尾道の旅情と志賀直哉の旧邸を訪ねる
1月13日の朝、夜明け前に尾道駅に立った。私は幼いころ父に連れられて尾道魚市場に何度もきたものだ。朝の薄暗い時間帯に、セリの声が響いていた。市場の一角で、温かい中華そばを食べさせてもらえた。魚介類の出汁だけに、たまらなく美味しかった。いま流行する尾道ラーメンのルーツかもしれない。
駅付近で、魚市場の所在地を聞いてみた。だれもが首を傾げた。思い出深い魚市場は既になくなったようだ。
尾道水道は向島との狭い水路で、フェリーボート、小型ボート、貨物船、漁船などのさまざまな船が行き交う。対岸の造船所では、大型の鋼船が建造されている。
タワークレーンから夜明けの陽が昇ってきた。シルエットが水面に映る。船舶との陰影の組み合わせは情感豊かなものだった。
魚市場がなくなった尾道港だが、海岸線は整備された、気持ちの良い散策道が続いた。右手には尾道城が見える。私が幼い頃にはなかった。(1964年に観光目的で築城)。
尾道といえば千光寺だ。尾道水道と向島が一望できる、風光明媚なところ。両親に連れられて、千光寺の桜を観に来たものだ。桜がなくても、冬場でも、最上の景色だと知る。そちらに足を向けてみた。
石畳の急坂を登っていく。振り返れば、尾道水道がみえる。その繰り返しは旅情豊かにさせてくれる。
尾道文学の面では、林芙美子や志賀直哉が居を構え、作品の舞台になっている。千光寺の中腹には、志賀直哉の居が残されていると聞く。過去には一度も訪ねたことはなかった。
小説の神様といわれた志賀直哉著「暗夜行路」は、私が小説の修行時代に、文体を学ぶために二度も原稿用紙に書き写した。それだけに親しみが深い作品だ。
志賀直哉は日本ペンクラブの第3代会長でもあった。私は同クラブに所属する。その面でも親近感を覚えた。志賀直哉の住まいから、尾道水道が一望できる。ここで名作を生み出したのかと思うと、感慨深いものがあった。
しばし佇んでいたが、やがて千光寺に足を運んだ。奇岩が多くあったが、時間のゆとりがなかったので、次回の楽しみとした。