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反骨精神、臨書の展覧会=東京・銀座

 書宗院展が東京・中央区二丁目の「東京銀座画廊・美術館」で、7月20日から6日間にわたって開催された。古典を手本して書いた、「臨書」の作品を集めている。昭和32年から年1回実施され、今回で54回である。


 過去の開催は武道館、中野サンプラザ、銀座画廊などである。なぜ銀座なのか。

 芸術の森の上野では、書の大展覧会が開催されている。それらは創作もの重視である。臨書は物まねだ? として受け入れていないからだろうと、同展の作品解説者は説明する。

 書の古典は長い時間をかけて鑑賞に堪えてきた、芸術性の高いものだ。最古は3500年前の中国から伝わるものもある。

 芸術・文学はすべて古典から学習する。どの世界においても、先人に学び取る姿勢が大切だ。書の場合は、とくに初心者は古典を手本にして、筆の運び、筆の動きができるようにする。

「臨書は奥行きと幅が広い」と吉田翠洋さんは語る。
 一通りの筆遣いが出来たならば、手本から離れ、創作ものに移る必要があるのだろうか。どこまでも臨書の世界を追求する姿勢、古典に近づく、それを越えようと筆を執る。それはあるべき一つの書の道だろう。
 それはもはや真似事とはいえない。創作もの書道との差はない。

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「国際ペン東京大会2010開催」・申し込みが開始

 日本ペンクラブ7月度例会が13日、東京會舘11階シルバールームで開催された。冒頭のミニ講演は、映像作家の岩崎雅典さんで、タイトル「稀少動物と生物多様性」だった。

岩崎監督は秋田県出身で、早稲田大学から岩波映画に入り、NHKや民放の動物記録映画など数多く撮ってきた。


 国際ペン大会の文学フォーラムは『環境と文学』であり、9月23日には早稲田大学・小野記念行動で、岩崎監督撮影の、動物たちの生殖生態の映画が上映される。岩崎さんと観客との対話も行なわれる予定である。


 吉岡忍常務理事から、刷り上ったばかりの同フォーラム・チラシの説明があった。「環境と文学 いま、何を書くか」というメインタイトルで、9月23日-25日において早稲田大学・大隈講堂で、6作品の一挙舞台化される。と同時に、作家が自作を語る。

 作品の朗読は、元NHKキャスター・松平定知、元NHKアナウンス室長・山根基世、俳優・松たか子、講談師・神田松鯉、俳優・吉行和子、活動写真弁士・片岡一郎の各氏である。作品によって、踊り、ピアノ演奏も入る。


 開会式は9月26日(日)で、井上ひさし群読劇「水の手紙」、ノーベル賞作家の講演も一般公開される。

 日本ペンクラブ会員はもちろんのこと、一般の方も入場できます。
 入場料はすべて無料ですが、プログラムごとに事前登録が必要です

関連情報

申し込み: 日本ペンクラブ
      FAX:03-3508-1710 FAXの期限は9月15日

小さな一歩が世界を変える=TBS・秋沢淳子さん

 TBSアナウンサー・秋沢淳子さんは報道、情報番組を中心に活躍している。他方で、個人的なボランティア活動を行なう、異色の人材である。
 彼女は埼玉県・飯能市の出身で、高校時代にはAFS交換留学生(すべてボランティアで成り立つ)として、ニュージーランに一年間留学し、そこでボランティア精神を磨いた。
 入局後において、「国際交流団体SPUTNIK JAPAV」を立ち上げ、主にスリランカとガーナに教育支援を推し進めている。

 7月12日、HRM協会「心の経営」実践フォーラムで、秋沢淳子さんは講演した。タイトルは「誰にでもできる~小さな一歩が世界をかえる」で、場所は東京・千代田区のアタックスグループ東京事務所5階セミナールーム。参加者は47人だった。

 なぜスリランカか。
 AFS留学の同期で、スリランカ出身のエシャンタさんが母国の大学を卒業後、日本の大学に留学していた。スリランカは内戦(昨年、やっと停戦)で、多くの子どもたちは教育の機会を奪われていた。現地の学校には図書館がない、本がない。

 日本のほうは少子化の影響で小学校が次々に廃校になっている。エシャンタさんはそれら学校から図書を集め、身銭を切って母国・スリランカに送っている。秋沢さんはそれに共鳴し、ボランティア活動に取り組んだという。

