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入梅前の低気温で、沢登りは断念。尾根歩き=川苔山

 6月10日、PJニュース・小田編集長と、二人して奥多摩の本仁田山(1224m)と川苔山(1363m)に登ってきた。
 当初は川苔山の逆川(さかさがわ)の沢登りだった。シャワークライム(頭から水を被る)、泳いで対岸に渡るルートだから、気温が低いと、全身ずぶ濡れになる。冷水では凍えてしまう。
「当日の気温によって決めましょう」という二段構えだった。

 当日は朝から曇り空で、気温の上昇が望めなかった。夕方からは雨の予報だ。
「沢はむずかしいですね」
 ふたりは尾根歩きに変更した。

 奥多摩駅(標高343m)からは町役場の前を通り、本仁山の登山口に着く。山葵(わさび)田が多いから、水はきれいだ。ここから一気に急登。途中、山葵田の農道に迷い込んで、10分ほどロスをした。ジグザグの登山道がどこまでも登っていく。すれ違う登山者は一人もいない。標高差が約800メートルの急登つづきだから、一般には下山ルートとして利用されている。

 小田さんは東大(本郷)、早稲田大の講師もされている。自宅から大学まではサイクリング車で通う。脚力は十二分にある。ふたりはハイペースで登る。多少は息が荒くなっても、PJニュースについて諸々と語り合う。登山者とは山頂まで、ひとりもすれ違わなかった。

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北朝鮮の核兵器って、いつ、どのように使うの?

わが家の二階のベランダには、所狭く植木鉢がならぶ。そのなかの一つ、アマリリスが咲いた。見応えがある、真っ赤な大きな花弁だ。

 この日、北朝鮮が核兵器実験をしたと聞いた。アマリリスが妙に血の色に思えた。と同時に、核兵器が使われた瞬間を考えた。街は真っ赤な炎で燃え上がり、火焔が人体の着衣に燃え移り、逃げ惑う人々は熱傷から川に飛び込む。そんな地獄がかんたんに想像できた。

 私は広島県で生まれ育った。小学校の大多数の教師は、広島大学(あるいは広島高等師範)の出身者だった。複数の先生の顔が白いケロイドだった、という記憶がある。「平和教育」という授業がつねに行われていた。
 教師が手作りの紙芝居で、悲惨な地獄絵を見せて語るのだ。一枚ごとに描かれた真っ赤な炎があまりにも鮮明すぎて、怖かった。

「お前たちの頭の上に、ピカドン(原爆)が落ちたら、一瞬にして水蒸気じゃ。だがのう、ちょっと離れた場所だったら、こげえな、真っ赤な火の海を逃げ回ることになる。『水をくれ、水をくれ』と、大人も、子どもも関係なく、泣き叫んでな」と語る。
 被爆体験の教師だけに、毎回、死がリアルに迫ってくる。と同時に、わが身が炎に包まれると、ぞっとさせられた。  

「平和教育」は怖くて気色悪い授業だった。夜は寝床で、布団をかぶっても、怖くて、震えていた。「平和教育」がある日は、小学校に行きたくなかった。そんな理由で、不登校など、親が許すはずがなかった。そして、新たな紙芝居を見せられる。
「原爆は二度と使わせたら、いかん」
 ケロイドだった先生たちは、最期は白血病で血を吐いて死んだことだろう。

 北朝鮮は核を開発した。間違っても自国で使うはずはない。それは自明の理だ。
「あなたがたは核兵器って、いつ、どのように使うの?」と問えば、日本だと答えるかもしれない。核兵器が東京にも炸裂する。街は真っ赤に燃え上がる。私は火焔のなかを逃げ惑い、『水をくれ、水をくれ』と、荒川や隅田川に飛び込むのか。
 それが私でなくても、次の世代の者かもしれない。

マスク族はメディア中毒症か。豚インフルエンザって、そんなに怖いの? 

