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写真で観る、春の奥多摩。歩く、登る、楽しむ

春になると、一度は訪ねたいのが、桜の咲いた奥多摩と、周辺の山です。
鳩ノ巣駅とか、白丸駅とか。奥多摩渓谷の中腹には、古風な駅舎が続いています。桜の古木が見事に咲いています。


桜は青空に透かせば、心まで澄んできます。


川乗山の登山道は、民家が点在する集落を抜けていきます。


汗をかいて、小休止。眼下に広がるV字渓谷の情景には心が和みます。


遠望の山が、どこか虎刈りの坊主頭を思わせます。

尾根道には光と影の造形美があります。

川乗山の山頂からは墨絵のような、山並みが遠望できます。

百尋の滝は豪快です。落差があるので、瀧口だけを撮ってみました。


人工林の杉と太陽が戯れて、木洩れ日を作っていました。


渓流の魅力の一つは、流れる音です。渓谷にこだましています。

下山すれば、奥多摩の温泉で汗を流し、着替えをします。休憩室で、そばとビールで、開放感を味わいます。

【書評】中嶋いづる・作「石文は歌を残した」=東北の悲劇を描く

 東日本大震災はマグニチュード9.0で、地震、津波、原発事故とトリプルの大災害となった。規模と被害は想像を絶するもので、世界的にも震撼とさせるものだ。

 中嶋氏から、「25年ぶりに小説を書いてみました」と、「塵風」(西田書店、900円、2月1日発行)が送られてきた。彼は3、40代頃の小説の習作仲間である。(講談社・フエーマススクール「伊藤桂一教室」で、学んだ友)。
 早めに読みたいという気持ばかり。それが先送りになっていた。開いたのは大震災の後だった。

 
作品は西暦700年代(奈良、平安時代)の東北が舞台である。北に侵攻する大和朝廷に対して、青森、岩手、宮城の蝦夷が立ち向かう、敗者の歴史小説である。朝廷の武力に屈する蝦夷の民の悲しみがテーマとなっている。

 このたび、東北地方は大地震の途轍もない大災害に打ち負かされた。現代の悲惨・悲劇と、作品とどこかオーバーラップしながら読み進んだ。
 
 作者は、邪馬台国が九州説を採っている。その勢力が奈良盆地に拠点を移してきた。日本(ひのもと)と国名を決め、応神天皇を祖とする大和朝廷が誕生する。勢力争いで、奈良を追われた王権がやがて津軽へと亡命していく。

 当時の津軽・蝦夷は一つの国でなく、部族の集まりだった。文字の文明はなかった。粟、栃、山菜、きのこを採り、海では魚介類を捕り、山では熊や鹿を獲る。稗、粟、蕎麦などの雑穀農業が行われていた。

 津軽に亡命してきた王権は、漢字や数学の文化を持ち込み、地場産業だった・製鉄(タタラ)や、古くからの中国大陸や北海道の交易と結びついた。そして、国名を日本中央(ひのもと まなか)と称した。

 西暦789年、蝦夷の800人の騎兵が北上川支流の衣川で、4000人の朝廷軍を川に追い込む、という奇襲作戦で打ち勝った。溺死者は1036人(続日本書紀)。武将の名前はモレとアテルイだった。

 その勝利はつかの間だった。大和朝廷は律令制による中央集権政治を推し進めるために、決してあきらめず、執拗に北部・東北地方を攻めてきた。そこで、朝廷は坂上田村麻呂を中心として10万の大軍を差し向けてきた。当時の日本の総人口は600万人だから異様な人数である。

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逃亡しない日本人たち

 世界を見渡しても、自然災害に縁のない国が多い。それらの人々には、この大災害がどのように映っているのだろうか。東日本大震災のあと、私は「外電」の報道に興味を持っている。

 地震発生時の、激震でゆれる建物と逃げ惑う人たちがTVに映し出される。約30分後の津波が、船舶や家屋を次々に飲み込み、黒い舌のような大波で逃げ惑う人々に襲いかかる。さらには、福島の原子力発電所が水蒸気爆発を起こす。農産物や生乳から自然界にない放射線物質が検出されている。

