29回「元気エッセイ教室」作品紹介
今回は、「エッセイは何のために書くのか」と,受講生には一度振り返り、自問してもらった。それぞれにエッセイに取り組む、その意義、目的、思いなどは異なる。
「私自身のために書く」
それは全員に共通するものだ。
エッセイと日記との違いは明瞭だ。日記は自分自身が読むもの。エッセイは他人に読んでもらうもの。この違いは大きい。
エッセイには読者に感動を与え、共感を得る、という目的がある。突きつめると、『この世に生きてきた、いま、ここに生きている』という姿を描き、他人に読ませるもの。それがエッセイの真髄である。
エッセイと記事の違いはどこにあるか。記事は5W1Hで、より事実、史実のみを読者に知ってもらうことだ。書き手の感情や感覚を排除した、客観性が求められる。
エッセイは主観で書くものだ。過去、現在、将来の一部を切り取って書きつづる。五感、あるいは全身で感じたこと、想いなどを読者にも同様に感じてもらうものである。
今回の作品紹介は、作者の意図や狙いなどを中心においてみたい。『書きあげた作品は手を離れると、一人歩きをする』。読み手の考えと、作者の意図がまったく違うケースもある。それが前提である。
濱崎 洋光 心のときめき
マレーシアのある会社から、仕事の依頼を受けた。それは還元鉄から鋼を造る工場へ出向だった。「私」は現地に下見に出かけた。
マレー半島中央部のクアンタン空港に着く。リムジンで、北へ約一時間。沿道は鬱蒼としたジャングルが続いた。大トカゲが道を悠然と横切り、猿が出迎え、路上に群れる。その先に、伝統的なマレー式木造建築のリゾート・ホテルが建ち、熱帯らしい佇まいがあった。
『マレーシアの仕事に応じれば、この辺鄙な見知らぬ土地に、最低一年の滞在が求められる。健康な生活を送れるのか、不安が湧いた。』
ムスリムの案内者の木村氏から、イスラム教やマレーシアの話を聞いた。初めて聞く内容だけに新鮮だった。モスリムが関与したとされる、半年前の九月十一日に発生した、「アメリカ同時多発テロ事件」の話が、強く印象に残った。
「去年のニューヨークでの自爆テロ事件は、一般人を巻き込み、許せない事件と思うけど」と私は木村氏に水をむけると
「事件後、戦闘要員、非戦闘要員とよく耳にしますね。どう区分けしますか」と逆に問いが返ってきた。
「戦闘要員は軍人、軍隊。一般の人、庶民は非戦闘要員」
「貴方が今、もし私を殺そうと思ったなら、テーブル上のホークを持って、私を殺せますよ。その時、ホークは武器に、貴方は戦闘要員です」
「それでは非戦闘要員とは?」
「病人と乳幼児です」との答えだった。
イスラムの物の見方、考え方の片鱗に触れた思いだった。他方で、兄が太平洋戦争で、アジアのための戦と信じ、南方で戦死したことを思い起こした。
『少しでも、東南アジア発展の手伝いが出来るなら、亡兄への追善になるのでは』とマレーシア行きの覚悟を決めたのだ。
異国の地で再就職するべきか、否か。その迷いから決断まで作者は展開している。作品の底流には、「戦争」の影がある。それが最も書きたかったものだと推量できる。
森田 多加子 「東京のコウジ」と「広島のコウジ」
埼玉県・入間市の家に、「私」を含めた、三姉妹が集まっていた。そこに「おれおれ詐欺」の電話がかかってきたのだ。
家主の妹は受話器をとり、すぐに顔がほころんだ。「広島のコウジからよ」と、私たち姉妹に教えた。妹が愛する次男である。
「今どこ? えっ、東京なの? 出張なのね。声が変だけど。そう、風邪ひいたの。今から帰ってくるのね。夕飯用意してみんなで、待ってるからね。早く帰りなさいよ」と早口で、一方的に捲し上げてから、受話器を置いた。
うれしそうに妹はそそくさと買い物に出かけた。
食卓には「(広島の)コウジの好きな煮魚」「コウジの好きな茶碗蒸し」「コウジの好きな・・・」とたくさんのご馳走があっという間に並んだ。
2時間たっても、コウジは帰ってこない。当人に電話をしてみることにした。
「今どこなの? えっ、広島? どうして広島にいるの? 広島に戻ったの?」「だって僕の家は広島だもん」
そう答えた。
では、さっきの東京駅のコウジは誰だったのか?