 マスク族が東京にも現れはじめた。街なかの歩道、電車、お店でも、顔に目立つ大きなマスクがチラホラ目につく。初夏の暑い陽射しの下、かなり息苦しくて辛いだろう、と思ってしまう。

 マスク族は何をそんなに怖れているのか。むろん、豚インフルエンザだ。日本の人口は1億人強だ。5月25日現在で、感染者が348人である。人口比は何%なのかしら? 
 1%未満の数字がどこまで並ぶのか、暗算では見当がつかない。とりあえず電卓ではじいてみた。「0.000348」、という数字が出てきた。
 この数字は何を意味するのか。上手な説明はできないが、感染者を探し出せといわれても、不可能な数字だ。

 東京の人口は1千万強だ。豚インフルエンザの感染者は3人だ。バカらしくて、電卓で計算する気にもならない。

 全国で、死者はゼロだ。多くの人は過去の冬場に何度かインフルエンザを経験している。今回かりにインフルエンザにかかっても、3、4日伏せれば、自然治癒するようだ。この間は職場や学校を休めばすむことだ。死者0%を信じれば、恐れるに足りない。

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インタビューから、人生を学ぶ

 日本ペンクラブ『ペンの人』、PJニュース『よこ顔』などで、シリーズものとしてインタビュー記事を書いている。ほとんどが人生経験の豊かな人たち。それだけに、単なるインタビュアで終らず、相手の話から生き方、考え方など学ぶ点が多い。

 PJニュース『よこ顔』の場合は、地位や名誉など関係なく、ちょっとした縁、ユニークな人だな、と思うと取材を申し込んでいる。大学関係者、歌手、元タカラジェンヌ、路上ライブ、ボランティア活動、シニアの講師、下町の職人など幅広く求めてきた。


 斉藤善久(ぜんきゅう)さんは元電通マンで、獨協大学で教鞭(きょうべん)を取っている。同大学では人気講師だ。
 2年ほどまえ、シニア大樂の講師・ノコギリキング下田さんから、「ユニークな方がいますよ」と紹介された。二人は早稲田大学の後輩・先輩の関係だった。 さっそく善久さんにインタビューし、教壇での指導方法に感銘した。タイトル『こんなユニークな教え方の講師がほしい! うちの大学にも』で、PJニュースに取り上げさせてもらった。

 善久さんはことし1月、NHKラジオ深夜便に出演し、タイトル『カタイ頭をやわらかく』で語った。好評で、3月には再放送があった。そこで、PJニュース『よこ顔』としてインタビューをお願いした。
 北千住で会って取材中に、双方の合意から、学生向けの記事に切り替えた、という経緯がある。

(写真提供:斉藤善久さん)

 日常生活のなかで、「柔らかい頭」、「硬い頭」はよく使う。その定義となると、曖昧だ。「やわらかい頭とは、アイデアが簡単に出せる人です」と善久さんから説明を受けた。なるほどな、と思った。「話題が豊富な人」、それも頭脳の柔らかさに結びつく、と思いながら聞き入った。

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オリンピック(IOC)評価委員会の記者会見記=東京の勝利は疑問?

 IOCは今年10月にコペンハーゲンで、2016年の五輪開催地を決める。現在は4つの都市に絞り込まれている。IOC評価委員会がシカゴに続いて、東京にやってきた。大会会場など技術的な面を調査するためだ。

 東京都招致委員会からは、PJニュースのメンバー4人(小田編集長、吉川編集長代理、安居院(あぐい)東京城西支局長、それに私)に取材許可がでた。4月17日は東京・六本木アカデミーヒルズ49階の記者会見に出むいた。

 小田編集長は通信社時代に、アトランタ・オリンピック大会で取材記事を書いていたという経歴を持つ。大会の舞台や流れなどにもくわしい。今回の記者会見の記事を書くにあたって、切り口のアドバイスがもらえた。

