第54回・元気に100エッセイ教室=人物は描写文で書こう
この講座は54回を迎えた。今回に限って、教室でのレクチャーの範囲を飛び出してみたい。
昭和54(1979)年の大きな出来事といえば、米国・スリーマイル島の原発事故だろう。炉心溶解(メルトダウン)で、燃料が溶融し、約20トンが原子炉圧力容器の底に溜まった。レベル5だった。
それでも、当時の日本では「核の平和利用」という政治家たち、実業界の人たちのことばが信じられていた。メディアもそれに乗っていた。そんな背景から、国民全体としては、スリーマイル島の事故はさほど深刻に受け止められていなかった。
チェルノブイリ原発事故、さらには東日本大震災によるフクシマ原発事故(レベル7)へと及んだ。いまや核兵器並みに、周辺がセシウムなど放射能で汚染されている。首都・東京も例外でないという。
人間は核をコントロールできる、という科学者たちの驕(おご)りが原因である。それに輪をかけて、核廃棄物すら処理できない、不完全な原子力発電所の廻りで、「平和利用」という甘い欺瞞の言葉で、お金の汁を吸ってきた、金欲人間たちがいた。それも二十世紀半ば以降から。
フクシマ原発事故はエネルギー政策の道草ではなかった。容赦なく放射能をまき散らした。否、いまなお撒きつづけている。
これは核の金に群がる強欲人間が、人間を残酷に裏切った結果なのだ。利益誘導者たちはなんら贖罪(自分の犯した罪や過失を償うこと)をしない。
「元の自然に還れない。ここに痛ましさと恐怖がある。あなたには科される罪がある」と名指しされると、違法ではなかったと、きっと逃げるのだろう。それこそ、人間が決めた法の枠を利用する、人間の醜悪な面だともいえる。
エッセイとは「人間」を書くことである
人間の行動や言動は性格と心理によって決まってくる。それに業とか、慾とかとを付加すれば、良きにつけ悪しきにつけ、ごく自然に人物が姿が浮き上がってくる。
作品を書く上でのポイントとして
人物の特徴をいかに描くか
①性格描写……対象者の行動、発言、表情、会話、服装、顔かたち、容姿などを見たままに書いていくと、性格が出てくる。
人間は二面性を持っている。良きにつけ悪しきにつけ、複数の描写を重ねていくと、人物の性格がより明瞭に立ち上がってくる。
②心理描写……心の慾や業に対して、作者が感じたり、考えたり、思ったり。そんな内面をえがいていけば、人の心が透視された表現になっていく。
外観を取り繕ってしまう人間でも、文章は人間の心理を深部まで文字で叙述することができる。
③説明文の人物描写は止めたほうがよい……幸せな人だ、悪い人だ、彼は金持ちだ。被害者だ、加害者だ、これらは的確な人物表現ではなく、概念である。
読み手にはいかようにも受け留められる。
フクシマ原発事故は人間描写から書くべきだ。「いまは未来を奪われた被害者でも、かつては原発関係から金をもらっていた、あるいは原発で恩恵を享受していた加害者かもしれない」。これをどう描くべきか。
それが表現できるのが文学なのだ。
※ 写真(悲劇への怒り・イメージ)と本文とはいっさい関係ありません