「おれおれ詐欺」の犯人の筋書きはきっと、「東京のコウジ」が何か間違いを犯して、母親に泣きついてきたに違いない。しかし、その説明をする間もなく、コウジの母親は一方的にしゃべって、電話を切ってしまったのだ。
「おれおれ詐欺」の犯人にすれば、思い込みの強い母親は最大のカモだ。、携帯の電話番号が変わったと言いたかったのかもしれない。ところが、犯人は何も話させてもらえないまま、電話を切られてしまったのだ。「東京のコウジ」はどんな顔をしたのだろうか。おかしくて、おかしくて、みんなで大笑いをしてしまった、と作者は顛末をつづるのだ。
妹の強い思い込みが、被害を未然に防いだと、紹介するのだ。『犯罪者の顔が見て見たい』という、作者の気持ちが伝わってくる作品だ。
青山貴文 かつら
中央線・豊田駅近くの料亭で、小学校時代の同窓会が開かれた。男女それぞれ七人くらい。男性は定年退職し家に居るものが多い。女性は数人が家業を継いだり、起業家になったりしている。女性上位だ。
師範学校卒の元女教師は八十歳にしても、女性の色香を漂わせている。そこから、互いの容姿に話題が移った。太ったとか、白髪がふえたとか。
私は頭髪にまったく無頓着である。亡父は他界する八十一歳まで、真っ黒の髪の毛だった。私も似て真っ黒だから。
「みんな、薄くなったわね」
「俺なんか、真っ白だよ」
多くが禿げたり、白髪だったり、話題が頭に集中する。
「今は、部分かつらがはやっているのよ」と元気な女性。
みんなを一杯食わせてやろうと、「私」のいたずら心が頭をもたげてきた。
「お金をかけないから、だめなんだよ。私のようなかつらは、ちょっとくらい引っ張っても平気だよ」
「青山はかつらだったのか。道理で、若々しいと思ったよ」
「2~30万円のかつらでは、すぐ毛が抜けてだめだよ。このように、少しくらい引っ張っても、本毛のように抜けないんだよ。」
「いくらかかったんだよ」
「すべてで、350万円くらいになったかな」
「そんなにかかったのか」
皆は半信半疑で、実際に私の髪の毛を、軽く引っ張る奴もいる。私の即席話に、こうも簡単に信じるとは思ってもいなかった。
「そんなことに、お金を使う人もいるんだ。」
と私を見下し、軽蔑の面ざしを向ける者もでてくる。ついに、先生までがそれを信じた。本毛であると、私は白状せざるを得なかった。
中高年齢の話題のひとつが頭髪だ。作者はユーモアと茶目っ気で、同窓会を盛り上げた。本音を吐いたら、座を白けたものにさせてしまった。
まわりの頭髪願望を逆手に取ったら、後味の悪いものになった。自分自身の言動から、一つの教訓を得たと、それを作品の狙いにしている。それにしても、頭髪の悩みを持った人からは、真っ黒な、ふさふさした黒髪は憧憬の的なのだろう。
和田 譲次 ポテトは美味しい
欧米諸国へ出かけ初めた頃、「私」は現地の食生活をかいま見てオヤッと思った。家庭やレストランでは、朝食を除くと、パンは目立たない。イギリスやベルギー、アメリカ、ウイーンなど、欧州北部の地域ではポテトが主食である。伝統的な料理にはポテトが相当な量添えられている。
彼らは朝、昼,夕とパンを主食にした食事を摂っていると、そう理解していただけに意外だった。
ドイツ、チェコのビヤホールではソーセージ、酢キャベツ,茹でたポテトの一皿はビールの味を引き立てる。
わが国の肉じゃがは、おかずに、酒のつまみにもよく合うし、おふくろの味を思い出させる。
美食の本場のフランス、イタリー、スペインでは、ポテトを使った料理は探せばあるのだろうが、見かけることが少ない。
定年後は妻とヨーロッパ旅行を楽しむ機会が増えた。妻が唯一、美味しいといって食べたのがベルギーのプリッツである。
