あなたは、なぜエッセイを書いているんですか?
「元気に100百歳」クラブのエッセイ教室は37回を迎えた。教室の冒頭30分は、講師(私)によるレクチャーである。
好いエッセイとは良い素材が先か、磨かれた文章力が先か。文章家の間でも、どちらがより重要で優先するか、と意見の分かれるところだ。
良いエッセイの条件の一つは、すくなくとも文章で蹴躓(けつまず)かないことだ。だから、同教室では文章作法や技法というテクニックの強化を中心においてきた。かなりの成果が得られてきた。
今回はあえて書く事への原点にもどってみた。「あなたは、なぜエッセイを書いているんですか?」という質問を向けてみた。個々の受講生にはその回答を求めなかった。
参考になるだろう、3項目をあげてみた。
①文章を書くことは、「人間形成の道」だ。すなわち、文章道だ。「だれでも言える言葉で、だれもが言えない事を、だれにも納得ゆくように書く」(小言幸兵衛文筆談義より)
現代流になおせば、「元気に百歳」まで、それ以上の歳まで、文章を書きつづければ、つねに人間形成の道につながる。
豊富な経験を「平明なわかりやすい文章で、隠し事や伏せたいことを、だれもが納得できる(普遍性)ように書き遺しつづける」という解釈になります。
②ある人が勝海舟に「先生、十年後の日本はどうなるでしょうか」と伺った。「馬鹿を言え。十年後のことが分かれば、世間はおれを勝先生と呼ばず、勝大明神と言うわい」と答えたという。(同談義より)
偉人でも十年先は読めない。過去は誰でもたどれる。ただ、口でしゃべったことは証拠で残らない。書き残せば、温故知新で、後世の人に役立つ。
③読むことは好きだが、書くことは苦手だという人は多い。「いかに良書を読んでも、他人のものだから、じきに消えてしまう。悪くすると、自分で考える能力を放棄した、散漫な頭脳の持ち主を作りかねない。本さえ読めば勉強だと思うのは、大きな迷信だ」(同談義より)
書くこと、書き続けることで、自分の主体性が確立されていく。勇気と表現力が身につき、ものごとの普遍性(人間の共通性)に近づけられる。
(写真撮影:穂高健一、2.19-2.28 第2回恵比寿映像祭の会場)