「日本のODA(国際協力 政府開発援助)は、気前よく1億円をぽんと出して学校を作ります。しかし、運営費は出ないのです。箱物(建物)だけを作って、教師や教材がなければ、意味を成しません。だから、日本の援助は感謝されないのです」と明かす。

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外れ馬券の裏に、著名作家のサイン

 国際ペン東京大会が9月下旬に、日本では25年ぶりに開催される。会場は京王プラザホテルと、早稲田大学の二ヶ所である。同大会の予告シンポジウムが7月11日(日)に、東京ビックサイト・会議塔で開催された。

 12時半からは日本ペンクラブ専務理事・浅田次郎さんの『読むこと 書くこと 生きること』の講演会だった。浅田さんは1日の半分は読書に、後の半分は執筆に費やすという。彼は話し上手で、ユーモアたっぷりに語る。観客は常に笑いに満ちていた。

「なぜ、浅田次郎というペンネームにしたか」
 それにはいろいろ自説、他説があるという。将来、小説が売れるようになったら、書籍売り場の「あ」のコーナーで最初に並ぶ。これは目立つ。それも理由の一つだった。サイン会に話が及ぶ。浅田次郎は、割りに書きやすく、次々にサインを処すことができる。
 顔は売れているようでも、ラーメン屋にいても、どこかで見た顔だな、という程度。ただ、神田の古本屋街では、間違いなく特定されるし、サインを求められる。
競馬場で、サインを求められたエピソードに及ぶ。競馬新聞と赤鉛筆を差し出される。ひどい人になると、外れ馬券の裏に書いてくれ、という。会場は爆笑だった。

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日本山岳会のアルピニズムを支援する

 私が所属する社団法人(4団体)は総会ラッシュだ。どこに行っても、高年齢化の現実と若返りが課題となっている。他方で、公益法人か一般法人か、この話題(討議)でもちきりだ。公益になれば、税制の優遇をする、会員の会費を含めた収入の半分以上を公益につかえ、という趣旨だ。そういう法律ができたのだ。

 嫌な法律ができたものだ。天下りなど一部の人物と、収益を私物化する団体がいるから、国家権力が私的な法人までコントロールする時代を招いた。私はそう理解している。

 巨大な財政赤字を抱えるわが国だけに、「小さな国家」が理想だ。公務員の数を減らせば、取り巻く経費(許認可に要するもの)が大幅にダウンする。それなのに、私的団体のチェックをする役人の数を増やす、そんな法律ができたのだ。日本は本当に大丈夫なのか。

 どの社団法人でも、定款の変更など余儀なくされている。数十年も続いて運営してきた定款が日本国中のあらゆるところで変えられているのだ。異常な現象だ。

        


 日本山岳会の総会が、5月12日に東京・四谷で開催された。アルピニズムの最先端に立つべき団体だ。そうした伝統の上に成り立っている。ここでも、公益法人か一般法人か、それが主要な議題になっていた。

 お役所がいう、「公益」とは何か。日本山岳会の会員から集めた資金が、大学に山岳部の設立のサポートに使われるとか、世界の登山界をリードできる人材育成を資金面でバックアップするとか、海外遠征隊の資金供与するとか、それらが公益か。それならば、納得できるのだが……。

 国内の山の植林とか、青少年のハイキング指導とか、地方自治体、あるいはNPO法人でもできることが、押し付けられるのではないか。私たち会員の会費が、アルピニズムの高揚でなく、それら(公益と称する)事業に使われる、国家的な圧力となる可能性がある、と危惧する。

 日本山岳会はつねに世界のアルピニズムの頂点にいるべきだ。ヒマラヤで登頂の技を磨くクライマー、山岳地帯の動植物の学術調査する研究者、山岳民族との強い協力体制を作るとかに、資金を使う。私自身が海外の山に登れなくても、日本山岳会に会費を払っていること自体が、彼らをサポートしている、有益なお金だと思える。

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東京スカイツリーの最高の景勝地は 下町の4つの河川のどこか?

