A020-小説家

ノンフィクション・08年・学友会 昭和の大学生

 あれから何ヶ月が経ったのだろうか。節分、バレンタインー、桃の節句、桜の開花宣言、いまや染井吉野が散りはじめている。1月17日の「学友会」の新年会から約3ヵ月が経つ。
 山屋はルーズな男だから、『穂高健一ワールド』に寄稿する、学友会のノンフィクションはまだ書き上げていない。一行も手を付けていないのだ。
「つつじが咲くころだ。どこ吹く風で、いつまで書かないのだ」
 元焼き芋屋が執拗に督促する。
「今回の学友会も、写真を消したんじゃないか」
 元蒲団屋が疑う。

「写真は間違いなくある」
 山屋のことばに、信憑性はあるのか。普段がふだんだから、まわりは疑う。
「それなら、証拠を示す意味でも、書きなよ」
 元蒲団屋は、山屋のほほ被りを見逃さない態度をとった。
「来年といっしょにしたら? 2年の合併記事にしたら」
「だめだ」
「書けばいいんだろう」
「3ヵ月前の記憶がどこまで確かなものか」
 山屋が記憶の消滅を良いことに、自分に都合よく、虚構(フィクション)で書かないだろうか。そんな恐れが多分にある。

 春の低気圧の通過で、猛烈な風雨となった。八ヶ岳は大荒れだ。登山が中止になった山屋が、ようやく書きはじめたようだ。

 学友5人は京成立石駅に17時に集合だった。元蒲団屋が八潮市(埼玉県)にすむ息子の家から、京成電車で集合地へ向かっていた。息子から教わった新ルート、北総線を使うことで約20分ほど目的地に着きそうだった。その小さな感動から、かれは車内の路線図に関心を寄せ、立ち上がって凝視していた。

 一方で、山屋が池袋の外出先から帰路を急いでいた。
「学友会には着替えて。だらしない格好はやめて。恥をかくのは私だから」
 妻から自宅に呼び戻されていたのだ。
 山屋の女房は、むかしの交流仲間として顔を知るメンバーだ、ある意味で仲間だ。だから、ことのほか学友会に着ていく着衣についてはうるさいのだ。

 山屋が青砥駅から押上線に乗り込んできた。そして、立ち上がっている、元蒲団屋の席に座ったのだ。
「おっ、何だ」
 鉢合わせになった、ふたりは京成立石駅で降りた。
「わが家にきて、おれが着替えている間、女房と話していたら」
「そうするか。駅で、20分もぼっとしていても仕方ないことだ」

 そんな事情で、ふたりは京成立石駅から徒歩5分の山屋の家に行った。
「久しぶりね」
「変わってないな。奥さんは」
「何十年ぶりかしら」
 山屋の女房はお茶を出す時間も節約し、蒲団屋と食卓で向かい合う。千載一遇のチャンスとみたのだろう。亭主への日ごろの不満、鬱憤をこき下ろす。
「あんないい加減で、だらしない山屋と、よく結婚したな。品の良いお嬢様が」
「マナーもなく、だらしないし。子育てだって、一度も風呂に入れたことがなかった人よ。知っている? 実父が亡くなったとき、知人からもらった香典で、冬山用のテントを買ったのよ」 
 ふたりは女子大とゼミとで交流があった仲だ。ゼンマイが解けたように、時間も惜しんで山屋を酷評する。話はどんどん進んでいく。ふたりはずいぶん意気投合していた。隣の部屋で聞く、山屋は真実だと割り切っている。

 5人が京成立石駅の改札に集まった。唯一、元焼き芋屋は背広を着る。いまなおサラリーマン稼業だ。棚からぼた餅の地位にある。つまり、かれの仕事は接待だ。実務は部下という構図にある。この日が、会社の新年会だったらしい。
「会議に、お前が出なくても、大会社は倒産しないさ。むしろ業績向上だ。努力しても、元焼き芋屋はいまさら社長になれないだろう。サボれ、サボれ」と山屋が強引に連れ出したのだ。
 新年会は、「学友会」の発祥の地である、駅から路地に入った『うちだ』だった。元教授が発見してきた店である。
「豚き焼きで、とくにモツ煮は格別の美味さだ。店員の客扱いは超一流だ」
 元教授がこの店を好む最大の理由を語るのだ。最初は5人が別々の席に座っていても、移動、移動で、約10分後には5人が一ヶ所の席で並ぶことができるのだ。
「焼酎はコップ3倍までだ」
 元教授が注釈を付けてくれる。


 5人は狭く肩を寄せ合うから、話は断続的で、なおかつ話題はすぐ途切れてしまう。八甲田山の混浴の話が出たけれど、色気のある話まで及ばない。たんなる旅行話に終わってしまう。
「身体検査の翌日だから、豚焼きの脂は問題なく食べられる」
 と舌鼓を打つ。誰も乗ってこない。鈴鹿・三重県のロッククライミングの話が出てくる。その話題の脈絡を書くと冗漫になるのでやめておく。ランダムな話し合が飛び交えだけの学友会の新年会は、まずは一人当たり1600円だった。

 二次会は、京成電車の線路脇にある中華料理店「海華」だった。愛想がある、中国人娘のウエイトレスとはもう顔なじみだ。600円前後の一品料理が豊富にならぶ。テーブルには焼酎と紹興酒と料理皿が運ばれてくる。 いつもながら、学友の消息が話題になる。年賀状を辿っていけないものだろうか。細い線で結ばれているはずだ。そんな期待を持つ。だが、現実には音頭をとって動くものはいないのだ。

 酒が入ると、元銀行屋の舌がことのほか軽くなる。「おれは一度の見合いで結婚した」という。数十年が経つ、いまさらさかのぼっても、結婚話は無意味。だが、友人どうしとなると、愉快な話題として遡上に飛び上がってくるのだ。どんな角度からでも、味付けの悪い料理ができるし。
「一度の見合いで結婚とは、思い切りが良かったのか、諦めが良かったのか。この女性を逃したら、あとはないと考えたのか。微妙なところだな」
 焼き芋屋が揶揄(やゆ)する。
「愉快で明るい奥さんだ。電話で聞くかぎり。父ちゃん、バク睡中よ。と、軽妙な会話が切れ味よく返ってくる」
 山屋が教える。
        

 山屋のアパートは溜まり場だったという、話題にスイッチされた。
「武蔵小山の山屋のアパートに土曜の夜に遊びに行った。登山用の靴を買わされて、翌朝、乾徳山(けんとくざん)に登った」
「あの、鎖場のある山に登ったのか。元銀行屋も」
「忘れているのか」
「誰とどこの山に登ったか。そんなの、いちいち憶えてないよ」
「それがお前の性格だ」

「引越しするとき、布団を処分すると、小さなトラックに半分だった。わびしかったな」
 元教授が何を思ったのか、しみじみと昭和半ばの大学生論を展開していく。学生時代には千葉県・江見で、ゼミ合宿があった。外房の江見海岸沿いには乱れ咲く、花畑の美しい情感があった。最近の情報によると、大半がビニールハウスに入り込んでいる。海岸が花咲く情感はないようだ。そこにも距離感を感じるようだ。
「昭和はだんだん遠くになっていくな」
 京成電車が通るたびに、店内に車輪の音がひびく。ここは昭和の下町として、最近はとくに話題になる街だ。
「おれたちは昭和半ばの大学生時代だった。大学生がまだ少なかった時代だから、優遇されることもいろいろあった」
 元教授のことばにも、昭和の情感がある。こうした話題が昭和の貴重な証言だ、といわれる時代がやがて来るのだろう。

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