A020-小説家

掌編ノンフィクション・『1月の学友会』

 今回の会合は、元蒲団屋の本拠地である埼京線の与野本町駅に移った。案内された店は改札口から徒歩2分の高架下の立食いソバ屋だった。
(マジかよ。本気か。遠路はるばる、埼玉県さいたま市という厄介な地名のところまでやって来て、新年会がここかよ)
 それは口に出すまでもなく、あ然とさせられた。

 L字型の立ち食いカウンターには客がまばら。真横から厨房の裏手に回りこむと、10人くらいが収容できる、テーブル席があった。壁面のメニューから判断すれば、焼き鳥が専門らしい。
 先着していた元教授と、元焼芋屋がともに「なかなかいい店だ」と悦に入った顔で呑んでいた。
「ソバ湯で割った焼酎だ。これがなかなかオツだ。逸品だぞ」
 元焼芋屋が下世話な口上で、大き目のグラスにそれを作ってくれた。


 日本ソバは好きだし、ソバ湯の味わいは好きだ。一口、二口と呑んでみた。ふだん焼酎は飲まないが、芋の香りとソバの調和が風味豊かな、いい味を作っていた。
「数十年にして、はじめて焼酎から呑みはじめたよ」
 というと、元蒲団屋がホストよろしく生ビールを頼んでくれた。
「このママは美人だぞ」
 そう教えるのは元焼芋屋だ。

 それには疑ってかかってしまった。かれの図々しさはこの上ない。さして美人でなくても、気を惹く口上として、抵抗もなく自然に口から出てくるからだ。
(この場では最もママの気を惹く存在でありたい)
 それだけの魂胆だろう。
 元焼芋屋はもともと売込みは上手だ。ビジネストークは業界でも有名らしい。しかし、学友が相手となると神通力は通用せず、見透かされ、話し半分以下と受け取られてしまう。ときには四分の一以下。こちらがそれを指摘しても、角ばった顔で笑って流す。磊落さと悪びれない性格は随一だ。

「いらっしゃいませ、緊張するわ」
 ママは小柄で華奢な体躯で、洒落たメガネをかけていた。くりっとした目の表情がいい。そのうえ、おちょぼ口で笑顔が愛らしい。焼き鳥の注文をとりはじめた。

「タレにしますか、塩にしますか」
 一品ずつ本数を確認する声は軽やかで、聞く耳には心地よい。
「美人だろう」
 本人をまえに念を押す元焼芋屋だが、ちょっと表現力不足だった。
 
「きょう元銀行屋は欠席だった。なんでも、うちの女房が受けた電話では、予定があったのを忘れていたらしい」
 ヤマ屋が伝えた。学友の集まりには拘束力もないし、目的も、意義もない。欠席も参加も自由。だから、なんの用ができたのか、とだれも聞かないし、詮索すらしない。
『来れるものが、集まっている』
 残された人生で、気楽に語り合える仲間が月に一度集まり、軽口を言い、本音を語る場なのだ。年齢からして、今後の生き方だの、墓だの、病気だの、という話題が多い。世継ぎや相続問題となると、明瞭にいえば、だれもが財力、資力がないから、ほとんど話題にできないのだ。


 撮影:元蒲団屋(オーストラリア)

 今回の愉快な話題は、主催者の元蒲団屋が提供してくれた。オーストラリアから帰って、糖尿病の検査入院をした。数日後には、急に右足のくるぶしが腫れ、激痛が走り、歩けない状態になったという。

 内科医の診断では疑痛風、もしくは歯や喉の化膿から細菌が入ったか、と疑う。糖尿病の体質は、尿酸値が7よりも低くくても、痛風になるといわれたらしい。そこで鎮痛剤のほかに、口内の消毒用うがい薬を出してくれたのだという。
 (足首の激痛が、うがい薬で治るのか?)
 病人にとって医者は生命をあずける、神さまの次にくる存在だ。言うことを聞かないとバチがあたる。ガラガラとうがいし、『どうぞ足の疼痛が直りますように』、と元蒲団屋は呪文を唱え、祈っていたのだろう。


   撮影:元蒲団屋(オーストラリア)

 内科医がさじを投げたのか、ていの良い専門医の紹介という名の下に、おなじ病院で回された先が整形外科。そっちの診たては、「加齢とともに骨の石灰質が脆くなり、炎症を起こす。そして激痛が生じる。石灰質を溶かす治療が必要だ」といったものらしい。

 こんどはうがいでなく、ギブスをはめた縛縄状態でベッドに張付けだ。元蒲団屋にすれば、軽い気持ちの入院が、拷問を受ける境地にまで追いやられたのだ。外科医はおもむろに石灰を溶かす薬を存分に投与したようだ。

 元蒲団屋は糖尿病で、細かい字が苦手だ。早く直りたい一念から、1回3粒のところを8粒だと読み違えて飲めば、『脊髄を溶かしかねない?』とこっちが先々まで案じていれば、
「発病がオーストラリアの旅行中だったら、と思うと、ぞっとするよ。日本の病院で発症したから良かった。それが唯一の救いだ。いまはすっかり痛みが取れた」
 と安堵の表情で語る。

 愉快がっては元蒲団屋に悪いけれど、同一病院で、ふたりの医師が一人の病人に対して病名が違うのは、面白い話しだ。どちらに軍配が挙がったのか、そっちに好奇心が移っていった。

