文章が上手ですね、と褒められても、私は別段、嬉しいとも思わない。しかし、写真を褒められると、本当ですか、と身を乗り出すのが常だ。
「穂高さんの写真は何を伝えたいか、いつも、はっきりしていますね」
PJニュース仲間の新聞社勤務の人から、そう評されたことがある。私の写真はテーマがはっきりしているんだな、と理解した。もう4ほど前である。
小説やエッセイなど文章作品と、写真とは実によく似ているな、と思う。良い文章は無駄なところが削ぎ落され、圧縮・省略の技術が冴えているものだ。写真も同様。ムダな物体や空間を削ぐほどに、密度の濃いすばらしい作品になる。
私はかつて水晶岳の山小屋新築工事現場に出向いた。そこで撮影した写真は、北アルプスの峰々の遠望と相俟って、誰彼に撮れない、珍しい写真だという思いがあった。「峻岳の新築」というタイトルをつけて、ある大きな写真展に応募してみた。入選作品になった。
後にも先に写真の応募をしていないから、私の写真の実力はわからない。それでも、プロのジャズ歌手のコンサートや、元宝塚歌劇団メンバー「炎樹」から、舞台撮影を頼まれるので、喜んでカメラを持って出かけている。
私の写真は独学である。ブックオフなどで写真雑誌100円を数冊まとめ買いをしておいて、文筆の一間に読んで学んでいる。
それだけでは限界がある。写真の専門家に出会うと、つねに「写真の上達法」を聞くようにしている。つまり、耳学問である。
PJニュース・小田編集長とは一時、高所の山によく登った。小田さんはジャーナリストの観点から、三角形、S字型など構図を中心に教えてくれた。
同メンバーの池野さんは大きな写真展の審査委員でもある。「良い写真をたくさん見ることですよ」とアドバイスしてくれた。それはどの写真家も異口同音に語る。
「観る機会と、学ぶ機会を増やす」
その目的から、東京都写真美術館に記者登録をさせてもらった。企画展の案内がくるので、時間が許す限りでかけている。同館の学芸員や著名な写真家みずから、撮影技術、苦労話、テーマに対する説明などが聞ける。これは勉強になる。
素人とプロとの違い何か。あるとき不意に、学芸員の説明から、著名な写真家や有名な作品には『人物には動きのある』とわかった。それ以降、その視点で観ているが、大半が当たっている。ひとつの法則の発見かもしれない、とかつてに解釈している。
あるパーティー会場で、田沼武能さん(日本写真家協会・会長)から話を聞くことができた。かつて写真技術は大学の写真学科で学んだものだ。現在はカメラがやってくれる。だけど、写真には上手、下手の差が出る。
上達するステップとして、「良い写真を真似しなさい。それを売ってはダメですが、真似から上達します」、「主役と脇役を明確にしなさい」と話された。
写真を学べる環境に身を置く。それには専門家がいる団体に所属し、身近に写真家を感じることだと思い、公益法人日本写真協会に入会した。2年前である。
2011夏(445号)の表紙は奇抜である。写真は森村泰昌さんの作品で、平成23年「日本写真協会・作家賞受賞」されている。
同賞・功労賞を受賞された、福原義春さん(東京都写真美術館・館長)に聞く、というインタビュー記事「存在感のある美術館をめざして」が読み応えがあった。一部、同館の村尾知子さんの口添え。
『皆さん苦労されて、よくぞ、ここまで盛り上げたな』と、つよく胸にひびく内容である。
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