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36回エッセイ教室・講義の紹介=「元気に百歳」クラブ

「元気に百歳」クラブで、エッセイ教室の指導を行って、約4年間(1年間・10回)を積み重ねてきた。今回で36回だ。毎月書くことで、全員のレベルが著しく成長した。「うまくなったな」とつねに思う。


10号ごとに、世話役が冊子を作り配布している。その内容もよい評価をいただいている。このHPで、作品紹介をしてきたが、そ役目は終わったと判断した。

 今後は、教室の冒頭のレクチャーのレジュメを掲載し、このHPを見てくださる方に、多少なりとも、エッセイ教室の雰囲気、内容を知ってもらいたい。


各種の文章の書き方

日常生活の出来事や事実を述べる、叙述の文章にはいろいろあります。日記、作文、自分史、エッセイ、コラム、小説などがあります。学術的な明確な分類や定義はありません。書き方には大なり、小なり、違いがあります。今回は書き手の立場から、その再確認を行います。

【日記】 日常生活などを記録として書き残す。事実のみを記す。将来は史実になる可能性があります。犯罪の場合は、証拠品となり得ます。

【作文】 日常の体験、一つの事がら、出来事などを、与えられた枚数で書く。ありのままを書くことが求められます。

【自分史】 人生のなかで、主要なできごとを中心に書き遺す。「私」が歩んできた道、生き方、信念、周りの人たちとの関わりを時系列で書く。ある程度の自慢ばなしになる。

【コラム】 身辺の出来事、世間の事件、政治経済、文化などと範囲は広い。それら一つ(目玉)を取上げて、「私」の考え、意見、主義主張を述べる。気の利いた風刺や話題を提供する。

【エッセイ】 身近なできごとを取上げて、他人に読んでもらう。テーマ、構成(ストーリー)の組み立て、読み手に感銘、共感、感動を与えるもの。

【小説】 読者の想像力を刺激させ、楽しませるために書く。事実は必要でないが、作中のリアリティーは要求される。


Aエッセイの書き方のポイント(コツ)

①「失敗談」「私の恥部」「隠したいこと」「悩みや苦しみ」「喧嘩」「対立」を書けば、高い評価の作品になります。

②作者の自慢ばなしは書かない。

③最近、「私」が凝っていること。(他人が呆れる)その徹底振りなどを書く。
「私」の特異な個性を愛してくれる読者がいる、と信じて書く。

困ったことが起きた。そこから、潜水夫の体験談が聴けた

 東京からの夜行バスで、今治桟橋(愛媛県)に着いた。9時発の御手洗(大崎下島・広島県)港行き切符は自販機で買い求めた。桟橋に出たが、今治―御手洗-川尻航路のそれらしき定期船も、乗客もいない。いやな予感がした。ひとたび待合室に戻り、念入りに刻表を見てみると、9時発は土、日のみだ。平日は6時05分、次の午後2時30分だった。航路案内図を見て、どうみても今治港から大崎下島までの船便はそれしかないない。

 雑誌の仕事で、御手洗(写真・右)では9時半に郷土史家、さらには忠海駅(竹原市)で取材協力者に会う約束が午後3時だ。
「こまったな……。今治でただ6時間も待たされるのか」
 まさに無意味な時間だ。それ以上に、アポイントをとっている人に迷惑がかかる。一泊余分になってしまう。

 大崎下島には橋が架かっているが、それは本州の呉市からだ。四国からだと、今治―川尻航路しかない。

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日本山岳会・年次晩餐会が盛大に行われた=皇太子も会員として参列

 日本山岳会の晩餐会は年間の最大行事である。12月5日、東京・品川のグランドプリンスホテル新高輪の大宴会場「飛天」で、「平成21年度年次晩餐会」が行われた。同会員である皇太子を含めた、約500人強が参列した。