「最高」とか、「絶対」とか、最上級のことばは作品のなかで、安易に使わないように。小説講座、エッセイ教室で、区民大学などで、受講生たちに指導している。「最高」といっても、多くの場合は書き手の思い込み、単なる強調用語で、根拠がない。そのうえ、すべてを吟味し、比較したうえでないから、最高がほんとうに真実なのか、となると疑わしい。あいまいなケースが多い。

 東京タワーは素敵な形状だ。愛宕山の周辺からみると、豪快に聳(そび)え立つ。それよりも、ちょっと距離を置いた、お台場からみた景観のほうが勝っている、と思う。とくに夜景の場合は、レインボーブリッジ、汐留のビル群の灯火の美観と重なり合い、とても美しい。


 東京スカイツリー(完成時・634メートル)は世界一のタワーだ。押上や業平橋からだと、三角関数ではないが、距離がないし、見上げても、視界が鋭角過ぎてしまう。首を折り曲げて見上げるよりも、隅田川、荒川、中川、江戸川など、川を含めた情感のほうが勝ると思う。ただ、江戸川は遠い。

 3つの川からのタワーを比較すれば、どこが一番か。

     

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ミステリーの謎解きしながら、ランニング=創作の裏舞台

 東京マラソンの抽選に外れてから、ここ2年余りは、距離を走る気力が薄まっている。ランニングは好きでも、目標がないと、雑誌の原稿の締め切りがある、日本ペンクラブの記事を書く、各教室の受講生たちの作品添削、さらには連載ものの遠方の取材旅行がある。走らない理由はいくらでも思いつくものだ。と同時に、走る距離が減になっている。

「ミステリーを書く人は頭がよい」と言われることがある。それは間違っている。読者は悧巧だし、目が肥えている。作中の難問に対して、読者以上に、作者は考える時間が多いだけのことだ。

 ミステリーの謎解き、サスペンスの危機一髪からの脱出など、主人公には難解な問題や事件を突きつける。書いた段階では、作者も解決方法などがわかっていない。
作者も考えが及ばない。そのほうが質の良いミステリーになる。解決の難易度が高いものほど、作品に対する読者の求心力が強まる。それこそが上質のサスペンスだと思っている。

「どう解決するかな」
 私は山に登ったり、走ったり、身体を動かしながら、あれこれ考える。解決の難易度が高いと、苦しい。何日もかかる。走りながら試行錯誤していると、ふいに解決方法が見つかったりすると、うれしいものだ。

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龍馬とお龍~命をかけた夫婦愛~=NHK「龍馬伝」と同タイム

5/30日、NHK「龍馬伝」(龍という女)の放映で、龍馬とお龍の出会いがあった。今後は、ふたりの数奇な運命が展開されるだろう。

6月1日の発売「島へ。」54号で、坂本龍馬と瀬戸内海③ 龍馬とお龍~命をかけた夫婦愛~が掲載された。まさに計ったようにNHKの放映と同タイムとなった。

この夫婦は劇的で、日本人の心にひびくものがある。寺田屋事件に遭遇し、鹿児島へ新婚旅行、長崎を経由し、下関で三畳半の狭い新居を持つ。その年の暮れには、龍馬の暗殺となっていく。
私は作品の中で、お龍の性格、夫婦愛、悲哀など展開させている。


なぜ、NHKの放映と同タイムになったのか。単なる偶然だが、多少の読みがあった。龍馬関係の史実は限られているし、NHK「龍馬伝」も同じ流れでくるだろうから、と。

「島へ。」からの連載依頼は昨秋だった。それから龍馬関係の基礎資料を集めはじめた。
年明けの、一月半ばになると、旅行オフシーズンで、京都へのディスカウントの高速バスの売出しがあった。龍馬を書くからには寺田屋事件は外せないはずだ。まだ筋立てもなかったが、伏見の寺田屋に出向いてみた。


鳥羽伏見の戦いで、寺田屋は全焼している。現在の建物は別ものだ、と京都府はクレームをつけている。寺田屋(持主)は当時の建物を移設した、と主張している。どちらが正しいにせよ、執筆する上で、イメージ作りはできた。

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「かつしか区民大学」が開講。初年度の講座講師としてスタート

 東京・葛飾区で、「かつしか区民大学」が5月から開講した。
 講座は、同区の特徴や魅力を学ぶ「葛飾学」や、知識や教養を楽しく身につけられるものなど、数多くが設けられている。

 講座は単位制である。一定の単位数なると、30(グッドチャレンジ賞)、100(かつしか区民学士)、150(かつしか区民修士)、200(かつしか区民博士)の認定書がもらえる。それを学習の励みとし、区民の生涯学習を支援するものである。

