A020-小説家

ノンフィクション・『いい加減な会』に、北から農夫が来たる

 今回の『いい加減な会』は、6月21日夕方5時、京成立石駅だ。このところ、昭和の街で脚光を浴びる町だが、同会が「学友会」としてスタートした、ルーツの街だ。こんかいは札幌市から、約30年ぶりに、学友の農夫がやってきた。新しい刺激があった。


 一方で、元銀行屋が上司にうまく嘘がつけず、業務に磔(はりつけ)になり、今回は欠席だ、という情報が入っていた。前回において、それぞれ『細君同伴』という提案・意見があった。元焼き芋屋が過去の恥部をばらされるといい、うまく成立しなかった。

 唯一、ヤマ屋のみが妻と同伴で、京成立石駅の改札口にやってきた。約束時間よりも10分まえだった。遅刻常習犯のヤマ屋にしたら、過去にはあり得ないことだ。真面目な女房に尻をたたかれた、ヤマ屋がしぶしぶ時間前に応じたらしい。
 改札ふきんには誰もいなかった。
「早く着くと、待ち人は現れずか、やたら待たされるか、どちらかだ。これが俺のジンクスだ」
 ヤマ屋がつぶやいた。
「日にちを間違ったんじゃないの? 一人もいないだなんて。ほかの人は真面目だから、定刻前に来ているはずよ」
 妻の不信の視線が、ヤマ屋に突き刺さった。
「そんなはずはない。きょう21日だ」
 ヤマ屋は首を傾げた。
「……、もう五分前よ。おかしいと思わない?」
 妻の顔から、夫への不信の表情が消えなかった。
「こんかいの幹事は元教授だ。変更があれば、かれから連絡がしてくるはずだ。奴が連絡を忘れたのかな?」
「きっとあなたに落ち度があるのよ」
 妻はそう決め付けた。彼女はすべてにわたってヤマ屋を信用していない態度だった。過去からの亭主の失態をしゃべらせたら、CD-ROMなみにデータが豊富で、緻密だ。

「ミスがあったとしたら、元教授だよ」
「あの人は、あなたと違って、正確で、真面目よ」
 ヤマ屋の妻は、元教授を贔屓する口調だった。もう数十年前のむかし、妻は某女子大生で、ご令嬢だった。元布団屋にいわせれば、美人だった。

 仲間内で最も無骨なのがヤマ屋だ。……着飾った女子大生の彼女に会うのに、ヤマ屋は磨り減った下駄履きで現れる。デートの食事代は折半。割り勘。そういいながら、多摩川の花火大会に、約300円(現在の貨幣価値)ていどしか持たずに出むく。彼女の負担のほうが大きかった。帰りの電車賃はキセルだ。
 こんな男女が結婚すれば、不釣合い、不似合いな夫婦になる。それが十二分に予測できた。それを愉快がり、結びつけたのが策士の元教授だ。だから、妻は元教授をよく知るのだ。


 元教授がひとり改札口にやってきた。
「もう皆、とっくに集まっている。近くの喫茶店に」
 その店は、高架の駅舎を下った先の商店街に、最近できた200円のコーヒーショップだった。店内のなかほどのテーブルに、学友が群れていた。
「おう、久しぶり。顔だけは変わらないな」
 札幌在住の農夫が懐かしの表情を浮かべた。30年ぶりの再会だ。思い出の話しがたちまちあふれた。
「奥さん、何を飲む?」
 元布団屋が、ヤマ屋の妻を気づかう。その妻も、学生時代の話題のなかに、吸収されていた。当事者がなつかしがり、喜ぶほど、読み手は面白くなく、白けるので、この詳細は割愛する。

 ただ、農夫の素性だけは多少ふれておくことにする。出身は大田区・大森だ。たしか書店の息子だったと思う。第一学区の都心部の高校に入った。農夫の説明によると、青山霊園に隣接した高校だという。もう没落し、廃校になっている。
 おおかた同校の生徒が霊園で悪戯し、その祟りがあり、どこか他の高校に吸収されたのだろう。少なくとも、その高校は、名士が多く眠る青山霊園ほど有名ではなかった。かれは大学に進み、これら学友とゼミナールで一緒になったのだ。


 農夫の結婚あいては、北海道の日本海側にある、小樽に近い某港町(地名を忘れた)の網もとの娘だ。ふたりは長く東京に住んでいた。やがて、女房の磁力に負け、北海道に移り住んだ。漁船は荒海で沈没するかもしれない。農地は大地震がきても、畑の地割れていどだ。かれは漁船を嫌い、農夫となったのだ。『蝦夷に流された』という心境が消えず、東京には未練たっぷりの口調だった。