尾上昇会長は挨拶で、4つのプロジェクトを紹介し、それらが理事の若返りで進行していると述べた。
「登山者の若返り」プロジェクトでは、共鳴するものがあった。
 昭和30年代、40年代の登山ブームが去ってから、山岳で若者をほとんど見ることがなかった。ここ数年は山で、20代の男女の登山者を見かけるようになった。高尾山などはずいぶん若者が多い。山の魅力を知り、つねに山に登る習慣が身につけば、登山人口が増える。それがやがて日本山岳会の若返りにつながり、活性化されるだろう。


 晩餐会では、同会員で最も親しい山村信太郎さん(すにーかー倶楽部・代表)、栃金正一さんと同じテーブルだった。

 年次晩餐会は夕方6時からだが、午後2時から海外登山隊の報告会があった。私は他の取材で参加できなかった。2人は参加していた。
「報告会の休憩時間。席が空いていたので座ろうとしたら、パンフレットが置かれていた。それで止めた。皇太子の席だった。座らなくて良かった」とエピソードとして語っていた。

 皇太子も会員の一人で、他のメンバーと同列。畏(かしこ)まった特別なスピーチもない。どこまでもプライベートだから、リラックスできると思う。毎年楽しみにされているようだ。晩餐会の行事の一つ、壇上で「たる酒」開きでは、飛び入りで法被を着て、木槌を持つ。にこにこされていた。

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「読売日本テレビ文化センター」金町の講座・講師がスタートする

 文章に関連したカルチャー講座がさらにひとつ増えた。「読売日本テレビ文化センター」金町で、12月3日から「公募のエッセイを書こう」がスタートした。毎月、第1木曜日の14時15分から2時間である。

 金町駅(JR、京成電鉄)からゼロ分の「ヴィナシス金町」だ。新築の総合施設で、区の図書館、進学塾、飲食店、外食レストランなどが入居する複合ビル。真新しい教室だけに環境は良い。

 同センターには、既存の吉田陽子さん「エッセイを書く」がある。受講者層が多少なりともバッティングしないように、「公募のエッセイを書こう」とした。
これは単にエッセイを書きたい人に教える、という領域を越えたもの。公募で入選、入賞をめざす。講師としては、公募の結果が受講生への指導評価になって現れる。責任は重い。
 私はどこの指導の場でも全力投球している。これまで以上に自分に緊張を持たせるものだ。


 産経学園・銀座が新築ビルへの移転、4月開講をめざす。秋口から講師選定などが進められてきた。11月末に同本部から連絡があり、第4火曜日の10時~12時で、『やさしい文章教室』という仮題で、講座開設の内諾を得ている。


 文章関連の講座の数が増えれば、添削する作品数も増える。私の執筆がそちらに割かれてしまう。
 私はかつて講談社フェーマス・スクール「小説講座」で伊藤桂一先生(直木賞作家)から指導を受けた。先生は吉川英治文学賞の撰者、日本文藝家協会、日本ペンクラブの理事など多忙な方だ。その後の、指導は数十年に及ぶ。
 ある意味で、伊藤先生があって、いまの作家としての私がある。
 
 伊藤桂一先生に恩返しはできないが、後輩への指導が私の恩返しだと思っている。


 関連情報

「読売日本テレビ文化センター」金町

11月26日は「ペンの日」。著作権違反で、犯人不詳で告訴も

 日本ペンクラブは創立74周年を迎えた。毎年11月26日は「ペンの日」として、創立の祝賀の宴が行われる。今年も、東京会館(千代田区)のローズ・ルームで開催された。
 森みどりさんのピアノ演奏とバス・バリトン歌手の清水宏樹さん(ブタペスト国際声楽コンクール入賞)の歌からはじまった。

会場の一角には、日本ペンクラブ歴代会長の顔写真パネルが置かれていた。初代会長は島崎藤村、2代正宗白鳥、志賀直哉、川端康成と続いてくる。近いところで、前会長(14代)は井上ひさし、現在(15代)は阿刀田高とならぶ。


 阿刀田高会長は挨拶で、「来年9月下旬に開催される、国際ペン・東京大会があと一年を切りました。準備は順調に進んでいます。そういうと、吉岡忍さん(実行責任者のひとり)などは、まだまだ大変だ、というでしょうけど」と話す。吉岡さんの顔を見ると、苦笑していた。