 まさにトリプルの大被害である。これは有史以来の世界最大の自然災害だといえる。

 東北や関東の被災地の人たちは、「生きていただけでありがたい」といい、救助、救援の人たちに「ありがとう」「お手数をかけます」という言葉を向けている。ヒステリックに泣き喚く光景などない。
 外電はそれらを日本独特の秩序と精神だと伝えている。

 日本在住の外国人たちは、放射線の被曝を怖れ、国外へとぞくぞく退去している。各国のメディアは、それら引き揚げ状況を報道している。それが外電で、日本に伝わってくる。

 一昨日、上海出身の唐湘己さんから、母親からの伝言として、「東京は危ないから、上海に来なさいよ」と連絡があった。生命を案じてくれる厚意に対して、謝意を言いながらも、私は心の中で、「日本人は災害から逃げない」と一蹴していた。

「仮に大量に放射線を被爆しても、3年や5年くらいで、すぐ死ぬわけじゃないし」という気持もあった。

 私は広島出身で、原爆小説を書いたことがある。多少だけれども、核物質、核反応、放射線被爆の被害の知識がある。
 広島・長崎の被災者は、核爆発でどれだけの放射線を浴びたことか。残留濃度の高い放射線の街で、広島県民は死と隣りあわせで道路を整備し、近代的な街を作ってきた。
 原爆投下の8/6以降に広島に入り、復興に尽した。それらの人たちも白血病で死んでいった.その数はとてつもなく膨大である。

 それらの状況と今回と比較して考えている。

 福島原発では原子炉が自動停止しており、核分裂もゼロ。わずかな放射線被爆の可能性(マイクロ・シーベルト単位で)、国内外のメディアがあれこれ騒いでいる、それが滑稽に思えたりする。広島・長崎の高濃度の被ばく線量と比較して、論じれば、わかりやすいのに、と思ってしまう。

 日本人は逃げない、被災地の復興に挑む、その精神ルーツを考えてみた。

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海外報道は間違っている、日本人に礼節などない

 東日本大震災で、日本はあまりにも悲惨な状況下におかれている。海外の報道は被災地の日本人を絶賛している。「混乱や暴動や略奪はない」、「怒鳴り合いや喧嘩もない」、「日本の冷静さに世界が感心」、「日本人には秩序と礼節がある。それを見習おう」という趣旨が多い。

 世界は日本に対して同情一色である。貧しい国、たとえば内戦状態のアフガンからも、「日本から見れば、たいしたお金ではないだろうが」といって、この災害に対して義援金を送ってくれる。

 東北の被災した現地では、救助、救援、ボランティアの人たちが不眠不休で、被災者の救出や生命を守るために活躍している。福島の原発事故では、東電の作業員や支援部隊の人たちが、放射能による後遺症を覚悟で、「自分がやらなければ、日本人が大変になる」という武士道に似た精神で、生命をかけて原子炉に立ち向かっている。

 世界が認めるように、被災地の人たちは連帯感で助け合って頑張っている。それは日本人としても誇りに思うし、賞賛に値する。


 ところが多くの日本人はどうだろうか。首都圏の大手スーパーでは、開店前から消費者が行列を作り、開店と同時に、食品や生活用品を必要以上に買い込む。トイレットペーパーなどは大勢が群がり、わず1時間で売り切れてしまう。まさに、「自分の家庭さえよければ、被災者など関係ない」という身勝手な行動だ。

「なぜ、こんなことをするのか」
 オイルショック時から何度も見せられてきた光景だ。うんざりさせられる。2週間か、3週間ほど待てば、トイレットペーパーは市場に出回り、やがては過剰在庫から、商品はだぶつく。スーパーは値下げ競争になっていく。それがわかっているはずなのに。

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区民記者の時代へ、第1歩。『かつしかPPクラブ』が活動開始