プリッツには思い出が多い。日本の高級ホテルの大広間で、ベルギー大使館主宰のパーティがあった。ベルギービールのコーナーには、カナッペやプリッツなど軽いつまみがおいていた。
N大使が一人でビールを片手に、プリッツを手でつまんで、美味しそうに食べていた。「私」は前から親しく付き合っているN大使をからかって、
「閣下、プリッツは指でつまんで召し上がっても良いのですか」と苦労して丁寧な英語で問いかけた。
この大使は憎たらしい。プリッツを五,六本指で掴み、先っちょにソースをつけて口に放り込むと、「これ、最高よ」と流暢な日本語で答え、照れくさそうに笑った。
作者は、世界各地のポテト料理の特徴を体験的に伝えたい、という気持ちを持つ。パンよりも、ポテトだ。贔屓する食品への思い入れを書く。着想と意図はおもしろいし、心からポテト大好き人間だからだろう。
上田 恭子 独りぼっち
音一つしない家の中で、テレビが懐かしい昭和五十年代のフォークソングや歌謡曲を流している。長男が高校、次男が中学生のころ、午後七時代のゴールデンタイムは、歌番組で占められていた。男の子なのに、ピンクレディーのふりを練習していた。
30年余りが経ったいま、長男や次男は所帯を持つ。一番上の孫は、今年三月大学を卒業する。孫たちも自分の生活が忙しいようで、めったに顔を見せに来ない。夫はすでに他界している。
二世帯住宅に息子一家と住む。夜になって、戸外から自分の家を眺める。だれもまだ帰らないのか、どの部屋も真っ暗。「私」の部屋の明かりだけが、垣根越しに見え隠れしている。
『主人のいた時は、二階に明かりがついていたのに……。突然、何ともいえない寂寥感におそわれ、鼻の奥がじーんとしてきた』
涙腺のゆるんだこの頃は、何の前触れも無く目が潤む。母の歳になって、母の寂しさが理解できるようになった。母もきっと独りぽっちの寂しさに耐えていたのだろう。そう思った途端に、壊れた涙腺からまた熱いものがこぼれてきた。
作者は、孫にも囲まれている。いつも幸せだと思っている。ふとした弾みから、夫を亡くした孤独感、寂寥感に襲われる。この寂しさに耐えて、生きていく強さを持たないと、作品の中で自戒しているのだ。
『最後は一人』それが真に迫る。それを書くことで、もう一人の自分を発見できる。それが作者の意図かもしれない。
高原 真 オックウ虫
もう桃の節句である。「お人形を出さなければ・・」と家内に言う。「出しといてよ」と言ったきり。屋根裏から人形を出すのは私の役目。飾れば後また屋根裏に片付ける。想像するだけでイヤになる。
一週間分の薬は朝昼晩と仕分けしたボックスに入れて、食後に服用している。やるべき事が頭の中で去来する。未整理の書類や郵便物が机に雑然とし、仕事がしづらい。思い切って手を染める。
雑然物を一べつして大雑把に分け、ボール箱に入れて床に置く。次第にふたつ三つッとなる。床にあるから部屋の出入りのつど、じゃまで神経がいらだってくる。
書架や棚は満杯だ。大整理に数度挑んだ。未練がましく資料をまた元の所に戻す。それがきちんと納まらず却ってハミ出て汚染度が増す。手がつけられないまま、今日にいたっている。
「マルチで仕事をドシドシこなす、かつての自負はどこにいったか」
仕事を溜めこんだ私は、自分に腹立たしさを覚えるのだ。
「気力・体力が衰えたんだ。見過ごしてやれ」という弁護する声も湧いきて、他力本願だが祝詞 (のりと) でも唱え「一挙に片づいてくれ」と願いたくなる。
一昨年は妻、昨年は私と、それぞれ一か月ほど入院した。2年間も続けて年末の大掃除はそこそこだったことから、わが家の清浄感は薄らいだ。