 石原慎太郎都知事が、『ゆりかもめ』の質問に対して、羽田とつながっているとか、頓珍漢な発言をおこなった。石原都知事は自分のお金でに乗ったことがあるのか、神奈川県の在住で東京の姿など熟知していないな、という思いを持った。他方で、ゆりかもめはオリンピック・スタジアム、選手村などを結ぶ大切な交通機関だ。IOC評価委員会に対しても重要な説明事項だ。ある種のなさけなさを感じた。

 プレスセンターで、その日のうちに、『石原都知事さま、珍答「ゆりかもめ」で五輪招致できるの?』という記事を書いた。プロカメラマンの吉川編集長代理には、石原都知事の写真を提供してもらった。

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東京マラソンは完走。結果はワースト記録? 好記録?

 第3回目となる「東京マラソン2009年」が3月22日、9時10分に東京都庁をスタートし、ゴールは東京ビッグサイトでおこなわれた。

 今回は3度目の正直で、初出場できた。ネットタイム(自分の時計)は4時間22分44秒だった。4時間を1分でも切りたいという、念願はかなわなかった。

 過去のフルマラソンは殆どが3時間40分台で、すべて完走。ノロウイルスの食中毒でも完走した「勝田マラソン」、取材しながら走った「かすみがうらマラソン」では、4時間台があるが、記録を意識した走りで、4時間台ははじめてだ。

 結果には不満だった。最大の反省材料は気象の読み違いだった。大会当日の気温は高いと判断し、短パンのみで、防寒スパッツは使わなかった。スタート前の整列段階から、曇天と風に震えてしまった。ストレッチくらいでは、身体が温まらなかった。

 昨年は100キロマラソンで完走した次女から、『4時間22分だってね。あの強風と人混み(ランナー)の中、このタイムは凄いよ。5時間ぐらいかかるかと思ってた』というメールを貰った。やや自分を納得させられた。

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東京マラソン・ゼッケンナンバー【27237】

 東京がひとつになる日『TOKY MARATHON 2009』が、3月22日(日)おこなわれる。9時10分に東京都庁をスタートする。
 私のエントリーはフルマラソン42.195キロだ。ナンバー(ゼッケン)は、【27237】と決まった。目標は4時間前後においている。

 
 大会当日のコンディションがよければ、4時間を1分でも切りたい。抽選が7倍強で、当たった、出場チャンスだ。それだけに、大会当日はやる気持ちを抑え、タイムよりも、ゴールを目指し、完走に力点をおきたい。

 過去2回の取材インタビューで、ランナーたちは広々した東京の道路で、名所をじっくり見られる、というコメントが多かった。一方で、私も楽しむマラソンを心がけたい。

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傷ついた鹿と格闘した、都会人=こぼれ話

 PJニュース編集部の小田編集長を含めた、6人のメンバーと27日に早稲田大学正門前「ママキムチ」で会合があった。吉川編集者が同日から掲載された、『田舎暮らしごっこ』の記事はとてもおもしろい、と話題として持ちだした。

 道志村(山梨県)の山間に築100年以上の一軒家がある。それを借りた、ユニークな田舎暮らしのグループ『神地倶楽部』(かんちくらぶ)のメンバーが、「自分流の田舎暮らし」をおこなっている。約10人。かれらは道志の村人とも仲良くなり、畑の耕作についても知恵を貰い、開墾している。

 囲炉裏の側で、数々の体験談を聞いたなかに、こぼれ話がある。メンバーの一人が「猟師の銃弾で傷ついた鹿と格闘した」と語った。
 記事は、事実だからといっても、すべてを書けない。都会人の中年男が角のある野生の鹿と死闘を演じた。貴重な体験だが、記事に盛り込んでも、血なまぐさい話だし、証拠写真はないし、読者には本当かな、と疑われてしまう。

 ニュースにはならなかった事実。こぼれ話として、ここで再現してみたい。親しくなった村人の猟師が鹿撃ちに連れて行ってくれたという。冬場の鹿は里に下りてくるが、禁猟区で銃は使えない。山の奥に入った。1時間半ほど経ったころ、鹿に遭遇したのだ。