 平成22年春から、「かつしか区民大学」がスタートした。講座の一つとして、市民記者養成「私が伝えるかつしか」が1年間(8回講座)にわたって行われた。受講生は20人(定員)。私は講師として、写真の取り方、文章の書き方、取材方法など、座学と課外活動など実践的な指導を行ってきた。

 毎回、受講生には作品提出を義務づけ、添削を行って力量を高めてきた。全員が葛飾区内を歩き、インタビュー記事を書ける技能を身につけた。

 卒業生のうち12人が同年12月に、「かつしかPPクラブ」(浦沢誠会長)を発足させた。最初のP=PHOTO(写真)、次のP=PEN(ペン)。
 活動方針は、区民の目線で葛飾を取材し、小冊子やネットなどで報道していくもの。他方で、「報道の質的向上を高める」、という信条のもとに、定期的な講座も開いていく。

  初代会長:浦沢誠さん(写真・右)



 第1回講座が2月18日、同区東立石で開催された。事前に、私の手許には「年末・年始」をテーマとした取材作品が届いていた。パワーポイント、およびビデオカメラなどを使い、それら作品の総評と、個別の講評を行った(器具協力:同区教育委員会・生涯学習課)。

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僕を知らないの? 日本人で、あんただけだよ

 日本ペンクラブの2月度・例会が2月15日、東京・千代田区の東京會舘・ロイヤルルームで開催された。阿刀田高会長が冒頭において、「今年初めての例会です。旧正月でもあり、おめでとうございます」と新年の挨拶を行った。「国際ペン大会が終わり、やや気の抜けた気分もありますが、新たなペン活動のために推し進みましょう」と述べられた。
 
 乾杯の音頭は中西進副会長だった。
 司会の高梁千劔破(ちはや)常務理事から、「今年は定款の改正があります。2/3の出席(委任状を含めて)が必須です」と、春の総会の参加を呼びかけていた。

 新ペンクラブ会員が壇上で紹介された。外国人が2人いた。1人は欧米系の女性。もうひとりはアフリカ人男性だった。


 その後、パーティーに移り、広報委員会のメンバーがあれこれ談笑していた。アフリカ人のオスマンユーラ・サンコンさんがやってきた。私はふだんTVニュースのみで、娯楽番組を観ていない。作家仲間からは「芸能音痴」で通っている。

「何、やっている人なの?」
 私がサンコンさんに訊いた。
「日本人は1億2千数百万人いるよ。知らないのはあなただけだよ」
 彼は呆れ顔で、白い歯を出して笑っていた。
 となりにいた鈴木康之さん(副委員長)が、「穂高さんはほんとうに芸能音痴だね、TVバラエティー番組で、一世を風靡(ふうび)していたタレントだよ」と教えてくれた。

 サンコウさんに文筆活動を問うと、日本の自然、家族、そして素晴らしい日本文化をアフリカに紹介している、と説明していた。ただ旧来の家族良さが消えかけている、とつけ加えた。

 現在は、タレント稼業よりもギニア大使館に勤務している。
「何等書記官なの?」
「一等書記官だよ。大使とふたりで日本にきたからね」
「だったら、一等書記官兼飯炊きだね」
「そういうことよね」
 彼は大笑いして打ち解けていた。

「胸のバッチは?」
 私が指すと、
「2年前に、『東久邇宮 文化褒賞』を受けたんだよ」
 彼はギニアの緑化運動、学校づくりに7年間に尽くしてきた。それが評価されたものだという。
 この表彰式で、明治初年に撮影された第1回の功績叙勲者たちの集合写真を貰ったという。

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ムバラク大統領を倒した、「フェイスブック」って、なあに?(下)

