年末・新年を歩く②東京で唯一の深夜・餅つき大会=葛飾・原神社
東京の下町には、除夜の鐘とともに、はじまる餅つき大会がある。場所は葛飾・東立石4丁目の原神社の境内である。
NHK紅白歌合戦が終わると、深夜の道路に足音が響く。四方から初詣の住民が集まる。子どもたちも嬉々としている。
どのくらい前から、この伝統行事が続いてきたのだろうか。
「半世紀以上は間違いなく、続いているよ。この餅つき大会は」
長老が語る。
その実、自信はなさそうな口ぶりだ。
昭和30年代、下町の工場には集団就職の子どもたちがやってきた。「金の卵」と言われていた。正月には田舎に帰れない子のために、餅つき大会を始めた。
「そんなふうに聞いたけれど」
そう話していた。
ことしは60キロのもち米を使う。前日から準備して、朝もち米をといで、夜11時からは蒸籠(せいろ)で蒸して、炊きぐあいをみていく。
どの程度蒸せば良いのか。祖父から父へ、そして子どもへと教わっていく。
火力が大切だよ。大工の棟梁が正月が近くなると、廃材を集めておく。そして持ち寄ってくる。材質によって、火力が違う、と話す。
「新建材はダメだよ。切れない、燃えない、有毒ガスが出る。だから、古い家を取り壊した廃材を使うんだ」
と教えてくれた。
臼(うす)や杵(きね)は、湯を使う。湿らさないと、餅が打てないのだ。こうした準備は、若手あたりの役目らしい。
さあ、杵を振り上げる。臼で捏(こ)ねる。タイミングがひとつ間違うと、頭蓋骨を叩き割ってしまう。この命がけの呼吸が日本の伝統だ。
東京でも、下町・葛飾立石の、それも東立石4丁目の原神社だけに、元旦の恒例行事として残っているのだ。
全国を見渡しても、年々、餅つき大会は影を薄くしているようだ。
昼間の原神社の境内は閑散としているし、参拝者はほとんどいない。駅への近道として、境内を通り抜けている人は見かけるけれども。
つきあがった餅は、町内会の婦人を中心として、黄な粉、あんこ、大根すり、納豆など、好みで配られていく。つきたての餅は、とてもおいしいよ。