『片付ける』という日常の些事にてこずる。事例の一つひとつから、作者の悪戦苦闘する姿と心情が伝わってくる作品だ。読み手からみれば、「大変だな」という他人事。だが、読後に、いざ自分の身辺を見ると、少しは片付けなくては、と思ってしまう。
作者の意図は、読み手に「笑っているばかりじゃないぞ、あんたはどうなんだ」と突きつけている、とも受け取れる。
奧田 和美 髪結いになりたい
タイトルから読み取れば、『髪結いの亭主』に類似した男を描くのかな、という先入観を持ってしまう。違っていた。読み手は裏切られることは快いものだ。
作者の実娘が美容師の職に就くまでの話だった。
娘が高校時代だった。歴史の教科書に、一風変わった、古い日本の髪型が取り上げられていた。「髪結いになりたい」と娘は思ったという。
娘はそこでテレビ局の髪結『床山』を紹介してもらい、実際の仕事場を見せてもらう。『床山の部屋は六畳ぐらいで、壁一面にはいろいろなタレントのかつらが置かれていた。部屋の真ん中には座布団一枚とかつらを置く台がある』と描く。
65歳ぐらいの大御所の女性だった。『髪結いなんて地味な仕事よ。見てわかるように、座布団に座ってずっと髪を結うだけなんだから。このごろは時代劇が少なくなって、日本髪を結うこともあまりないのよ。まずは美容学校に行って、基本を勉強してきなさい』と言われるのだ。
娘は美容学校に進んだ。
CMの世界ではかなり有名なヘアメイク・本田氏に弟子入りして7年。別の師匠について8年。15年が瞬く間に過ぎて、今年になって娘は独立して、フリーのヘアメイクに歩みだす。母親の目から、「娘はたった一人でCM製作会社に営業に行き、仕事をもらう。この不況の中でやっていけるのだろうか」と案じる姿を描いている。
勝手に娘の年齢を計算すれば、35歳くらい。「子どもは何歳になっても、心配なものよ」と、作者は言いたいのだろう。娘の将来を想う、暖かい親の目で描かれた作品だ。
中澤映子 「毛並みがいい・ムー」 動物歳時記 その19
小俣一家では、一番毛並みがいい西洋猫の『お坊ちゃま』の登場だ。生まれは不明だが、育ちは東京・田園調布だ。毛並みはアメリカン・ショートヘアだ。その名はムート(ドイツ語で勇気)だ。名前負けして、体が大きいわりには気が小さく、臆病な性格の猫だ。
田園調布の飼主に諸事情があって、猫を飼うことが難しくなり、作者・小俣一家(犬や猫が二桁も飼われている)にもらわれてきた。ムートは新しい環境と他の猫とうまく馴染めず、2回も家出をしました。
春浅し 主(あるじ)変わって 猫家出
月日が過ぎるにつれ、他の猫たちとも仲良くなり、いまでは小俣一家の立派な一員。西洋猫の遺伝子から社交性があり、時どき訪問してくる外猫にも声をかけたり、犬のアイと一緒に日向ぼっこをしたり。育ちが良く、お行儀がよく、食卓やお釜などにのぼったりしない。
西洋の猫なので、泣き声も日本猫の優しい可愛いい声に比べ、猛々しい大きな声を発する。
ワクチン(猫白血病ウイルス感染症など四種類の伝染病を予防する)注射のため、初めて病院に行きました。獣医師から、注射のあと「今日は静かにしていてね」と言われると、その言葉がわかったのか、ムーちゃんが別猫になったように、一日中ストーブの前でジーッとおとなしくしていた。
静かなり 春のワクチン 受けし猫
毛並みがいい西洋猫の『お坊ちゃま』がリアルに描かれている。エピソードの積み重ねで、ムーちゃんの生体(性格)を通した、作者の日常を浮かび上がらせている。作者の意図は、田園調布育ちの西洋猫を見つめる、「私」の目を描いているのだろう。
塩地 薫 大腸がん検診(改)
作者には、身辺の出来事を作品にしてしまう、器用なところがある。大腸がんを宣告された。作者は薬学部卒で製薬会社の研究所にいた、プロだ。それけに、しっかりした観察眼で、難解な病気や臨床を平たく描いている。