 フェイスブックは日本にはまだ馴染みが薄い。庶民の媒体とまで成熟していない。一体どういうものか。それを体験しなければ、エジプト政権の崩壊まで、理解できない、と思った。
 そんな認識を持ったとき、ITコンサルタントの肥田野さんから、TWITTER(ツイッター)と「フェイスブック」を勧められた。この際とばかりに、二つを同時にチャレンジしてみた。
 手続きはいかなるものか。平たくいえば、クレジットカードの申請と同じで個人情報とメールアドレスを書き込めば、登録ができた。思いのほか簡単で、なおかつ即日に活用できた。

 TWITTER(ツイッター)と相互交流のために、登録後において、『友達』選びがある。手近なNSn「かちねっと」やPJメンバーなどをセレクトした。

 フェイスブックの友達選びは、卒業高校、大学の卒業年度から同級生などを検索できる。勤め人ならば企業名(大手)からも検索していける。さらには政治、文化、日常の関心事、興味ある事がらまで拡げれば、まさに「友達の友達」へと、その数は増えていく。
 登録は実名で顔写真入り。だから、発言には責任を負う度合いが高くなる。この信頼度が特徴である。

 日本に馴染みがないフェイスブックだけに、友だち検索で、経歴をみると、海外の大学院卒とか、それに準じる20代~30代の若者が多いようだ。

 エジプトの若者がフェイスブックで、デモを呼びかけた。その情報が連鎖で転送された。さらにはムバラク大統領打倒へと進化してきた。
 従来型のメディアならば、民衆が動くまで、数ヶ月、半年、1年という歳月が掛かっていた。途中で挫折したり、メディアに歪曲されたり、政府の弾圧で終わることも多かった。
 フェイスブックはストレートに、民衆から民衆に拡大していく。そのエネルギーがある。

 国際ペン・堀武昭事務総長と15日の談話のなかで、「フェイスブック」の話題がでた。
「フェイスブックは日本の年賀状と同じですよ。元旦に、数十枚、数百枚、一気に届くでしょ。フェイスブックは一瞬にして、年賀状のごとく一日にして、大勢の元に届けられる」
 遅れて1月3日、4日に着いた年賀状は色あせて見える。だから、誰もが元旦に届くように気を配る。フェイスブックはそれと同じ。情報が色あせずに、瞬時に大勢に届く、と掘りさんは例える。そのうえで、
「私(堀さん)がフェイスブックに一つ書き込めば、世界中から一日にして、どんーと書き込みがありますよ。だから、発信していません」とネットの威力を語っていた。

 フェイスブックの運用を知り、エジプトの政権転覆の経緯をみると、革命の構造が違ってくる、と思える。革命や変革には、勢いとエネルギーが重要だ。導火線は短くして、一瞬にして火薬が爆発すれば、その効果は高くなる。
 為政者が慌てて、ケータイとかネットを切断するなど手を打つが、すでに遅し。崖っぷちに立たされ、政権が転覆してしまう。

 今後は、民意は大手メディアでなく、ブログ、フェイスブックから生まれてくる。どの国家でも、日本でも、ネットで政権が転覆する構図が生まれる。
 わが国は極度の財政赤字だ。緊縮財政に転換し、失業問題や貧困に有効な手を打てず、無策でいると、ネットの民意が単に抗議行動にとどまらず、暴動、政治体制の崩壊へと進む可能性もあるだろう。
 これからの政治革命は流血でなく、そんな姿で展開するだろう。

ムバラク大統領を倒した、「フェイスブック」って、なあに?(上)

 世の中には、「食べず嫌い」「食わず嫌い」という言葉がある。取材先で、「私はインターネットが嫌いだ」という人に何度か出会ったことがある。
(ネットを使った結果、そう思うのかな?)
 そんな懐疑的な気持よりも、パソコン音痴だろう、と聞き流している。時折り、パソコンを買ったが使っていない、という人もいる。一度はパソコン教室に通っているが、習熟できず挫折しているようだ。
(講師の教え方に問題があるんだな)
 そのように理解している。

