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荒れた総会の後で、作家たちは親しく歓談=日本ペンクラブ

 2011年の日本ペンクラブ総会が東京會舘で行われた。総会の終了後は、シルバールームで懇親会が行われました。

 阿刀田高さんは日本ペンクラブ15代会長として、二期4年をつとめました。総会が終わり、大役を終えた安堵の笑顔で、スピーチをされていました。

 作品はユーモラスなものが多いだけに、要職を終えると、持ち前の明るさに戻っていました。


  浅田次郎さん(作家)は専務理事から日本ペンクラブ第16代会長に就任しました。会長は決して飾り物でなく、常に会合とか、文化フォーラムとか、イベントに出席します。超人気作家だけに、これからは公私ともにもっとハードになることでしょう。

 むろん、専務理事は実務の総統括者ですから、それも大変なことでした。

         

                   広報委員会・委員の鈴木さん(編集者)

 選挙管理委員とか、ペンクラブの役割が増えてきたようです。現在、私と芸州藩の研究を行っています。


            執行部の理事たち

 写真・左から、中西進さん(古典文学者)、吉岡忍さん(著名なジャーナリスト)、高橋千劔破さん(元歴史編集長、作家)、西木正明さん(直木賞作家)。

 吉岡さんは専務理事に選ばれました。NHK「クローズアップ現代」などで、事件・事故のTV解説で、つねに出演されています。

 


         私(穂高健一)と縁がある人たちです。


 写真・左から、篠弘さん(日本文藝家協会・会長)、伊藤桂一さん(直木賞作家・私の恩師)、穂高健一、眉村卓さん(私が受賞した・自由都市文学賞の選者)。

 撮影:須藤甚一郎さん(芸能レポーターから目黒区会議員)

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大荒れの日本ペンクラブ・総会、作家たちは歯に衣を着せず(下)

 昨年9月には国際ペン東京大会が25年ぶりに開催された。総額2億円の支出があった。成功裏に終わったが、会計処理において、大きな汚点となる、簿外口座の存在があった。さらには予算超過でも理事会の承認もなく進んでしまった。

 執行部は最近まで、簿外口座の報告もなく、その存在を知らなかった。この体質にも問題がある、と会員からは総会で厳しい追求となった。

 公認会計士の調査によると、簿外口座による(個人的な)不正はゼロ。だが、今後において、この体質は問題が多い、と指摘された。


 国際ペン東京大会の文学フォーラムでは、広川隆一さんの「人間の戦場43年」が早稲田大学小野梓記念館で開催された。
 総会で、広川隆一さんが「会計処理が曖昧」と噛みついた。

 故立松和平さん(当時・平和委員長)から平和委員会企画写真展を持ち込まれたとき、「予算がかかると開催が難しい。最小限の予算でやれないか」と要請された。立松さんは故人となったが、その意思を受け止めて「私は切り詰めて、人を介して展示経費を削りに削った、100万円以内で実施にこぎつけた」という。

 ところが、収支報告書には約一千万近い金額が掲載されていた。それを問うと、「日本ペンクラブの歩み」750万円が合算された処理だった。
「こちらの展示は業者任せ。金額があまりにも違いすぎる。そのうえ、会計処理が大づかみすぎる」と怒りの口調で責めた。

 他の複数の質問者からは、「謝罪のみだけではだめだ、ばら撒き体質を作り直すことだ」と迫った。実例として、「使った業者のアルバイト代が一人3万円、残業代が5000円。こんな経費をノーチェックで認めている。日本ペンクラブは会員の会費でまかなわれている、という認識が薄すぎる」と言い、体質改善を求めた。

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大荒れの日本ペンクラブ・総会、作家たちは歯に衣を着せず(上)

 第55回、日本ペンクラブ(阿刀田高会長)の総会が5月25日、東京・千代田区の東京會舘で開催された。議長には山田健太さん(専修大准教授)が指名された。

 日本ペンクラブ(P.E.N)定款の改定の討議に入った。高橋千劔破常務理事から、何年間も改定が延び延びになっていたと言い、その趣旨説明があった。
「重要な定款がながく改定もされず放置されていた、執行部の放漫ではないか」
 鋭い質問がさっそく出た。
「これまでの総会で出席者(委任状を含めて)3分の2の達せず、法的に改正できなかった。今回は会員1860人に対して、1266人の出席が得られた」
 という釈明で切り抜けた。わずか26人超で、参加者の賛成多数で可決した。
      