『担当医師は、大腸の内視鏡検診を五分で通すのが自慢だったらしい。数十分かかっても通しきれなかった。私は内視鏡を肛門から入れたまま、右に左に体を回転させられた。二度目もダメだった』と厄介なものだったとわかる。
「これは内視鏡じゃムリだ。ドイツでも多くの大腸を診てきたが、こんなのは初めてだ」
消化器内科の部長がお手上げだという。レントゲン写真を見ながら、カルテに私の大腸の形を描いている。『下行結腸から横行結腸に曲がる角あたりに、毛糸球のような丸い形を描いた。腸がぐるぐる絡み合って丸くなっている感じである』と描写されている。
検体を出して二週間後、「陽性」と結果報告書が送られてきた。一日でも早く、がん専門医に診てもらうのがよい。十二月十九日、都立多摩がん検診センターで内視鏡検診を受けた。『補助の医師が、手で私の腹を押さえつけて、腸を動かそうとする。ちょうど女子高生のルーズソックスのように、内視鏡より長い腸の壁にしわを寄せて、短く縮めようしているのだろう。四苦八苦の末、何とか盲腸まで内視鏡の先端がたどり着いた』とわかりやすい比ゆで説明する。
ポリープは大小4つが見つかった。『モニターで見ると、ポリープのない大腸の内面は、サーモン・ピンクに輝いて、信じられないほど若々しく、美しい』と描く。
検診に立ち会った妻がう。
「水洗してきれいにすると、じわっと血がにじみ出てくるのも見えました」
これもリアルな表現だ。
『問題は大きさではなく、がん化がどの深さまで達しているかだ』と担当医は言う。
手術ができる病院に移る。担当医が内視鏡でポリープを切除して、三十日には退院することになった。
おおかた入院中に書いたエッセイだろう。医師の情報を取りながら、自分のボディーを、もう一人の自分が観察する。作者の意図はそこにあるのだろう。プロの怜悧な目には驚かされる。
中村 誠 涙もろい、かな?
最近はとみに「私」は涙もろくなった。なぜだろう。古稀もすぎて年をとったからだろうか。NHKのTV「朝ドラ」で胸にせまる場面などは、涙腺がゆるむ。もちろん、悲しい場面も。
主役の子役が泣き虫の役を演じた。母親との別れの場面では、その子役と同じように涙が止まらなかった。『家内と一緒にテレビをみている時は、さり気なくメガネを外し、そっと目頭をふく。時には照れ隠しに席を立ち、窓から外を眺める不自然な動きをする』と心象と行動がリアルに表現されている。
音楽を聴くときも似た感覚をもった。ベートーベンの第九を聴いたとき、100人ほどの合唱には胸がしめ付けられ、涙を堪えるのに苦労した。涙腺の緩みを悟られたくない、という様子が伝わってくる。
8年まえ、母の葬儀の出棺に感極まって声につまり、恥ずかしい挨拶になってしまった。家内に言わせると「偽りの無い、心のこもった内容だったわ」と誉めてくれた。「お前も人の子だ」と友人に言われた。それをつい最近のように思い出す。
学生時代の友人から「お前はドライだよ」といわれる。「私」は涙もろく、情にもろい、と思っている。
作者は心温かい、涙もろい人物。しかし、涙腺の緩みを見せない、他人に悟られたくない、そっと隠し通しておきたいと思う。「書きにくいことを書く」という、自分自身に突きつけた課題をこなしている作品だともいえる。それだけに、随所に光るエピソードがある。
吉田 年男 敷 石
日曜日の朝は、冷雨だった。「私」はゴルフ用のカッパを着て公園に出かけた。南側には「あずまや」があり、周りは約50畳の敷石の広場だ。そこでストレッチ体操してから、軽いジョギングをはじめた。
濡れた敷石は滑りやすい。注意していたにもかかわらず、滑って前のめりに転んだ。とっさに両手を敷石についた。このとき敷石をみると、いつもと違ってきれいにみえた。
