A020-小説家

文学仲間たちと『深川歴史散策』、そして門仲・居酒屋で語る 

4月18日は快晴で、気持ちの良い深川歴史散策の日和となった。集合は清澄白河駅(江東区)だった。日本ペンクラブ・広報委員会、会報委員会の有志で、今回が4回目となり、メンバーは固定している。


 清原康正さん(会報委員長・文芸評論家)、相澤与剛さん(広報委員長・ジャーナリスト)、新津きよみさん(推理小説作家)、山名美和子さん(歴史小説作家)、井出勉さん(PEN・事務局次長)、そして夜の部だけとなった吉澤一成さん(PEN・事務局長)、それに私の7人である。


 第1回は11年8月9日の猛暑の葛飾立石だった。東京下町の昭和が残る町を見てまわった。2回目は江戸幕府との縁が深かった小江戸の川越。3回目は文人たちの碑が多い浅草だった。

 今回のルートは清原さん、相澤さんの2人によるものだ。まずは荒井白石の墓がある報恩寺に向かった。愉快なお土産物などもあった。


 数日前には、山名さんから郵送で、彼女が執筆した「江戸への旅」(名城をゆく・第9号)(小学館)が自宅に届いていた。
 本所深川界隈『藤沢周平を歩く』に記載された、「蔵前・門仲で下町人情に出会う」とか、「深川の水と闇にたゆたう情念」とか、「両国橋を渡り、柳橋から舟遊び」などが、今回の歴史散策に関連した、興味ある内容だった。


 山名さんは現在、埼玉新聞に「甲斐姫翔る」を連載している。いま秀吉の小田原城攻めで、40数回に及ぶ。この先、埼玉県内で激戦が繰り広げられるので、一段と熱気がある執筆となろう。前々から、彼女が最も書きたかったところだと語っていたから。


 新井白石の墓を目ざす途中で、「出世不動があるぞ。縁起がよさそうだ」と予定外の寺を見つけ、足を運んだ。「作家となった今、出世でもないしな」という軽口も出てくる。
 しだれ桜がとても雰囲気の良い、小さな境内だった。

 報恩寺に足を運びいれた。肝心の荒井白石の墓は囲いがあって中に入れない。(見ることは出る)。白石は晩年に執筆した名著が多く、それらは高く評価されている。

 幕藩体制のなかで偉業をなしたか。見方はそれぞれに違ってくる。徳川将軍の第6代家宣、第7代家継と2代にわたり、一介の旗本の白石が幕政を牛耳ったのだ。良い施策もあるが、独善的な考え方で、「将軍の命令だ」と強引さで貫いた。
 それら白石の推し進めた政策が、あとに続いた吉宗にはことごとく否定されてしまうのだ。

「江戸時代にはいろいろな大改革が行われたが、見方を変えれば、庶民いじめだからね」と井出さんがいえば、相澤さんも賛成する。「田沼意次も決して悪い人物ではなかった」と山名さんも話す。
 歴史作家たちだけに、教科書的な価値観から脱却し、それぞれの意見を繰りだす。


「深川江戸資料館」に向かった。この間に、下町の店などをのぞく。道々、新津さんから「(私の友人の)22日・ギターコンサートの招きをキャンセルして悪いわね」と詫びられた。彼女は著名ミステリー作家だけに、作品がTVドラマ化されることが多い。今回はじめて映画になり、監督や俳優と顔合わせが急きょ22日になったのだという。「映画優先は当然ですよ。ギターはまたの機会も作れますから」と応じた。


 同資料館に入る前、清原さんが「きのうは徹夜し、朝食も取らずに来た」といい、喫茶に入った。私も空腹を覚えていたので、ふたりして太鼓焼とたこ焼きを食べ、小談してから、館内に入った。


 ひとたび足を踏み入れると、そこは江戸時代の庶民の街なかである。火の見やぐら、船宿、籠めや、八百屋、長屋、井戸や便所などが、まさに実物大で再現されている。
 さらには、鶏の鳴き声、ネコの鳴き声、アサリ売りの声、時を知らせる鐘の音がひびく。江戸の雰囲気がわが身を包んでくれる。タイムスリップさせてくれる。
 

 メンバーは歴史作家を中心とした物書きだけに、それら江戸時代の庶民生活に一つひとつ興味を持っていた。と同時に、時代小説家たちの名が次々に出てくる。そして、それら作品の背景や情景が語られる。
 私にとっては、とても有意義な解説付きである。


