A020-小説家

学友の輪

 大学のゼミ仲間が、面白いほど、月を追って集まりの輪を拡大している。そこには過去からの豊富な話題と、むかしから酒好きだったという共通点があった。

 5月のある日、元大学教授から、京成立石駅の裏路地に『うちだ』というモツ煮の店を見つけたからといい、連絡をもらった。今春には朝日新聞の地方版の下町特集で『うちだ』が、記者の体験記のような執筆で紹介されていた。とくに興味はある記事ではなかった。
 むしろ店の前を通り過ぎるたびに、町工場の工員たちが昼間(午後2時開店)から酒を飲んでいる、どんな連中だと、やや見下した気持ちだった。

 久々に学友に会う目的のみで、翌6月には元教授と2人で『うちだ』で呑んだ。安価で、モツ煮がうまかった。店内は昭和三十年代の雰囲気だ。5、6人の店員たちは一見して雑な態度のようだが、きめ細かい接客ぶりだった。
「元NTT幹部の男を呼ぶべきだな」
 それが共通の話題となった。その人物は大学3、4年生の頃に、杉並区で焼き芋屋の屋台を引いて売っていた男だ。
「奴が最も好きそうな店だぞ。元NTT幹部という裃などを剥いでしまえば、かれの雰囲気にぴったりの店だ」
 そう話しが決まり、連絡を取ると飛びついてきた。

 7月には3人が顔を合わせて呑んだ。次は誰かを誘い出そうか、という話の盛り上がりがあった。他方で、元NTT幹部の男が、『七十歳でマナスルに挑戦』という人物の取材情報をもたらした。取材後には呑もう、という約束事になった。

 15年前に大病し、本来ならば生が断ち切られていた人物がいる。通称、蒲団屋だ。きっと摂生しているだろう、酒の場に誘ってだいじょうぶかな、という不安があった。元大学教授が蒲団屋に声をかけた。8月にはぜひ一緒に飲みたいという返事だった。
「ほんとうかい? いのちは大丈夫か」
 そんな気持ちだった。
「一度死んだ身だから、残された人生で、好きな酒を飲む」
 蒲団屋は達観していた。少なからずとも、生死をさまよった末に、学友との人間関係の輪を尊重する態度だった。

「すごい奴だ」
 他方でこう考えた。人間は開き直りも大切だ。人間の寿命や運命は別物だ。残された人生を如何に生きるか、ただ長生きすればいいわけじゃない、と。蒲団屋からこの先の生き方をおしえられた心境だった。

 蒲団屋の亡父は中国古物の第一人者だったらしい。遺した数々の書簡を仏壇から見つけたといい、持参してきた。それらは人間国宝だった陶芸家たちとの交友関係を示すものだ。一級品の資料だった。文学、芸術に関わるものからみたら、実に羨ましいかぎり。それを下地にして亡母が自費出版していた。それも発見したらしい。リライトして、小説にしてみたい心境だった。
 蒲団屋には血筋なのか、古物の目利きがあるようで、話が盛り上がった。

 9月には元銀行員を呼ぶということで、話しが決まった。その場でいちおう電話を入れると、きょうにでも飛んで来たい雰囲気だった。あくまでも次の楽しみとした。

 来年には福岡県の新聞配達屋を呼び寄せよう。かれにもその場で電話を入れた。当人は懐かしがって、ぜひ実現したいという。
 子育てが終われば、家庭内は夫婦のみ。ほかに交流を持つとしても、学友が一番だ。『学友は財産だ』という気持ちがごく自然に再確認できた。

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