 結果は内科医が負け、整形外科医に勝利したと教えてくれた。冷静に考えれば、医大出身でもないし、『家庭医学書』が座右の書でもないが、うがい薬で足首の激痛が治るとは思えない。軍配を気にしたほうがバカに思えてきた。

 フジテレビ系列『あるある大事典Ⅱ』の納豆事件が話題にあがった。番組の制作会社から納豆業者に放送内容がリークされていた。ヤマ屋がそれをスクープした。週刊誌各社から取材協力要請を受けたという経緯を語った。

 元教授は1月中旬から、モロッコ・カサブランカあたりをカメラ撮影で、ぷらぷら旅行中だったと語る。月末にかけては国内の世情に疎く、納豆事件の情報など欠落していた。話題が空転し、盛り上がらず、元蒲団屋の痛風の話にもどった。
 撮影:元教授(サハラに日が昇った瞬間)


 元教授が自分も痛風だといい、苦しみがわかるといい、同病相哀れむのか、深く理解を示す。
「酒を飲んで、気分が好いときは痛みがこない」
 元教授は持病の特徴を語る。痛風とは精神的に都合のいい病気らしい。きっと細君に家事の手伝いを頼まれたりしたら、急に足の親指の付け根に激痛がくるのかな、と勝手に想像させてもらった。

                  撮影:元教授(カサブランカのモスクで)

 海外放浪症候群の元教授は、「ベルギー、スペインはお勧めだ、ニュージーランド、カナダはたいしたことない」と一刀両断でいった。
(ほんとうか?)
 自然が好きなヤマ屋が疑いの目を向けた。このさき下手に金と時間をかけて現地を検証し、元教授に異論をいえば、感性の違いだと一言で終わりだろう。あげくの果てには、旅費の補填など1円もなく、むなしさが残るだけだ。ここは元教授の説を鵜呑みにした。
 
 考えてみれば、早い話し、海外放浪症候群に病むと、つまらない国でも出かけていって内情を知っているということかもしれない。他方で、こう推量した。元教授は広大な山岳風景よりも、伝統ある国家に魅力を感じた旅行に凝っているのだろう、と。


    撮影:元教授(カスバ)

 ヤマ屋の1月の旅話題となると、秩父の日帰りハイキングしかない。オーストラリアやモロッコと比べると、あまりにもお粗末なので出し渋ってしまった。

 12月に元蒲団屋の次男から、唐突にヤマ屋にメールが来た。『父を想うメール』の内容を披露した。学友会の記事から、別の父の顔を知った。過去の父親は単なる働き蜂の姿しかなかった。そんな背中しか見ていなかった。いい学友がいる、呑んで語れる仲間がいる父、新たな父の顔を見た、という内容だ。元教授がとくに感動していた。

 その次男は自宅を出て八潮に住む。元蒲団屋は長男夫婦が建てた家に一緒に住む。家族、家庭の内情には聞くほうが億劫なので、説明を受けたが、ほどほどに聞き流す。
 結論は、元蒲団屋が自分の力と金で、新築を建てる甲斐性がなかった。親の威厳でせいぜい旧家屋の取り壊し料ていどか。ヤマ屋の頭脳はそのくらいの理解にとどまった。

 ヤマ屋は女房の親が建ててくれた家に住む、居候のような肩身の狭さを味わう人生だ。家はないけど、テントなら二張りはある。それはさして自慢にはならないらしい。夫婦喧嘩すれば、女房から出て行って頂戴といわれる身だ。一度、本当に出て行ったら、二度といわなくなったけれど。

「ここから徒歩10分だ。ぜひ、わが家に立ち寄ってほしいと招くのだ。
「夫人に迷惑だ。こんな夜に」
 3人はそれぞれ一言ふた言は辞退した。
 食事が用意されているという。断れば、夫婦の間で、元蒲団屋の面子がつぶれる。それはどうでもいいことだ。料理を作って待つ奥さんが、料理を台無しにされる。この心情には辛いものがある。奥さんのために、出向くことに決めた。

                撮影:元教授(ほんとうの群青色をみた、モロッコで)


 店外に出ると、十三夜の月光のいい晩だった。新幹線の通過する音が夜空にひびくけれど、さほど気にならなかった。美人とソバ湯焼酎に酔った元焼芋屋は、酒豪らしからぬ千鳥足だ。かれの歩調に合わせていく。桜の古木がフェンス沿いにならぶ中学校があった。そこから近いところに、三階建てのおしゃれな新築があった。

「この年齢にして、新築に住めるとは贅沢だな」
 玄関に一歩入ると、新築の香りが全身を心地よく全身を包んでくれた。
 出迎える夫人とは結婚式以来の顔合わせだ。酒で鈍った頭脳から、目の大きな可愛い女性という面影が引き出せた。いまは見るからに、孫を持つ女性の風格があった。他方で、若さはしっかり保っていた。そのうえ、料理の腕前はプロ並みだ。味付けに優れた中華料理が次々に並ぶ。無礼講で食べて呑みたかったが、立食いソバ屋の満腹感から、箸を伸ばす回数が少なく、失礼してしまった。

 元蒲団屋の亡父は戦前・戦後における近代中国史家で、古物鑑定にも秀でていたと聞く。血筋なのか、高価そうな陶磁器が床の間に置かれていた。廊下の壁面にはいい油絵が飾られている。それら講釈を含めた話題が材料はつきなかった。
 胃袋がアルコールを拒否してきたので、暇となった。元蒲団屋に送られながら、月夜の道を駅に向かった。

       撮影:元教授

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