30年来の小説仲間と語る。同人誌「クループ桂」の合評会に参加
同人誌「グループ桂・64号」の合評会が7月13日、千代田区立和泉橋出張所・区民会館で開催された。私は数年ぶりに出向いた。
同誌は、昭和50年代半ばに、講談社フェーマス・スクール「小説講座・伊藤桂一教室」で学んだ受講生が1985(昭和60)年に立ち上げたもの。私は発起人の一人だった。
日本文壇の重鎮・伊藤桂一氏(直木賞作家)も、発足に関わってもらった。
私は30号くらいまでは作品を掲載していたが、その後はわが道をいくで疎遠になっていた。合評会は、数年に一度くらい。
伊藤氏は全64号に作品を掲載し、約26年間に及ぶ。93歳の高齢だが、なおも合評会を通して小説指導を続けている。伊藤氏は現在も、国内の著名な文学賞の選者でもある。それだけに、同人誌の講評も鋭い。
同人は「小説講座」で学んでから、筆歴が30年余りの書き手ばかり。読み手も学んだベースはおなじ。それぞれが遠慮のない意見を述べる。作品に対する意見も、反論も、釈明にも目線の高さが同じだから、理解も早い。
このように永年にわたり、切磋琢磨してきた筆者だけに、同人誌の質の高さにおいては国内でも最右翼だろう。
伊藤氏は練馬区の住まいから、独り会場に出向いてくる。元気である。特別寄稿は『草をむしるひと』で、韓国に旅したときに書かれた詩である。
古刹定林寺は、紀元660年に唐の新羅軍に占領されたところ。広大な境内には首をはねられた石仏(本尊)と、五層の唐のほかには何もない。寺僧はひたすら草をむしるしか、用はない。歴史の悲哀が現在も続く、深い意味合いの作品である。
今回の掲載された小説作品として、
花島真樹子『二人の従兄弟』
桂城和子『遥かなる茜雲』
長嶋公栄『鎌倉の闇(二話)』
三藤芳『文化ハウスの管理人』
『二人の従兄弟』は、主人公「私」(女性)が武蔵野の名残りがある、ある精神病棟に従弟の一郎を見舞う。彼とは幼馴染で、川遊びなどの想い出があった。
一郎が20代の頃、銀行の要職にあった父親に反発し、国立大の受験にも失敗し、家庭内暴力を振った。父親から精神異常者扱いされた。そして同病院に収監された。それから一度も世の中に出ていない。
一郎は見た目に正常で、「私」を懐かしむ。このあたりは作者の筆の力を感じる。一郎を取り巻く従兄弟が煩雑に絡むと、主人公「私」への筆不足がやや感じられた。
『遥かなる茜雲』は終戦後の昭和22年を背景にした、劇団作りの人物の群像を描いた作品である。原稿用紙・約200枚。作者・桂城さんは純文学の文学賞を多く受賞しており、文章力は優れている。戦後の資料を駆逐し、それを時代小説並みのタッチで展開している。
伊藤氏の評価は高かった。「井上ひさし」の終戦後を背景とした戯曲なども取り上げ、作風を対比しながら、講評されていた。同人からはもっと長編で読みたかったという意見が多かった。
私は唯一、やや批判的だった。同作品は書き出しから人物が多く、説明文であり、感情移入に難がある。筆力があるのだから、叙述文にして欲しかった、と話した。と同時に、時代考証に酔った書き方になっている、とつけ加えた。
『鎌倉の闇(二話)』は、主人公は医者で、死を直前とした鎌倉彫職人と、その家族と向かい合う短編である。やり残した彫り物があるという職人に呼吸器を付けるか、つけないか。その迷いを短編で描いている。
『文化ハウスの管理人』は、かつて講談社フェーマス・スクール「小説講座」の初期の段階で書かれた、「文化ハウス物語」が下地になっている。当時、文芸評論家・小松伸六から絶賛されて、「文学界」の同人批評にも取り上げられていた。
伊藤氏は良いエッセイの組立て、小説としては壁がなさすぎると批評する。私には懐かしく、良い小説として読ませてもらった。
30年間もともに学んできた、同人たちの作品は、一人ひとりの文体が私の体内に根付いている。とても読みやすい。小説を堪能しながら、読ませてもらった。