形は丸もあり、三角もあり、菱形、平行四辺形もある。御影石、大理石などが幾何学的に組み合わさる。雨に濡れて、石の形状線がくっきりと浮かぶ。どの石も色彩が鮮やかで、万華鏡を見ているようだ。
翌日、訓練の木刀を振ったら、左手首が痛い。Kクリニックで診てもらった。レントゲン撮影の結果、骨には異常はなかった。となると、雨に濡れた敷石の色彩豊かな情景が思い起こされて、なにか得したような気分となったのだ。
作者は「災い転じて福となす」というよりも、物事の視点や角度を違えれば、日常生活で見過ごす、ありきたりのものが別物に見える、という体験を書きたかったのだ。「視線を移動すると、物事の価値観が違ってくる」。それを意図した、啓蒙作品とも読み取れる。
藤田 賢吾 また、やっちゃったね
マックの古いパソコン「クラシックⅡ」はおもしろかった。マウスを動かすと、画面上の目玉が右にいったり左にいったりする。ときには「寄り目」になる。パソコン機能とは関係なく、遊び心で、付加されている。
パソコンで打った文章はそのままFaxで、何件も一斉発信ができるから便利だった。なにかの拍子に間違ったキーを押すと、『あ~ぁ またやっちゃったね。あんたもたいへんだね』とエラー表示が出る。パソコンから「あんた」と言われると、何かしら、とても親しみを覚えたものだ。
マイクロソフトでは『警告! あなたは違法な行為をしたため、画面を終了します』と出るから、一瞬どきっとする。違法な行為とは、犯罪ではないか。ボクは好んでエラーをしたのではない、と言い返したい気持ちだ。
最近のパソコンは、こんな表示は出なくなった。
パソコン教室では「失敗の達人です」と自己紹介する。20年もパソコンを使っていれば、画面が一瞬で真っ黒になり、唖然としたこともある。数多くの失敗を重ねた経験から、学んだことは多い。
デトロイトのモーテルは外灯のない暗がりの駐車場だった。ショッピングに出かけようと、車のキーでドアロックを開ける。ボタンを押した。その瞬間、「キューワー キューワー キューワー」と、けたたましい警告音が発生した。
車上荒らしや泥棒除けのセキュリティ・サイレンだ。慌てて、その音を止めるボタンを探した。こちらは焦っているが、わからない。モーテルの客が何事かと出てきた。サイレンは止まらない。野次馬は増えるばかり。しばらくして、ようやく警告音が止まった。周囲の客に、頭を下げて詫びた。
アメリカ大陸横断ドライブのとき、ガソリンスタンドに寄った。給油口の蓋のレバーが見つからない。いくら探してもわからない。セルフ給油だから、スタッフはいない。ようやく見つかったボタンは、なんとダストボックスの内側だった。
給油を終えて走り出したら、ボクの車を追跡する車がいる。「イヤな運転だな」と車線を変更した。その車は平行して走るではないか。
「本当にいやらしい」と思ったら、相手の運転手がボクの車の後ろを指差しながら、何か叫んでいる。車を止めて後ろに行ってみた。給油後せ、キャップを閉め忘れ、車の後ろに載せて走っていたのだ。
キャップが落ちなくてよかった。そのドジを親切にも教えようとして追いかけてくれたのだった。◎失敗談は読者をひきつける
ボクは会社で、雑誌広告の校正をチェックし、雑誌社へ戻す仕事をしたことがある。雑誌社から「まだ校正原稿が戻っていない」と催促があった。校正原稿は見当たらず、「そのままでいいですよ」と軽い気持ちで返事した。
発行された雑誌を手にした営業担当が、息せき切って駆け込んできた。「一番大事な商品が逆になっている」と怒鳴り込んできた。
「しまった」。広告料は得意先からもらえず、訂正広告を出さず、会社には莫大な損害を与えてしまった。