(注)国際ペン・東京大会は1957年(川端康成会長当時)、1984年(井上靖会長当時)につづいて、25年ぶり、3回目。

「今年の国際ペン大会はリンツで開催されました。70カ国、140人の参加。そのうち、日本人が28人で最大でした。来年の東京大会をアピールしてきました」と述べた。

 浅田次郎専務理事が乾杯の音頭をとった。「日本ペンクラブは特殊な団体です。ふつう団体の理事といえば有給ですが、当クラブは無給、交通費も自前。会員が(それぞれの懐で)団体を支えています」とユーモアの口調で語った。浅田さんは酒が飲めない。それなのに、いつも乾杯の音頭。今回は飲めない話しはなかった。

 パーティー会場では恒例の福引が行われた。壇上では進行役が大きな声で当選番号を読み上げる。呑む人はそちらを横目で見るだけだ。


 山本澄子さん(立正大学名誉教授)から声をかけられた。彼女とは委員会仲間。「吉本孝明(りゅうめい)さんの宅に行ってきたのよ。穂高さんも誘ってあげればよかったわね」という。その写真を見せてくれた。
「次回はよろしく」
 山本さんはボストン大学卒で、同大学東京事務所(港区・麻布)の寺岡満紀子さんが紹介された。明るい女性だった。

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美人推理作家「新津きよみさんを囲む会」が発足

 新津きよみさんは、いまや推理小説作家の第一人者だ。今年は関西テレビ放送開局50周年記念ドラマ:『トライアングル』の原作者としても脚光を浴びた。2、3ヶ月に一度は新作を世に送り出すほど、執筆は超多忙の人気作家だ。当然ながら、読者層も広がっている。


作品の一部にはスーパーマーケットの万引き事件が出てくる。新津さんはかつて近在の店舗で、犯人が捕まる瞬間を目撃したという。
 彼女が店を出た瞬間、(保安員に)背後から、呼び止められた。「一瞬ドキッとしました。何で? 私が」と思ったという。ところが、彼女の真横にいた人が万引き犯だったのだ。連行される一部始終を見ていた、新津さんは強烈な印象となり、小説の素材のひとつになった、と打ち明けてくれた。

                     (左から、古関雅仁さん、新津きよみさん、関根稔さん)


 大手スーパーの店舗管理職で、大の新津きよみさんファンがいる。新刊が出るたびに、購読している。関根稔さん、古関雅仁さん、持田重雄さんの3人だ。かれらは常々、「流行作家と生の声で話を聞いてみたい」という願望を持っていた。

 3人は日々のスーパー業務で、多種多様な万引きと向かい合う。捕捉(ほそく)した万引き犯の、生活の困窮、盗癖、社会的背景などを知る機会が多い。警察にどのタイミングで出すか。それら判断は実務の一つだ。
 推理小説の情報提供者として、新津さんにもメリットあるだろう、と橋渡しをしてみた。彼女の承諾が得られた。

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東京・葛飾区「かつしか区民大学」のプレ事業の講師に決定

 東京・葛飾区では、来春から『かつしか区民大学』が開校する。その準備が進められている。
 今年の秋からはその予行として、区民大学プレ事業がスタートする。いくつかの講座が開講するが、私はその一つを受け持つことになった。
 講座名は『ジャーナリストがやさしく伝授する 写真と文章で伝える私のかつしか』で、6回シリーズである。11月13日が第1回の講座となる。

 情報化時代とは情報の「受け手」と「発信者」との境がなくなった社会だといえる。一般市民も地域情報の発信者になれる。葛飾区の情報を発信できる、地域・ミニ記者の養成講座である。

