣のビルの居酒屋に移った。
同総会のゴタゴタした話題はさらっと流れた。盛り上がったのは5月27日(土)日本橋亭で開催された、神田松鯉さんの講談・江戸時代の人情ものだった。
日本橋亭に行っていない人たちのために、吉岡さんがストーリーを語った。
時は江戸時代。元井伊家の貧しい浪人が、大店の座敷に上がり込んで碁を打っていた。浪人が帰った直後、その部屋から50両がこつ然と消えていた。番頭は浪人を疑う。
「あの人にかぎって、そんなことはない。ぜったいに疑ったことを申してはならぬ」
と主は囲碁仲間を信じ、番頭に釘を刺していた。
あの座敷には囲碁を打つ旦那と浪人しかいなかった。犯人は浪人に間違いないと、番頭は確信を持った。
ここは主には内緒で、と番頭が浪人がすむ長屋に出むいた。疑われた浪人は、盗んでいない、しかし身の潔白を証明する手立てなどなかった。
「ならば、50両は明日まで作ろう。もし後日、その50両が出てきて、清廉潔白の身が証明されたならば、亭主とそのほう番頭は手打ちに致すぞ」
「お受け致します」
番頭は胸を張っていた。
このやり取りを隣部屋で、浪人の娘が立ち聞きしていた。
「親子の縁切ってください、父上」と申し出る。家と断絶してから、娘は身を吉原に売り、50両の金を用立てた。泣かせる場面である。
浪人はそれを大店に届けた。
月日が流れて50両の事件が忘れかけていた。
江戸中が年の瀬で大掃除をする12月13日に、大店の家でも恒例で隅々まで大掃除が行われた。鴨居の額の裏側から、50両が見つかったのだ。大騒ぎとなった。店の者が浪人探しを行う。年が明けた梅香る湯島天神で、番頭が浪人と出会ったのだ。
「さようか。50両が出てきたか。約束通り、主とそちを手打ちにいたす」と浪人は妥協しない態度を取る。
このさき素浪人は大店に乗り込む。仁侠で、結末に及ぶのだ。
江戸時代の武家は『個』の人格尊重よりも、『家』が最優先された。「家にとって不都合な状況下になると、親子、親戚縁者との縁切りが行われていた。家と縁を切れば、もはや赤の他人。わが娘が身を売り、金を作っても、「家」には無関係である」
現代ではとても考えられない発想だ。日本橋亭に行った、吉岡さん、ととりさん、相澤さん、そして私を含めて、大御所・神田松鯉さんの名演を褒め称えた。
「もう一軒行こう」
誰かれとなく銀座のバーでPENのたまり場『たかはし』にいく。すでに清原康正さんや菊池由紀さんなど6、7人がカウンター飲んで歌っていた。われわれが到着してから15分ほどすると、賞賛していた神田松鯉がふいに現れたのだ。ふたたび 盛り上がった。
世界フォーラム(日本ペンクラブ主催)で、松鯉さんが壇上で朗読した小説がある。それは昨年ノーベル文学賞を受賞した獏言さん(中国)の作品だ。私がそれを話題にし、ラストのコケコッコー(日本・中国の言い回しとは違う)の鳴き声は良かったですね、というと、松鯉さんはとても思い出深いものでした、と感慨を語っていた。
「秋にでも、東京スカイツリーの展望台で、神田松鯉さんの講談会をやり、流れて立石で飲もうよ」
吉岡忍さんが提案する。
「立石良いね」
松鯉さんも大乗り気だ。
そばにいた、国際弁護士の斎藤さん、国立天文台の東大教授の郷田さんも、立石の飲み屋に行きたいと関心を持つ。
「私も誘ってくださいよ」
菊池さんが念を押していた。
PENメンバーの立石人気は高まるばかり。作家仲間の新たな顔ぶれが、今秋には立石の裏路地の安酒場に現れるだろう。