 長年学んで、200単位を終了した方が、『かつしか区民博士 ○○○○』の名刺を作ると、格好いいな、と思う。勉学意欲もわくし、良いアイデアだと思う。

 私は初年度の講師に迎えられた。
『私が伝えるかつしか~歩く、撮る、書く~』の8回コース(8単位)を受け持つ。第1回目は5月21日(金)の夜7時から2時間の講義だった。受講生は募集定員20人で一杯だった。
 上手な写真の撮り方、上手な文章の書き方、という2点を同時に学ぶことができる。と同時に、ミニ記者として、葛飾を発信する技法を身につけてもらう講座である。

 講座のイントロでは、「これまでも多くの方は、美しい、という視点で写真を撮影していたと思う。今後はテーマを決めて町を歩き、写真を撮っていただく。それに題名と説明文(キャプション)、記事、エッセイをつけて、葛飾の情報として発信していただく。ミニ記者の養成講座として理解してもらえば、わかりやすい」
 という趣旨の説明を行った。
 それだけでも理解しにくい面がある。そこで受講生には4つのサンプルの冊子(表紙と裏表紙だけ)を見てみてもらった。
「私が愛するかつしか・中川は東京スカイツリーの最高の景勝地」
「かつしかの下町っ子は明るくて、元気」
「かつしかの町を象徴する像」
「東かつしかの伝統行事」
 このサンプルから、受講生たちの講座のイメージが多少なりとも高まったかと思う。

 事前配布のアンケートを持参してもらった。
 
  ・葛飾の歩き方、記事の素材(テーマ)の見つけ方
  ・上手な写真の撮り方のテクニック、
  ・文章の上手な書き方のコツ、文章の基本について
  ・大勢に伝えたい、ブログとか、冊子で。

 学びたい項目の順番を問う内容だった。集計した結果は4項目とも平均していた。

 応募の動機については、「写真と記事の組み合わせ」「写真にエッセイをつけたい」というものが主流だった。私のHPを見て、この講師ならば、写真と文章がともに学べると判断して、決められた方もいるのかな、と想像してみた。

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『維新志士・新谷翁の話』に、思わぬ所から整合性を発見した

 雑誌「島へ。」に連載「坂本龍馬と瀬戸内海」シリーズの第1回で、新谷道太郎が60年後に明かした、四藩軍事同盟を取り上げた。

『維新志士・新谷翁の話』のなかで、1867(慶応3)年11月に、大崎下島・御手洗町・大長にある新谷道太郎の実家(住職の宅)で、薩摩、長州、土佐、芸州の4藩の主力志士が集まり、軍事同盟を決めた。

 年若い新谷は龍馬から、「60年間は他言するなよ、急ぐと必ず暗殺の危険が身に来るぞ、よくよく注意したまへ」とアドバイスを受けた。当の龍馬が8日後に暗殺された。 13人のメンバーは明治維新になってからも口を閉ざした。
 新谷は昭和11年まで、沈黙を守ってきたのだ。

 新谷道太郎は広島県・大崎下島で、寺の住職の長男として生まれた。実家を飛び出し、勝海舟の門下に入った。勝がつねに供人にするほど、頭脳明晰な人物のようだった。

 私は同書の取材・裏づけを取りに多くの人に会った。昭和の初めに、新谷道太郎の講演を聞いたという人物に出会えた(竹原市在住)。当時の新谷道太郎は90歳だったが、すごく頭の良い人という印象を持ったという。
 子孫の縁戚の方々にも会った。長寿の家系らしく、元校長、住職と80代の年齢を感じさせない、明晰な方ばかりだった。
 新谷道太郎が90歳で残した本には、記憶が確かだろう、と考えた。

 慶応三年ころ、新谷家に得体の知れない人物が出入りしていた、という証言の記録も出てきた。新谷道太郎の話は間違いない、これは幕末史の新たな発見だ、と判断をした。

『維新志士・新谷翁の話』のなかで、ただ、数ヶ所は90歳の老人の自慢話かな、と疑う点があった。

 四藩軍事同盟が結ばれる同年の半年前、根回しの会談が御手洗・大長でおこなわれている。慶応3年3月18日の「桃見の会に龍馬を励ます」という項目の一部を紹介したい。

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