 漁師が狙いを定めて撃った。銃声とともに、一頭の鹿が倒れた。北垣英俊さんは、それで死んだものだと思い、歩み寄った。突如として、血を流す鹿が立ち上がってきた。
 北垣さんと鹿は向かい合った。傷ついた鹿だから、危険だ。「どうすべきか」と思いながらも、とっさに両手で角をつかんだ。相手は野生動物だ。

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原作者・新津きよみさんが、フジTV系・連続ドラマ「トライアングル」を語る

 毎火曜の夜10時からフジ系列で、連続テレビドラマ『トライアングル』が放映されている。原作者は、人気推理小説作家の新津きよみさん。関西テレビ(大阪本社)が開局50周年記念のために、依頼した、書き下ろし作品である。

 日本ペンクラブ2月例会が2月16日、東京會館でおこなわれた。同会場で、新津きよみさんに、「原作者として、TVドラマ『トライアングル』をどう見て、どう感じているか」と直撃インタビューしてみた。広報委員会委員の鈴木悦子さんも質問に加わった。井出勉・事務局長代理も興味ぶかく聞いていた

穂高 「ちまでは評判の良い連続テレビドラマで、私の知り合いは家族全員で観ていますよ。いまは何回くらいまで進んでいるの?」
新津 「あしたの火曜日夜で、七編(話)です」
穂高 「何回くらい連続する予定なの?」

新津 「さあ? TV局から台本は貰っていないし、知らされてないの。『トライアングル』HPには未定と書かれているし、判らないわ。私が書いた原作はエピソード(事件)は6、7編(話)で消化されて、終っているけど……。その先は脚本家のオリジナルだから、どうなのかしら…?」
鈴木 「TVの連続ものは、ワンクールがだいたい10回か、11回なんですよ。だから、その辺りじゃないかしら」

 作家の手から原作(作品)が離れると、TV局と脚本家との打ち合わせで進められ、原作者にはフィードバックはないようだ。
             
            鈴木悦子さん(左) 新津きよみさん(中) 井出勉さん(右)

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早乙女貢さん・お別れ会の夜

 直木賞作家・早乙女貢(さおとめ みつぐ)さんが、昨年末に死去した。早乙女さんは親戚筋が皆無なので、密葬は「士魂の会」メンバー8人でおこなわれていた。「お別れ会」が2月4日、18時から東京会館(東京・丸の内)9階の大広間で開催された。主催は日本ペンクラブ。参列者は会場一杯で、推定500人くらい。実に大勢で、早乙女さんの人柄が偲ばれる。

 生前親しかった佐藤陽子さんがバイオリンを2曲奏でた。会場に物悲しく流れた。

 日本ペンクラブ阿刀田会長が、「お別れのことば」を述べた。当クラブが2000人の会員という大きな団体になれたのは、早乙女さんの貢献が大である。阿刀田さん自身も早乙女さんの推薦を受けて入会したという。「ペン会員の10分の1は、早乙女さんの推薦ではないでしょうか」と述べた。

 日本文藝家協会を代表して伊藤桂一さん。1955年のころ「泉の会」に所属し、伊藤桂一さん、尾崎秀樹さんらと同人誌「小説会議」を創刊した仲間である。その後も長い付き合いだった。早乙女さんは無宗教だったが、「私は寺の息子であり、けさは般若心経を唱えてきました」と明かす。
 早乙女さんが『会津士魂』で吉川英治文学賞を受賞した。選者のひとり伊藤さんは、その作品とともに、作家魂を高く評価した。

 菅家(かんけ)一郎・会津市長は、「戊辰戦争から140年目に、早乙女さんが亡くなられた」と歴史的な流れから述べた。会津は官軍からは朝敵にされた。早乙女さんが会津藩の武士魂を世に知らしめてくれた。「早乙女さんは会津の誇りです」と結んだ。

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