           厳しい追及を受ける日本ペンクラブの執行部
    
 2010年の決算報告に入ると、メディアでも報じられてきた、「簿外口座」に対して、鋭い質問が飛び交った。

 篠弘監事の監査報告の段階から、国際ペン東京大会で予算に対して、大幅な予算超過(約4000万円超)がある。それにもかかわらず、臨時総会もなく、理事会にもかけず実施したと、監事すらも容赦なく、批判側にまわっていた。

 簿外口座とは世間では通常、不正の温床である。内部けん制の体制ができていない、と篠監事が指摘する。
 ただし、公認会計士の特別調査で、簿外帳簿に関して不正はなかった、という報告書を本日受け取った、と付け加えた。吟味をする余裕はないままに、それを読み上げて紹介するだけである。


 監督官庁の外務省から体質改善の要請があったと、財務委員長が報告する。(注)

「P.E.Nは会員の会費から成り立っている、無駄金に対して、執行部の責任はどうなのか」
 会員が強い語調で迫った。

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大震災の名作にチャレンジしよう=第49回・元気100エッセイ教室

「東日本大震災」の烈震と大津波は、TV映像を通して、世界中の誰もが強烈な印象を受けました。自然災害に対する人間生活の脆さ。「これでもか、これでもか」と繰り返し報道され、観るほどに、心を痛めました。

 大都市・東京でも強震で、多くの都民が恐怖を覚え、帰宅難民となりました。その体験から、数多くの作品が生まれてきています。

 それらが私の手元に寄せられています。殆どが距離感がなく、作者の想いが空回りしています。恐怖の感情用語を声高に並べているに過ぎないものです。却って恐怖が響かず、伝わらずです。
 TVや新聞の報道と比べて、はるかに見劣りしています。

 今後、数年間においてプロ・アマを問わず、「東日本大震災」素材とした、エッセイ、小説の名作品が生まれることでしょう。


 今回は「名作が生み出せる可能性」について、レクチャーしました。

 映像には災害の迫力があり、新聞記事には掘下げがあります。文学の強みは何でしょうか。「災害時の人間を描く」、という強みです。

 大災害に対峙した「人間の何を書くのか」という、徹底した『テーマの絞込み』が大切です。と同時に、『距離感』です。


 大災害を体験したり、大事件に遭遇したり、身内の不慮の死に直面したり。そのまま状況を書くと、体験的にただ説明された、「距離感がない作品」になってしまいます。

 作者が対象(大災害)を客観的に捉え、突き放して、描写文で展開していけば、「距離感が取れた作品」となります。
「うまい文章だな、的確に言い当てているな」「上手に描いているな」「この作者にしか書けない表現(描写)だな」と高く評価されます。


 東日本大震災をどう描くべきでしょうか。大地震がきた瞬間は読み手に最も強いインパクトを与えることでしょう。
 どのように読み手を引き込むか。文章表現で、強い求心力を持たせるか。

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男と女の邪念こそ、生きる原点、長生きの秘訣=渡辺淳一

 日本文藝家協会の総会が5月17日、アルカディア市ヶ谷(私学会館)で行われた。夕刻6時から同会員や出版・放送関係者などの懇親会が開かれた。同会員である渡辺淳一さん(作家・医学博士)が、20分間のミニ講演を行った。


タイトルは「無題」でしたが、年老いても性に対する邪念が大切です、と強調された。講演内容を紹介します。

 男と女の側面でもある、邪念(じゃねん)は正直なものである。
 外科医として病院勤務をしていましたころ、病棟に、ある男性患者がいました。元小学校校長で、半身不随でした。
 女看護師が、「あの患者はいやらしくて嫌だ、先生(渡辺氏)、注意してください」と言われた。朝、脈をとるときは決まって手を握り返す。ベッド周りのことを行っていると、胸元を覗き込む、と訴えてきたのです。

「半身不随の患者だし、胸を見せてやっても、いいじゃないの」
 というと、私は批判されました。
 婦長ともども、策を練り、胸が覗けない制服姿で対応した。すると、その患者は2週間後には死んだ。
「胸を見せていれば、もっと長生きできたはず。見る執念が生きる原点だったと思う」


