歴史ファンは必見、故早乙女貢さんの邸宅見学と文化サロン=鎌倉
読書の秋である。木々が色づく紅葉が近づいてきた。初秋から晩秋にむかう鎌倉は魅力がいっぱいである。
故・早乙女貢さんは歴史・時代小説の大作家だった。(2008年12月23日に没)。その邸宅では、ほぼ毎月1回、「鎌倉文化サロン講演会」が開催されている。2010年7月からスタートし、約1年間で17回開催されてきた。主催は「士魂の会」(佐藤会長・8人のメンバー)で、定員は30人(事前申し込み制)。なんと無料である。
早乙女貢さんは直木賞作家で、文士の町鎌倉を愛し、執筆に励んだ。歴史小説の大作『会津士魂』(全21巻)で、吉川英治文学賞を受賞している。
生前の早乙女貢さん
(撮影:鈴木康之さん、2008年2月15日)
早乙女文学とは何か。薩長が作った歴史観に異議を唱え、見直しを説き、それらを様々な作品群に描き込んでいる。
講演会のメイン講師は、生前の早乙女さんと親交の深かった、高橋千劒破さん(『歴史読本』編集長、編集局長を経て、日本ペンクラブ常務理事)と清原康正さん(文藝評論家・同理事)である。
敗れた会津から歴史を見ると、江戸時代の平和国家(一度も国内外で戦争をしない)が、明治以降は軍事国家に変えられてしまった。(西南戦争の後は、10年毎に外国と戦争を引き起こす、戦場はすべて海外だった)。
260年間も戦いのなかった徳川幕府を倒した、薩長の権力者たちは、京都御所の明治天皇を遷都もせず、江戸城に移して閉じ込め、神化した。その上で、何ごとも「天皇のお言葉だ」と捏造し、それを利用して強欲、私欲に走った。その一つが、政治家と軍部がともに利権と利益を得られる戦争だった。
明治天皇はみずから考え、言葉にし、それを発したものなどほとんどない。「教育勅語」すらも、天皇自身の思慮でなく、薩長の人物が都合よく天皇利用で創作したものである。それを国民に押しつけ、天皇の名の下に、戦いで尊い命を捨てさせた。
会津側の敗者から見れば、これら薩長の欺瞞の本質が見えてくる。敗者の史観から、日本近代史を見ることも大切である。(講師の説明より)