最近、「人間は、神様じゃない、間違いをする動物だ」と思うようになった。ボクのドジ、間違い、失敗の数え切れないくらい多い。だから、他人の間違いに対して、ボクはとがめだてする資格などない。罪のない間違った人に「あーぁ、またやっちゃったね」と言うことにしている。
人生経験が豊かな作者だ。成功した事例は多いはずだ。それを持ち出さず、語らず。自分を突き放したうえで、過去から失敗が多かったと展開している。その失敗談の一つひとつが相乗効果で、全体に厚みをつけている。
逆説的には、人並み以上に歩んできた人生だから、失敗のみが書けるのだ。自尊心とゆとりが作者の狙いとも受け取れる。
二上 薆 文化と文明 そのよき伝承を ―懇談の場から学ぶ―
『…なぜ世界遺産になれないか』、この卓話を聞いた後、十数人の高中年の男女による、親しい懇談の場があった。
世界遺産になれば、観光客が増え、経済効果も上がる。市民生活の平穏が乱される、むしろ迷惑だ。そんな批判を含めた語らいがあった。
「史蹟の表面的なアッピールより、神・仏関連で、人類の文化・文明の変化と伝承に関する点を強調したら」という話に進む。
〝国家の品格〟を論じた藤原正彦の記事が話題になる。そこで、ラジオ深夜便〝心の時代〟で聞いた秋田県藤里町の住職、袴田俊英さんの話を思い出した。同町は自殺率全国一だという。
袴田さんが渡辺京二著〝逝きし世の面影〟という本を紹介した。『明治維新当時の日本人は互いに手を差し伸べて、助け合った。共生、ムラ社会、この国の文化と文明の見事さがあった。現在は家族制度の崩壊から、この良さが失われ、気軽に語る友を作れない。堅物の東北人は、高年者が孤立化し、自ら生命を絶つのではないか』と自殺日本一の理由を語ったという。
「ラジオ深夜便」を思い出した「私」は、同席するBさんに、「貴方はあちこちに顔を出し、出来るだけ闊達に生きるような努力が見えます。だけど、孤独で気楽に過ごせない、超真面目人間だと思う。つまりは、自殺者候補じゃないかな?」と揶揄した。
Bさんは眉間に皺を寄せた。しかし、ゆったりとした態度に戻り、
「自著〝阿字観体験記〟を貴方に差し上げましょう」と、コピーであるが、立派な資料をもらった。
Bさんは仕事の激務から胃潰瘍になり、自己催眠状態なる自律訓練法で治癒する。他方で、問題点にも気がつく。やがて、「密教瞑想法」なる本と出合う。阿字観の行にほれ込み、実行したところ、健康で明るく過ごしているという体験記であった。
「私」は、密教って何なんだろうか、という疑問を持つ。立川武蔵著〝密教の思想〟をひも解く。そのうえで、中村天風の天風法とか、『水戸黄門』の女優由美かおるから、有名になった西野流気功法とか、瞑想にふける阿字観の行とかを探る。「身を修める心身統一、黙想法、修身の法がいくつかある。在家での修行として密教があるのだろう」という考えに到達する。
密教・瞑想法に関して、その効果・有難さはいかにあるのか。仏教など宗教教義など頭からの教えが身体で享ける「行」を通じて、その人に浸透する。そこから身に付いた宇宙観・人生観が生まれる、ということかな。と「私」は俗人として推測するのだ。
「古来の文化・文明が一つの密教という形で伝承されている。密教、密とい言う字が一寸気になるが、堂々たる創造・伝承である」と、いずれにせよ、歴史を思い、前向きな日々を過ごし、よき文化・文明の創造、継続者になりたい、と「私」にそんな生き方を課すのだ。
作者がこの作品を書いた狙いは何か。十数人の親しい懇談の場から、教えられたものがあった。品格、自殺、密教。さらには文化、文明を論じ、語らいができる、こうした仲間のありがたさ。「私」の心身の健康のありがたさ、それを描きたかったのだろう。