第45回・元気に100エッセイ教室=読者の脳裏に映像を
エッセイ教室は丸5年の歳月とともに、45回を通過した。
「45」という数字は、私の脳裏のなかで、1945(昭和20)年に結びつく。この年は東京大空襲、アメリカ軍沖縄上陸、各都市で戦禍の焼け野原、広島・長崎原爆投下、そして終戦、さらには飢餓寸前の食糧難である。
日本人が有史以来、最も苦しみを味わった年ではないだろうか。
現代の経営者たちが「いまや未曾有の苦難の年である」という手垢のついた、年頭の挨拶などを述べている。それ聞くと、私は1945年を思い浮かべ、歴史認識の甘さから滑稽になる。 (戦禍の体験は、曾祖父母の時代になってきた)
今回の講義は、書き手の極意・作法に迫ってみた
叙述の文章(エッセイ、小説)とは、「読者の脳裏に映像を作りだしていく芸術である」という定義をもっている。これは私の独自の考えで、あらゆる講義で指導要綱の根幹としている。
文章は映画や写真のように、直裁的に脳裏を刺激できない。だけど、叙述文の技法を高めることで、映像化に近づけられる。文章には強い味方がいる。それはTVや映画とは違い、心理描写という技法があることだ。
作者が情景(風景、人間など)を描写文で描けば、読者は脳裏で、かつての体験から映像化を行なう。心理描写は、読者の心を直裁的に刺激し、感情移入させる。
情景文を書くポイント
①「文章スケッチ」として、風景や人物を細かく書く。それがコツである。事実の列記だけでも、細かく書けば、読者の脳細胞を刺激するものだ。
【例】
春先の七里ガ浜では、寄せる波で、砂が黒っぽく濡れていた。波が引けば、すぐさま乾いた色になる。またしても黒っぽい砂になる。
突如として、小さなカニが足元から、人に驚き、逃げだす。藻のなかに隠れた。藻の匂いが鼻を突く。
目を海に向ければ、陽光で波がうろこ状に輝く。波間にはサーフィンする若者が4、5人いた。
②対象とする物に、修飾を加えてみる
・波の音がおだやかな曲をつくっていた。
・波間の陽光がぎらぎら乱反射していた。
・押し寄せる白波が、勢い磯に駆けのぼる。
③名詞を多用すると、読者の脳裏に情景イメージが広がりやすい