「北海道は寒いから、イチゴの出荷が遅い。だから、高値で売れる」
 農夫の話が、日々の農作業に移った。アスパラは3年で収穫できる。各種の野菜の耕作方法を聞かされた。すっかり農夫が板についていた。
「北海度にいると、東京の情報に飢えているんだ」
 農夫は率直に、東京への哀愁の心情を語っていた。話題がそちらに移りかけると、元焼き芋屋が遅れてやってきた。会議だったという。誰もが会議の内容には興味を示さず、全員が立ち上がった。

 京成立石駅から徒歩0分の人気店『うちだ』の超安価の酒宴にむかう。いつものように、店頭は行列だ。待ち時間は15分ていどか。通いなれた経験から判っている。
 この間、ヤマ屋の妻が元女子大生仲間とゼミとの、再交流が持ち出されていた。結論が出ないうちに、店員が「別々に座っておいて」と招き入れた。
 他方で、中年の酔っ払いが追い払われていた。この店は他で酒を飲んでくると、店内には入れてくれない。それが伝統だ。

 ヤマ屋の妻は一滴も酒が飲めないので、この場から立ち去っていった。農夫を含めた、なつかしさから店内で記念写真を撮ったところ、店員に怒られた。

 元焼き芋屋が、数日東京に滞在する農夫に、五反田の美味しいラーメン屋を教えていた。他人の味覚、趣向など気にせず、己の感性だけで店を推奨する。押し付けがましい男。それが元焼き芋屋の魅力でもあり、持ち味だ。
「この『うちだ』には職場仲間を連れてくるんだ。皆フアンになっている。近いうち、日本の経済界の頂点(?)にいるような大物もつれて来たい」と元焼き芋屋が語った。『ほら吹き男』だと、決め付けられないないのが、この男の実行力だ。
 
 二次会のコースは京成電鉄の線路沿いの「海華」だが、貸切で入れてもらえない。中国人の美人お姐さんが、気の毒がってくれるが、こればかりは致し方なかった。ただ、小物のハンコウを一人ずつにプレゼントしてくれた。

 立石商店街には、超有名な飲み屋がもう一件ある。『鳥房』だ。商店街に面した店頭は『肉屋』だ。客が鶏のモモ肉を注文してから、油で揚げる。それは数十年もつづく、徹底振りだ。
 裏の座敷が飲み屋になっている。メニューはシンプルで、モモのから揚げ、トリワサ、鶏ヌタくらい。飲み物はビールと日本酒のみで、焼酎類はゼロだ。女性にも人気がある。超繁盛店だ。

 この会は、まさに偶然というか、店先に並ばないで、入れたのだ。6、7人のグループが屋外の縁台で食べる(これも下町情緒がある)といい、席を移って、その場が運良く空いた。これはラッキーだった。

「この店は一度きたかったのだ。『海華』が貸切だったおかげだ」と元学者がことのほか感動していた。テーブルに出できた、から揚げは熱くて美味い。気取ることはない、ここは下町だ、だれもが齧(かぶ)りついて食べている。骨まで食べられるくらい、揚げぐあいが上等だ。
 下町の食通で、この『鳥房』を知らなければ、ツウを自慢することなかれだ。

 話題は北の農夫を中心に回る。農夫はこのごろマラソンに凝っている。5キロ大会に出て、30分を切れたと、記録を披露していた。ヤマ屋は折々フルマラソン42.195キロに出場している。農夫の5キロのラップよりも、早く42キロを走りぬくことから、その話題は盛り上がらなかった。

「11月には札幌でやろう。安いツアーを使おう」と盛り上がった。誰が幹事になるか決めていない。『いい加減な会』だから、実行性は乏しいものがあるけれど。

 元教授が屋久島(鹿児島県)の山に登ってきた。初日は足がガタガタだった。その夜に湯に入り、一晩寝ると、翌日は足がスムーズに動いた、と話す。
 ヤマ屋は『日本100名山』には挑戦していない。北海道から九州までの費用を考えると、金銭面で最初から挑む意欲などないと語る。

 元布団屋が台北の美術館にいった。第二次世界大戦後、蒋介石が中国本土から台湾に文化財を移した。それら美術工芸品が台北にある。鑑賞した感動を語る。話の内容が各論におよぶと、ずいぶんむずかしい。
 元布団屋には、『レポートしてくれ。頭に入らないから』と小難しい話をシャットアウトした。写真はSDメモリーで渡された。

 台湾写真の提供:元蒲団屋


【関連情報】

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 ☆特別寄稿(海外旅行者は必読):元教授の2回連載 1.『クルーズは誤解されている』
                                    2 『クルーズの上手な申し込み方』

 ☆元教授が撮影:ちょっと快適な船旅は 『こちらをクリック』してください。

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