A020-小説家

第55回・元気に100エッセイ教室=書き出しは作品のいのち

 書き出しは作品の顔である。名作の書き出しは、読者に強く印象で焼き付き、いつまでも残っているものだ。中学・高校の学生時代に習った、……平家物語、徒然草、雪国、伊豆の踊子、草枕など、作品の内容は記憶になくても、書出しはいつまでも口ずさむことができる。

 作者と読者との初対面の場である。初の顔合わせの1行で、作品の第一印象がほぼ決まる。その善し悪しが作品の先入観にもなる。作品のいのちともいえる。

 上手な書き出しの最大の条件とは、最初の1行で次の1行が読みたくなる。これにつきる。逆に、2行、3行も読んで興味がわかなければ、もう完ぺきに放棄されてしまう。読者は義理で読まないから。


魅力的な書き出し法とはなにか

① 情景文(映像的)、あるいは心理描写などで書く。

② 説明文(ビジネス的)はやめる。読者がレポートを読まされる心境になる。

③ 前置きはやめる。エッセイ作品は最初から方向性を示す必要などない。

④ 結論から書かない。作品の底が割れてしまう(読まなくても、結末やストーリーが見えてしまう)。

⑤ 「知恵の小出し」で書く。最初の1行を読むと、次を知りたくなる。さらに次へ、と連続した展開で小出しにしていく。すると、読者はごく自然に感情移入してくる。

⑥ 著名人の引用文を冒頭に使わない。
   他人の褌(ふんどし)を借りた陳腐なエッセイになる。
 
⑦ 慣用句、ことわざ、比喩(~ような)、手あかのついた文から入らない。
  作中でも使わないほうが良い。


上手な書出しの奥の手はある

 川端康成著「雪国」(国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。)
 
 文豪とはいえ、人間の発想・着想として、いきなりトンネルの暗闇からスタートできるものではない。

 川端氏はおおかた初稿で、上野から列車に乗り、高崎、水上経由で、湯沢まで書いたと思われる。2稿の段階で、水上あたりまで小説としては冗漫だと判断し、すぱっと斬り捨てた。だから、視覚的効果のある書出しが生まれた、と私は推量している。

 エッセイの場合も、初稿を書き終えたあと、「原稿用紙の1枚分くらいは切って棄てる」、そうすれば、無駄な助走が取り除かれる。
 書いたものは勿体ない。酒造の一滴も逃さない。これでは銘酒など造れない。薄い上澄みは捨て、濃厚なエキスから読者に提供する。思い切りの良さである。

「どこらあたりまで、斬り捨てようか」
 そんなふうに目を光らせて、「ここなら間違いなく、次の行が読みたくなる」、そんな1行を探すことである。
 

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