 女性も同様で、性の邪念がある。大腿骨を骨折した老婆がリハビリで、ハンサムな整体師をなにかと独り占めしていた。「ほかの患者さんもいるのだから」と注意しても、拘泥して指名する。
 イケメンに対する執念から、女性は1か月で完治し、退院して行きました。男にしろ女にしろ、知性よりも、邪念が大切。生きる原点だから、恥じることはまったくない、と渡辺さんは強調した。

 

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日本文藝家協会が公益法人になる=総会で発表

 日本文藝家協会の総会が、2011年5月17日、東京・アルカディア市谷(私学会館)で開催された。同協会は4月1日、公益法人として正式に認定されて登記した。

 「物を書く人(作家、詩人)は、書くこと自体が公益です。それ以外は不得意なもの。今後は、文芸講演会、文学トークイベント、文化庁主催セミナーの支援などの公益活動を活発にし、文化人、文藝愛好家にたいして信用度を増す活動をしたい」と篠弘理事長が述べた。

 寄付者に対しては、税制優遇があり、寄付控除がある。「協会が新設した義援金基金口座が、銀行ですぐにできた。これも公益法人となったメリットがすぐに出た、事例の一つです」

 東日本大震災では日本図書協会から協力を依頼された。同協会は支援の輪に加わり、書籍のコピーやデータ、朗読などの録音、録画データを送信できるようにした。
 本来ならば、それぞれ著者の許諾を必要とするが、入手困難と時期と地域にかぎり、一括して許諾できるものとした。

 青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、千葉県の会員は105人(全国の会員・2548人)。被災状況について問い合わせした。42人から返信があった。大小の被害を受けている。会費の二年間猶予など、今後は検討されていく。

 林真理子さんら3人が理事に加わった。

P.E.N.広報委員会の反省会、打上げ会、作家たちは美声を聴かせる

 「国際ペン東京大会」が2010年9月に開催された。会場は早稲田大学・京王プラザホテルなど。ノーベル賞作家、文学者たちの講演会、文学イベントが行われた。他方では国際会議として、諸外国から参列した文学者たちの代表者会議が行われた。

 ホスト役の日本ペンクラブは大会を成功裏に終わらせた。それには阿刀田高会長以下、各委員会・メンバーや会員が精力的に処してきた、という背景がある。

 同会員は、現役の作家、詩人、文筆業、大学教授など、大半がそれぞれ仕事を持って活動し、収入を得ている。
 国際ペン大会に向けて、仕事の一部、あるいは大半を棚上げし、全力投球してきた人も多い。同クラブはボランティア(会場までの交通費も自前)だから、収入減になる。それもいとわず国際文学活動のために尽くしてきた。

 私が所属する広報委員会(相澤与剛委員長)は会報委員会(清原康正委員長)と合同で、一年半、取り組んできた(担当役員:高橋千劔破)。
 
 大会前の広報活動は、報道各社への案内、会員への通知など、処すことが多かった。大開当日は、「日本ペンクラブの歩み」などの展示会、記者会見の対応、そして各セッションに出向き、「記録資料編纂」の取材を行ってきた。

 国際大会が終わっても、記録の整理、執筆などが続いてきた。半年後の現在、記録資料がゲラの段階まできた。
 一区切りついたところで、合同委員会の反省会と打ち上げ会が行われた。

 国際ペン東京大会は25年周期で、日本が受け持ってきた。となると、次回も25年後の可能性が高い。それが共通認識だった。
 この反省会が次回に生かされるにしても、25年後は誰も委員として残っていないかもしれない。個々人が良かった点と改善点を述べ、記録で残すことになった。

 反省会。とともに委員会メンバーの最後の顔合わせ会でもあった。日本ペンクラブ規定で、各委員の任期は2年間である(再選もある)。

 阿刀田会長は2期勤めたが、3期目を辞退している。新しい日本ペンクラブ会長は誰になるのか。
 初代が島崎藤村、正宗白鳥、志賀直哉、川端康成……、と著名作家が続いてきた。次期会長の選任には興味深いものもある。

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年に1度、ギター演奏を聴く=名曲が心にしみる

 川瀬のり子と教室生徒による、第8回「ギターサロンコンサート」が4月24日、東京・自由が丘チエスナットホールで開催された。小、中学生(男女)から、リタイアして本格的にギターに取り組む60代まで、と幅が広い。


