寝苦しい夏の夜長に、「会報」をよむ・シリーズ②=日本ペンクラブ
2011年の夏に、松山市に行ってみた。一度は道後温泉に張ってみたい。単純な気持ちだった。夏目漱石の「坊ちゃん」で有名である。
浴槽には「泳ぐべからず」と表示されていた。まさに、明治時代に、漱石が体験した、その通りである。
地場の60代のやや酩酊したオヤジさんが、話好きで、誰かまわず2、30代の青年に話しかけていた。「どこから来たね」と問われて答える旅人は、大半が東京だった。そして、職業を訊いた上で、オヤジさんは人生訓というか、啓蒙的な話する。
私にもお鉢が回ってきた。面倒なので、「今治の亡父の墓参り」だと応えていた。
松山市内はいたるところで「坂の上の雲」が観光一色となっていた。駅にも、松山城にも、繁華街にも、お土産屋にも、四方見渡しても、司馬遼太郎「坂の上の雲」を大々的に、売れ出している。
浴槽のオヤジさんが、それを話題にしておいた。
「ボクは司馬さんの軍人・英雄視の思想は嫌いだよ。西郷隆盛からはじまり、日清戦争・日露戦争の大将たち・軍人たちをとてつもなく巨大化している。韓国侵略を考えた西郷、それ以降の思い上がった軍人たちの思想が第二次世界大戦を導いた」
「あなたの職業は?」
「想像に任せますよ。司馬さんの執筆の底流にはその批判がない。うがった読み方をすれば、戦争賛美であり、戦争抑止の思想に欠けている。司馬さんは二等兵から戦争を見ることができない、作家だよ。悪いね。松山にきて、司馬さんの悪口を言って」
ふだん思っていることがストレートに出てしまった。
道後温泉の浴槽のやり取りを思い浮かべながら、日本ペンクラブ「会報」を読みはじめた。
国際ペン専務理事に就任した堀武昭さんに聞く。「サンフロンティア(国境なき)という言葉が好きです」というタイトルが目に飛び込んだ。
私は「国境なき子どもたち」からも、何度か取材したことがある。その取材情景をも重ね合わせて一気に読んだ。
堀さんの言葉を引用すると、『サンフロンティア(国境なき)という言葉が好きです。国境なき医師団、国境なき記者団……、国境なき文筆家というのもあると思う。男だからとか女だからとか、どういう教育を受けたかとか、お金があるなしとか、そんなことに関係なく、人間の尊厳を全員で分かち合える、国境なき組織、上下のない組織、アナーキーなことだけれど、国際ペンでそれができたら、画期的なことですよね』と理想を語っている。
「国際ペン専務理事になると、ノーベル平和賞の授賞式に招待されているそうですね」
インタビュアー(広報委員・鈴木さん)の質問に答えて、航空運賃は自分持ちですけどね(笑い)。
誰にでも気さくに語る、堀さんらしいな、と思った。
3.11の東日本大震災で、福島原発が未曾有の被害を出している。それに先んじる1か月前に、環境委員会(中村敦夫委員長)が、2月7日に、原発建設でゆれる、離島・祝島(いわいじま・山口県)を映し出した、ドキュメンタリー映画『祝(ほうり)の島』の上映と、纐纈(はなぶさ)あや女性監督と中村敦夫委員長のトークが行われた。(於・日本ペンクラブ会議室)。それが紹介されている。
穂高健一ワールドにおいても、「瀬戸内海・『祝島』の原発反対運動=ドキュメント映画は何を語る?」で紹介しています。(左クリックで見られま)
次に目に付いたのが、「日本ペンクラブ・松山市主催による、『坂の上の雲』のまち松山シンポジウムin横須賀」だった。
第一部トークイベント 講演「明治維新という革命」浅田次郎専務(現在・会長)。265年の太平を保った徳川幕府の政権は、人類史上まれである。日本の将来を考える上で、示唆に富んでいる、と浅田さんは述べる。
江戸時代は、280くらいの国=藩があり、殿様が治めていた。その上部に、連合政権として幕府があった。欧米の産業革命以降の植民地政策から逃れるために、徳川幕府は鎖国しなければ、国として成立しなくなった。正解だったと、浅田さんは評価している。
尊皇攘夷の思想は、中央政権の確立、非植民地運動である。江戸時代から明治への大転換の考え方、実現の仕方は見事である。奇跡である、と讃えている。
「坂の上の雲」に出てくる、日露戦争で日本が勝利したとき、ヨーロッパ各国の賞賛を浴びた。この当時、ヨーロッパはクリミア戦争で、帝政ロシアと戦っていたから、それを打ち負かしたからだ。一方で、アメリカはその戦いに加わらず、一途に米国・西部を開拓して富める国になっていった。
その事例から、「戦争をしない国は富む。戦争をしなければ経済が発展しないという国は間違っている」と、浅田さんは明瞭に言い切っている。ふだんから、「戦争をしたらいけない」と口にする、浅田さんらしいと思う。
森鴎外(近代文学の創始者、軍医)、新渡戸稲造(数多くの大学創設、国際連盟の事務局次長)を引き合いに出し、そのうえで、「坂の上の雲」の秋山兄弟も含めて、明治人は、能力ある人間は一つだけでなく、4つも5つものことをやって国に尽くす人たちだった。われわれも明治人の何分の一かでも努力をしたい、と浅田さんは語っている。
司馬遼太郎さんの英雄賛美の思想よりも、浅田次郎さんの歴史観「戦争の罪」を根っ子に持った作家のほうに、私は共鳴できる。会報を読みながら、そう思った。