A020-小説家

タイトル:なぜ「海を憎まず」でなく、『海は憎まず』か。「を」、「は」の違い

 多くの人から、文法的にみれば、『海を憎まず』ですよね、と訊かれる。カルチャー教室でも「小説」を教えている作家なのに、単行本のタイトルの助詞が間違っている。そんな顔もされる。

 人間の立場、人間の眼から見れば、「海を憎まず」だ。それは当然の疑問だろう。

 海を主体に置いた、海の方の視点でみれば、「海はなにも人間を憎んでいない」。大自然は決して人間の敵ではない。
 人間が憎いと思って、海が大津波を引き起こしたわけではない。人間側と海側と、双方の眼から見れば、「海は憎まず」が中庸として成立する。

 さかのぼること、同書を書くために三陸の各地を回っていた。陸前高田市で、ある50代の漁師を取材中に、
「津波は必要なんだよ」
 と真顔で話す。
「えっ。必要なんでか、津波が」
 私はびっくりした。
 
 東日本大震災は人間社会を破壊した。こんなにも大災害で、大勢の死傷者を出し、漁船など生産手段を奪われながら、なぜ津波を怨んではいないのか、私には理解ができなかった。

「津波は、人間が汚した海底の、どぶ掃除をしてくれるんだ。津波がくるたびに、海がきれいな状態に戻ってくる。数年に一度は津波がこない、と日本人は魚介類を満足にたべられなくなるよ」
 そう言われると、人間はあまりにも海を無造作に汚しすぎてきた、と妙に反省するものもあった。

「何十年に一度は、とんでもない大津波がくる。船もイカダも、一切合財津波が持っていかれてしまう。その時は、悲しくてつらい。でも、海から(漁獲で)貰った財産だ、生涯に2度くらいは海の神様に返す。そう自分に言い聞かせている」

 この話は、気仙沼大島の漁師もまったく同様に語っていた。
「2、3年に一度の津波はとてもありがたいんだ。津波は海岸に近いヘドロを沖まで、熊手のように、あらいざらい沖へ持って行ってくれるんだ。台風など嵐は海上の上辺だけが波立つだけで、海底の掃除までしてくれない」

 
 津波と人間は共有しているんだ。
 そう考えると、この本のタイトルは、人間の目線の「海を憎まず」ではだめだ。海側も包括した、「海は(人間を)憎んでいない」という立場も入れるべきだ、と考えた。

 タイトルをそう決めてから、なおも毎月、三陸取材を続けていた。漁師のみならず、一般の生活者、教員、だれもが「いいタイトルですね。私たちの気持ちをよく汲み取っています」と感銘してくれた。「は」→「を」への指摘など一度もなかった。
 あえて海の男、海上保安署の署長などに聞いても、「は」が好いですね。「を」じゃないですよ、と賛同してくれる。

 他方で、都会人だけが文法的に「海を憎まず」じゃないですか、と指摘すると気づいた。
「そうか、都会人は三陸のニーズは汲み取れていないのか」
 私が取材をはじめた時と同様なんだ。
「津波は悪」と都会人は信じて疑わないのだ。

 3・11大津波から1年11か月が経った。
 中学生のカキ養殖体験の取材で、2月22日に、陸前高田市の海岸に出むいた。その海岸にやって来た、女性の年配者に声をかけると、こう語ってくれた。
「私は、海は憎んでおりませんよ。海が大好きなんです。今回はちょっとばかりイタズラが過ぎましたけどね」
「イタズラですか」
「そうです。私は家まで流され、身内も死んだ。2年もたてば、海はちょっとばかりイタズラをした、と思えるんです。いま仮設住宅で一人住まいの身になりました。だから、毎日、こうして海を見に来るんです。すると、とても心が落ち着くんです」
 婦人は微笑んでいた。心から海を愛しているだな、と想えた。

 三陸のひとは明治大津波、昭和大津波、チリ地震大津波と、とてつもない被害に遭っていながら、故郷の大好きな海から逃げ出さない。
 中学生たちも、漁船に乗って、沖のイカダに出かけた。幼いころから、海と共存しているのだ。

 その婦人と出会って、東京に帰ってきた。「海は憎まず」の最終校正である、著者校正が待っていた。このタイトルでよいのだと、私は年配の女性から確固たる信念をもらっていた。

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