逃亡しない日本人たち
世界を見渡しても、自然災害に縁のない国が多い。それらの人々には、この大災害がどのように映っているのだろうか。東日本大震災のあと、私は「外電」の報道に興味を持っている。
地震発生時の、激震でゆれる建物と逃げ惑う人たちがTVに映し出される。約30分後の津波が、船舶や家屋を次々に飲み込み、黒い舌のような大波で逃げ惑う人々に襲いかかる。さらには、福島の原子力発電所が水蒸気爆発を起こす。農産物や生乳から自然界にない放射線物質が検出されている。
まさにトリプルの大被害である。これは有史以来の世界最大の自然災害だといえる。
東北や関東の被災地の人たちは、「生きていただけでありがたい」といい、救助、救援の人たちに「ありがとう」「お手数をかけます」という言葉を向けている。ヒステリックに泣き喚く光景などない。
外電はそれらを日本独特の秩序と精神だと伝えている。
日本在住の外国人たちは、放射線の被曝を怖れ、国外へとぞくぞく退去している。各国のメディアは、それら引き揚げ状況を報道している。それが外電で、日本に伝わってくる。
一昨日、上海出身の唐湘己さんから、母親からの伝言として、「東京は危ないから、上海に来なさいよ」と連絡があった。生命を案じてくれる厚意に対して、謝意を言いながらも、私は心の中で、「日本人は災害から逃げない」と一蹴していた。
「仮に大量に放射線を被爆しても、3年や5年くらいで、すぐ死ぬわけじゃないし」という気持もあった。
私は広島出身で、原爆小説を書いたことがある。多少だけれども、核物質、核反応、放射線被爆の被害の知識がある。
広島・長崎の被災者は、核爆発でどれだけの放射線を浴びたことか。残留濃度の高い放射線の街で、広島県民は死と隣りあわせで道路を整備し、近代的な街を作ってきた。
原爆投下の8/6以降に広島に入り、復興に尽した。それらの人たちも白血病で死んでいった.その数はとてつもなく膨大である。
それらの状況と今回と比較して考えている。
福島原発では原子炉が自動停止しており、核分裂もゼロ。わずかな放射線被爆の可能性(マイクロ・シーベルト単位で)、国内外のメディアがあれこれ騒いでいる、それが滑稽に思えたりする。広島・長崎の高濃度の被ばく線量と比較して、論じれば、わかりやすいのに、と思ってしまう。
日本人は逃げない、被災地の復興に挑む、その精神ルーツを考えてみた。