A020-小説家

スタートが遅れた、長編小説について

 長編小説の受賞歴が少ないので、9つの受賞作およびタイトルが私の作風のすべてを言い表しているとはかぎらない。
 かつて長編推理小説は約10年くらい書きつづけた。江戸川乱歩賞などは、あと一歩のところで、候補作まで届かなかった。それには越えられない理由があったようだ。出版社とすれば、作品は『商品』だから、作者の若さが必要だと聞かされた。
 
 

 私は過去から現在まで、多くの人からストーリーテラーだといわれてきた。
 物語の筋立てで、苦労することはあまりない。他の意見や感想などで、さっと登場人物を変えたり、ストーリーをいとも簡単に変えてしまう。実にエンター向きな作家だといわれてきた。しかし、推理やサスペンスでは受賞できなかった。
 振り返ってみると、私が小説を書き始めたのは他に比べると、10年ほど遅かったようだ。他方で、純文学に拘泥していたから、エンター系作品の創作がさらに10年遅れた。合計20年ほど、エンターを手がけるのが遅かったようだ。

 ものは考えよう。純文学に拘泥したから、伊藤桂一氏という偉大な作家と30年以上も子弟の関係がたもてた。と同時に、9つもの受賞歴をもつことができたのだ。この財産は大きい。
「これだけ受賞していれば、ハクがあるよ」
 伊藤先生は言ってくれる。一つひとつの文学賞は大きくなくても、選者は超一流。それらの厳しいフィルターを通っているのだから、というような内容の話しをされた。小説家を目指しても、生涯に一つの文学賞ももらえない人は多くいるのだから、贅沢の極みかもしれない。

 純文学系の受賞が多いことから、大手出版者の部長クラスでも、執筆に対して信頼の目でみてくれる。過去には、新潮社の部長、宝島社の部長が長編小説について、出版を前提にいろいろアドバイスをしてくれた。最近も、大手出版社の総編集長が、企画書を真剣に向かい合ってくれた。『文章や構成力など完成しているから、そちらの手間が必要ない作家』として判断しているようだ。

 『何事も積み重ね』が大切。 賞狙いはやめたにしろ、長編は書きつづける。受賞しなくても、書籍は発行できるわけだから。そういうチャンスをもとめて書き続けていく。
 

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