 同館を出ると、小名木川の高橋を渡る。ここは人工の運河で、江戸時代にはチョキ船でコメなどが運搬されていた。各藩の米蔵でもある下屋敷も多かったところだ。

 相澤さんが「どぜう」の店を見て回ろうといい、足を延ばす。「以前、韓国人と一緒に食べに行ったら、一匹も食べなかった。きっと泥臭いし、あの匂いが嫌いだろうな」という話が飛び出す。


 浅田次郎PENクラブ会長など7人が、チェルノブイリに出向いている。「きょうあたり到着するのかな」という話題が出てくる。「まだ連絡が来ていない」と井出さんが話す。
 PENクラブは脱原発の作家が多く、フォーラムも開催されているので、それら関連の話題が随所で出てくる。

 芭蕉庵跡地で、大正6年に東京が津波に襲われて、ここら一帯は被害を受けたという表記があった。津波が他人事ではないという認識になった。
 3.11の大津波が来たならば、どれだけ避難が可能か。高層マンションの玄関などはオートロックで、住民が逃げ込めないのではないか。液状化現象はどうなのか。誰にも潜在的な不安をもっている。それは間違いないところだ。

 案外知られていないのが、関東大震災で、鎌倉が大津波に襲われて、大きな被害を受けている点だ。「最大の死者が出たし、鎌倉大仏の首も吹き飛んだ、むろん建屋も流出した」と井出さんが話す。
 
 
 芭蕉展望公園は、隅田川の眺望に恵まれている。橋を潜り行きかう観光船が上りからも、下りからもやってくる。
 こちらの河岸では、釣りをする相撲取りの姿が散見できた。高田川部屋の力士らしい。「親方は安芸乃島で、現役時代に最も金星が多かった」と、相澤さんが話す。時事通信出版社の元常務だけに、これら情報には強い。

 深川えんま堂では、祈願が楽しめる。19種類のさい銭箱がある。商売繁盛、息災延命、交通安全、家内安全、なかには浮気封じがある。小銭を入れると、エンマさんが講釈(説教?)を述べてくれる。


 富岡八幡宮では明治33年に建立された、歴代横綱を顕彰する「横綱力士碑」を見た。そして、隣にある深川不動にいく。新築の堂の外壁が梵字でデザインされていた。
「あの梵字は何を意味するのかしら」
 新津さんが興味を示すので、私が僧侶に訊いてみた。
「24の梵字の組み合わせで、寺の真言を記しています」
 それを伝えると、彼女は真言について語っていた。

 同境内には、巨大なわらじにつけられた絵馬があった。形状が面白いし、絵馬を読んでも、信者たちの真剣な想いが伝わってくる。愉快なものや、感心させられるものもある。

 寺の門前には下町特有の駄菓子屋が数多く並ぶ。メンバーは「割れせんべい」などを土産にしてから、門前仲町の居酒屋『魚三』に急ぐ。歴史散策のもう一つの楽しみが、酒の場の語らいである。超人気店らしく、5時にはもはや満席状態で、かろうじてセーフ、3階の一室が空いていた。

仲居さんに勧められた、4000円の刺身の盛り合わせは厚切りで、食べ応えがあり、お得だった。やがて、吉澤さんが合流してきた。事務局長として、監事の篠さん(日本文藝家協会・会長でもある)と打ち合わせがあったと言う。(PENクラブ総会が5月末)。


 PENクラブは日本橋・茅場町が所在地なので、永代橋を渡ってくれば、約15-20分で来れるという。7人そろったところで、歴史を中心とした話題が一段と盛り上がった。

 私が明後日、「宇喜多秀家に興味があるので、岡山城に行く予定なんだ」というと、山名さんから「旭川の後ろ側からみた城郭は素晴らしいわよ。私は大好き。表はドデンとして面白くない城だけど、裏側はシャープですごいし、ぜひ、見てきてください』と薦められた。


 彼女は翌朝早くに朝日カルチャー主催の歴史散策の講師の任がある。それでも、二次会の途中まで付き合っていた。
 
 次回はかつて文化人が多く住んでいた千駄木の周辺に決まった。井出さんの提案で、9月になれば横須賀。ペリー来航の浦賀から現代の軍港と発展してきた、歴史が学べるだろう。
  
  
 

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