 現在では、小学校の授業で必須科目としてパソコンを教えている。それら世代が確実に育ち、もはや二十歳の成人にまで達してきた。他方で、高年齢層までの各世代層への拡大は目覚しい。
 ネットを使った交通機関のチケット手配、料理のレシピー、百科事典代わり、ニュースなど、膨大な情報のなかから必要なものが引き出し、利用している。ネットがなければ、生きていけないという意識だ。

 情報化時代とはなにか。個人が新聞・TV・雑誌の情報の受け手側から、逆に、発信側にまわった時代をいう。いまや日本国内だけでも、ブロガーは数百万にもなった。みずからのブログで積極的に身辺の情報を出す。ものの考え方を示す。しだいに政治・経済・文化を変えはじめた。

 かつて大手メディアが各種情報をコントロールし、為政者からのリークで、世論を操っていた面がある。ときには肝心なことは隠して報じない。そんなことから、メディア報道も、ときに嘘をつく、隠す、という疑いと認識が人々の間に潜在してきていた。

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瀬戸内海・『祝島』の原発反対運動=ドキュメント映画は何を語る? 

 日本ペンクラブ・環境委員会の2月研究会は、2月7日午後4時から、同大会議室で、原発建設反対のドキュメント映画『祝島』(ほうりのしま)の上映会を行った。参加者は同会員の約30人である。


 1時45分の上映後は、纐纈(はなぶさ)あや監督(36、東京都出身、写真・左)と、中村敦夫さん(俳優、作家・同クラブ環境委員長、写真・右)との対談が行われた。

 中国電力は山口県上関町の長島・田ノ浦に原発建設予定地を決めた。ドキュメンタリーの舞台となったのは、対岸4キロの祝島(いわいしま)で人口約500人の離島である。
 撮影は08年夏から09年末までの1年10ヶ月で、その準備段階として、彼女は1年間にわたり、一人で祝島に通い、の家々で取材している。

 原発建設の賛成派と反対派の激突があり、賛成派が多数で可決する。それは導入の一場面である。
 原発建設反対だけのドキュメントではない。カメラは離島の風景、海や自然を大切にしたい、という島民の生活とことばを丁寧に集めている。「海は金で売れない」という島民の姿勢が随所で展開される。


「大切な環境問題に取り組まれた、よいドキュメントです。退屈な時間を守る島民に対して、カメラをまわし続ける。度胸のいる撮影ですね」
映画俳優でもある、中村さんはそう評価する。

「漁師にとって、海は大切な生活資源です。原発を受け入れると、漁業補償金が出ますが、祝島の人たちはそれを拒絶しています。島の経済は海があるから、自然のなかで平等に回っているんです」と女性監督は話す。

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「死の瞬間」・3つの体験談=4分10秒

 NPO法人・シニア大樂の「講師のための話し方講習会」が、2月1日に開催された。基調講演など盛り沢山だが、そのなかの一つに「3分間スピーチ」がある。
 私は「死の瞬間・三つの体験」を語った。

 参加者たち(約30人)に、「皆さんで、最も身近に死を感じた、そのスパンはどのくらいですか。大きな手術で死ぬのではないか、と2日前、1日前くらいでしょうか」と問いかけた。

 私は「もうこれで死ぬという、数秒前、少なくとも、1分以内に死を感じたのは3度あります。その瞬間の思いは、それぞれ違っていました」と話しはじめた。


 最初は大学3年生の真夏でした。前穂高のピークを目指して、急斜面の雪渓を登っていました。突如として、岩場からガラガラ石が落ちてくる、その落石の真っ只中に入ってしまったのです。
 頭部くらいの石がこちらの顔面に向けて飛んできた。これで死ぬのか、と観念しました。
「2度とこの世に出られないのか、寂しいな」
 そんな気持に襲われました。

 高校時代までバレーボールをやっていたことから、反射的にラインアウトのボールを避けるように、全身で真横に飛んだのです。耳もとで、落石が空気を切るキーんという金属音で通り過ぎました。
 と同時に、私の身体は急勾配の雪渓を滑りはじめました。長い距離でしたが、これは雪上訓練をしているので、ピッケルで止めることができました。

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