 主催者と打合せをしてきた結果、「上手な写真の撮り方」「上手な文章の書き方」という二面の指導内容で決まった。野外の撮影と文章スケッチの指導もある。

 具体的には、受講者は街なかの風景、家族、建物、草花、史跡、名物などを撮影してきて、やさしい説明文をつける。テーマ「身近な葛飾、ちょっと自慢の葛飾、おしえてあげたい葛飾」の下、ブログや冊子で、情報を発信できるように指導していく。

 受けて側が興味をもつ、上手な情報提供ができる。これを主目的としたい。

 
関連情報

かつしか区民大学プレ事業

東京のサラリーマン・OLたちの昼休みの群像=神田(1)

東京のお昼どきの顔。「昼の群像シリーズ」ものとして紹介していきたいと、カメラをもって、まず神田駅で下車してみた。

西口に行くか、南口に行くか。駅のプラットホームから街並みを比べてみた。西口は皇居側だが、みるから雑然とした町だ。そちらは夜ともなれば、庶民が集る飲み屋街だと知る。
 昼間の神田の顔。そこに興味をもち、西口にむかうことに決めた。


 江戸時代から、神田は庶民の町だった。昭和には青果市場などがあった。
その面影の一端が感じられる、庶民的な西口商店街だった。


      

   商店街には、数多くのラーメン屋があった。昼食どきだから、店内は満席。
    店の外はサラリーマンや職人たちが長い行列をつくる。
    列の長さは味を判断する、バロメーターかもしれない。

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北欧クルーズ「バルト海」の写真=久能康生さん・寄稿・写真(1)

 久能さんは一年間に数回、海外旅行をしています。風景写真を得意としています。その都度、「穂高健一ワールド」に寄稿してもらっています。
 今回は、メインタイトル「バルト海」の写真を提供してもらいました。連載で、紹介します。

写真の上で、左クリックすれば、拡大されます


 コペンハーゲンの港街ニューハウンの8pm。待望の夏を市民と観光客が入り乱れて楽しむ。(右)

 コペンハーゲンと言えばここ。でも、ご覧のとおりの大混雑。
 ならばボートで海上から後姿を。



 チボリ公園は24:30まで営業。
 嬉々とした家族連れや若者グループに市民の素顔が見られる。
            

 奮発して泊まった市庁舎広場前のパレスホテル。しかしあっけないほど簡素なサービスに驚く。

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【書評】元気が最高のボランティア「元気に百歳」10周年記念号

「元気に百歳」クラブ10号周年記念号が10月10日に発刊される。(代表 和田譲次)。毎年同月に発行し、今回が10号である。
 同クラブは設立が2000年1月1日で、約30人からスタートした。現在は関東、中部、関西、九州の4ブロックで、会員は約300人である。10号の筆者はそのうち77人。おどろくべき比率の執筆者数である。

 50歳代から102歳の会員が、400字詰め原稿用紙で5~10枚ていど執筆している。書く意欲、気力、書き上げる。それらは逞しいものだ。


 巻頭言は日野原重明さんで、「今は百歳を越えないと長寿とはいえない」という。50年前の百歳以上は153人だった。08年は3万6000人余り。多くの人が気楽に百歳が超えられる現実を踏まえ、同書が社会の「星」となり、「長寿者の新しい生き方のガイド」となるだろうと述べている。


 特別寄稿は、ペギー葉山さんで、『歌の力を信じて』というタイトル。彼女の音楽の自分史である。「今春、とてもうれしいことがありました。私のヒットソング『学生時代』の歌碑が、懐かしい青山学院のキャンパスに建立されたのです」と書き出す。歌の中のチャペルは主人と結婚式を挙げたところ、と明かす。 
 1959年の大ヒット『南国土佐をあとにして』にもふれる。「初めは、ジャズシンガーだった私に、『南国土佐……』は抵抗がありました。それが大ヒットするなんて、予想外でした」(原文通り)。
 故阿久悠さんの遺作「神様がくれた愛のみち」は、彼女の歌手生活55年のために書いてくれたものだ、と明かす。名古屋公演の幕が開く寸前に、彼の死が知らされたという。
 歌手人生が力強いタッチで書かれた、読み応えのある内容だ。

(高知県・桂浜)

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