 演奏者たちはそれぞれ真剣な表情で、1小節ずつ楽譜に忠実に弾く。緊張から音が硬くなる。それでも、この日のために、練習に励んだ、という熱意と努力が伝わってくる。



 年に1度、ギター生演奏から、心を癒してもらっている。
 個人的な好みからいえば、より初級者の曲のほうが心地よい。

           

「禁じられた遊び」「グリーンスリーブ」「シェルブールの雨傘」「夜霧のしのび逢い」「枯葉」「鉄道員のテーマ」「ラ・クンパルシータ」など、聞きなれた名曲だけに、心にしみこんでくる。

 中級、上級者になると、ホ短調とか、変奏曲とか、アストゥリアスとか、むずかしくなる。なにも考えず、自然体で聴いている。

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春の郊外を歩く、大震災を考える=作家として、何をなすべきか

東日本大震災から、約1ヵ月たった。日本人が一つになって、復興・復旧へと向かいはじめた。とはいっても、いまなお暗い雰囲気が漂う。

 メディアは相変わらず、政府関係者や東電をバッシングし、妙に利巧ぶっている。為政者を攻撃しなければ、知的集団ではないと、ジャーナリストたちは勘違いしているのではないか。そんな想いが強くなるばかりだ。

 今回の大震災の発生後から、私はどこかジャーナリストでなく、小説家として自分を置きたいと考えている。そんな自分を意識している。


       
 東京・仙台までの新幹線が開通した。被災した現地に足を入れようかなと考えた。いま出向いて、暗い報道ばかりを伝えても、大手メディアの二番煎じになるだけだと思い直した。
 
 状況が落ち着いた頃、ジャーナリストでなく、小説家として被災地に出向きたい。被災地で、人々が経験した「人間とは何か」という根幹を求めて現地を回ってみたい。
 単に事実の伝承、報道の上滑りでなく、災害時の人間の本心、本音、思考をさぐり出したい、浮かび上がらせたいというものだ。
  

 4月末の晴れ間を狙って、東北には向かわず、初めて目にする千葉県・柏市の郊外を歩いてみた。近郊農家もある。あけぼの山農業公園もある。
 田畑や花や土地の匂いを感じながら、いま文学は何をするべきか、何を書き残すべきか、と考えてみたいと思った。

  

 2008年2月、日本ペンクラブ主催の世界フォーラムで、「災害と文化」が行われた。国内外の著名な作家たちの作品が紹介されたり、朗読されたりした。

 大自然はある日突然、巨大なエネルギーで人間に襲いかかる。人間は為すすべがない。脆弱な姿をさらしだすしかない。
 人間が自然災害と立ち向かったとき、いかに弱いものか。そのなかで、人間は何を考え、どんな行動をするか、それらが作品化されていた。

 人間は自然災害を制御、防御、コントロールできる。そう信じるのは人間の驕(おご)りだと、多くの文学者・作家たちは語っていた。
 予想も、予知もできない。人間の思慮を超えたりするものだ。
 

 災害を被った直後、人間は何を考え、どんな行動をとり、どんな希望へと結びつくのだろう。
 希望が得られない人は絶望になる。

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写真で観る、春の奥多摩。歩く、登る、楽しむ

春になると、一度は訪ねたいのが、桜の咲いた奥多摩と、周辺の山です。
鳩ノ巣駅とか、白丸駅とか。奥多摩渓谷の中腹には、古風な駅舎が続いています。桜の古木が見事に咲いています。


桜は青空に透かせば、心まで澄んできます。


川乗山の登山道は、民家が点在する集落を抜けていきます。


汗をかいて、小休止。眼下に広がるV字渓谷の情景には心が和みます。


遠望の山が、どこか虎刈りの坊主頭を思わせます。

尾根道には光と影の造形美があります。

川乗山の山頂からは墨絵のような、山並みが遠望できます。

百尋の滝は豪快です。落差があるので、瀧口だけを撮ってみました。


人工林の杉と太陽が戯れて、木洩れ日を作っていました。


渓流の魅力の一つは、流れる音です。渓谷にこだましています。

下山すれば、奥多摩の温泉で汗を流し、着替えをします。休憩室で、そばとビールで、開放感を味わいます。