A020-小説家

ドナルド・キーン講演「90歳で日本に帰化・うれしい」=ペンの日

 11月26日、東京・千代田区の東京會舘で、「ペンの日」が開催された。1935年11月26日に、国際ペンの組織の下に、島崎藤村が初代会長として創立された。毎年、この日を創立記念日「ペンの日」として祝っている。会場には、全国から会員や来賓者が多く集まった。

 PENが発足当時の日本は、満州事変、国際連盟を脱退し、国際的にも孤立していく、暗い時代だった。さらには日中戦争、太平洋戦争へと突き進んでいく。
 と同時に、治安維持法などで、多くの作家が言論弾圧を受けた。それでも、『言論の自由』『戦争反対』の二つを柱とする日本ペンクラブが存続してきたのだ。

 なぜ戦後まで存続できたのか、と私はいつも不思議に思う。最も早くにつぶされてもよい団体なのに。そこに文学精神の強靭さがあるからだろう。

 国際ペン(本部・ロンドン)は、「獄中作家」の支援を行っている。21世紀でも、世界を見れば、ノーベル賞の受賞者でも、自宅軟禁とか、獄中の作家が今なおいる。信念を曲げず、体制に屈しない。つよいな、と思う。そういう作家が戦前、戦中にも日本にもいたから、日本ペンクラブが存続したことは間違いない。

「日本ペンは設立してから、77年が経ちます。喜寿の日です」
 浅田次郎・第16代会長があいさつした。77年間の先輩諸氏の作家たちを讃えていた。

 会場内には、篠笛が厳かに演奏された。そして、紹介されたのが、ドナルド・キーンさん(1922年生まれ)だ。20分ていどの講演が行われた。

 今年90歳になったキーンさんは日本人になった。日本語の著作は多い。「明治天皇」など。外国人では初めて2008年に文化勲章を受章している。

 18歳の時に、タイムスケアで古本を探していた。貧しい学生で、安い本はないか。厚くて安い(49セント)で購入したのが、アーサー・ウェイリー訳『源氏物語』だった。
「文学はギリシアから世界に広がったと思っていたが、日本にも独自の文学があった、と驚きました」と話す。そして、日本語を学び始めた。

 当時は第2次世界大戦中で、武器を使わなければ、ナチス・ドイツ軍の侵略を止められなかった。しかし、源氏物語を読んで、人間が人間は殺すことはない、と思った。

 キーンさんはアメリカ・ペンの会員だったことから、57歳の時に、初めて「ペンの日」に参加した。日本語はわからなかった。当時は川端康成会長だった」と話す。

 1957年に、国際ペン東京大会が開催された。それにも参加している。
「ちょうど台風の季節でした。川端康成会長が、世界最古の木造建築でも立(建)っているから、台風が来ても安心してください、とスピーチしたのが印象的だった。実際にその通りで、台風の被害はなかった。
 この京都のパーティーは素晴らしかった。この大会を機に、日本文学が世界の文学の仲間入りをしていった、と話す。

 日本文芸家協会の篠会長が祝辞として、「キーンさんから、日本人はカタカナを使いすぎる。和文学を尊重するようにと指摘された。カタカナ文学に流される傾向がある。古き良き日本語を大切にした文学を推し進めたい」と述べた

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