第62回・元気100エッセイ教室=「対比法」で書こう
叙述文学とはなにか。小説にしろ、エッセイにしろ、人間を書くことである。
人間は一人ひとり様ざまな性格をもっている。親兄弟でも、容姿も違えば、考えも行動も違っている。「私」とはあらゆる面で違っている。まして、他人ともなれば、顔や形も違えば、趣味も違う。そこをしっかり観察することである。
エッセイの善し悪しは、それぞれの「性格の違い」「考え方の違い」「行動の違い」をどのように描けるかにかかってくる。「違い」に的を当て、掘り下げる、と良質のエッセイが生まれてくる。
日常生活の出来事、事件や事故の遭遇、奇異な出会い……、それがどんな奇抜で珍しいことでも、『人間の違い』が描かれていなければ、単なる紹介文(記事的)で、読み手には、「そんなことがあったの」という淡白な読後感になってしまう。
「違いを書く」とはいかなる方法があるか
それは「対比」することである。対比が極端に違うほど、読み手は求心力を強める。
①私と登場人物の「性格の違い」がとくに重要である。人の動きにまで及ぶ
②ひとつ場面で、過去と今回の違いを比較させる。読み手の理解度が高まる
③まわりの人物の容姿、着衣、着こなしなどを比較する。人物が立体的になる。
対比法のテクニック(技法)
①会話に反論を織り交ぜると、人物がイキイキしてくる。
「キミの妹は気立てが良さそうだね」
「まるで、逆だよ。勝気で、我が強く、兄の目から見ると、あんな妹は嫁にもらいたくないね」
②地の文(用語の使い方)として、反対語をもちいる。
・監督の血管は寒流だ、コーチの血管は暖流だ。そのくらいの違いがある。
・独奏より、合奏の方が好きだな。
・朝日よりも、夕日が心にしみる島だ。
③類似的な実例よりも、相違的な事例を織り込む。作者の切り口が光ってくる。
・巨人と阪神の攻守の違いを語る → 巨人と鹿島アントラーズの戦略の相違を語る。