A020-小説家

僕を知らないの? 日本人で、あんただけだよ

 日本ペンクラブの2月度・例会が2月15日、東京・千代田区の東京會舘・ロイヤルルームで開催された。阿刀田高会長が冒頭において、「今年初めての例会です。旧正月でもあり、おめでとうございます」と新年の挨拶を行った。「国際ペン大会が終わり、やや気の抜けた気分もありますが、新たなペン活動のために推し進みましょう」と述べられた。
 
 乾杯の音頭は中西進副会長だった。
 司会の高梁千劔破(ちはや)常務理事から、「今年は定款の改正があります。2/3の出席(委任状を含めて)が必須です」と、春の総会の参加を呼びかけていた。

 新ペンクラブ会員が壇上で紹介された。外国人が2人いた。1人は欧米系の女性。もうひとりはアフリカ人男性だった。


 その後、パーティーに移り、広報委員会のメンバーがあれこれ談笑していた。アフリカ人のオスマンユーラ・サンコンさんがやってきた。私はふだんTVニュースのみで、娯楽番組を観ていない。作家仲間からは「芸能音痴」で通っている。

「何、やっている人なの?」
 私がサンコンさんに訊いた。
「日本人は1億2千数百万人いるよ。知らないのはあなただけだよ」
 彼は呆れ顔で、白い歯を出して笑っていた。
 となりにいた鈴木康之さん(副委員長)が、「穂高さんはほんとうに芸能音痴だね、TVバラエティー番組で、一世を風靡(ふうび)していたタレントだよ」と教えてくれた。

 サンコウさんに文筆活動を問うと、日本の自然、家族、そして素晴らしい日本文化をアフリカに紹介している、と説明していた。ただ旧来の家族良さが消えかけている、とつけ加えた。

 現在は、タレント稼業よりもギニア大使館に勤務している。
「何等書記官なの?」
「一等書記官だよ。大使とふたりで日本にきたからね」
「だったら、一等書記官兼飯炊きだね」
「そういうことよね」
 彼は大笑いして打ち解けていた。

「胸のバッチは?」
 私が指すと、
「2年前に、『東久邇宮 文化褒賞』を受けたんだよ」
 彼はギニアの緑化運動、学校づくりに7年間に尽くしてきた。それが評価されたものだという。
 この表彰式で、明治初年に撮影された第1回の功績叙勲者たちの集合写真を貰ったという。

 私はいま幕末芸州藩の研究をしている。それらを話すと、サンコンさんは坂本龍馬に強い関心があり、意気投合してきた。そのうえ、私にはぜひ「明治初年の第1回授賞式の写真」を見せたいという。
「ロッカーのカバンに入っているから、パーティーが終わったら、見てよ」
 例会が終了した後、彼とは会館ロビーで椅子に座った話し込みになった。


 第1回叙勲者の集合写真には、幕末の志士が大勢並ぶ。勝海舟、中岡慎太郎、岩倉具視、伊藤博文、江藤新平、さらにはウイリアムなど外国人を含めた、46人である。

 そのなかに西郷隆盛が写っている。(西郷隆盛の写真が現存しないといわれている)。
「この西郷さんは本物か否か」
 サンコンさんはその疑問に触れていた。
 坂本龍馬、中岡慎太郎(明治になる前に暗殺されている)は、年代的にも符合しない。まして、これだけの人物が一同に集合することは、明治初年に物理的にむずかしい。信憑性に問題がある。

 おおかた各人の肖像画をさも集合写真のように見せかけて撮影したのではないだろうか。そう類推できる。それにしても面白い、叙勲写真だと思う。
(なぜ、面白いのか)
 大政奉還を推し進めた薩長土芸なのに、芸州藩の人物が一人もいなかった点だ。新政府から、芸州藩が評価されず、歴史から消された、というナゾがさらに拡大したと思えた。

 サンコンさんがギニアの緑化運動、学校建設に尽してきた『文化褒賞』にも触れた。そこで、私はこういった。
「母国への貢献は、最初の1、2年は現地で感謝されたと思う。しかし、しだいに日本で稼いだ金持ちに対する嫉みや、やっかみがあったんじゃないの? 7年も続けるのは並大抵ではないし、サンコンさんの根気と信念が支えたと思うけど。どうなの?」
「まさに、その通りね。7年間の継続は口で言うほど、簡単じゃなかったよ。それを乗り越えてきたから、勲章をもらえたね」
 その道のりを語っていた。

 私の差し上げた名刺に、『サンコンを知らなかった男』と書いておいたら。そしたら、きっと忘れないと思うよ。と勧めると、彼はそうローマ字で書き込んでいた。

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