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いつも、いざという時も、1人では生きられない=「元気に100歳クラブ」誌

 100歳まで生きよう。それだけではダメで、元気で100歳まで生きてこそ、人生が豊かになる。その趣旨で2000年に「元気に100歳クラブ」(代表幹事・和田譲次)が発足した。
「元気が最高のボランティア」の旗の下に、現在の会員数は全国で約250人である。
 北海道から九州まで、本支部において勉強会、レクレーション、パソコン教室、趣味の会など、幅広く展開されている。

 その一つに出版活動がある。毎年1回は、単行本形式のクラブ誌『元気に百歳』が発行されている。

 10月10日には、『元気に百歳』第13(夢工房・本体1,200円)号が発行された。同会員の58人が執筆している。


巻頭言  「長寿ギネス記録カルマンさんの生まれ故郷を訪ねて」(白澤卓二・医大教授)

インタビュー「好奇心ガール、これからの挑戦」(笹本恒子・写真家)

ゲスト寄稿 「夢実現の法則」(吉村作治・エジプト考古学者)

 同    「傾聴と祈り」(日比野則彦・サックス奏者)

 同    「来るべき大地震に備えて」(青木元・気象庁)


 会員はジャンル別に掲載されている。

『人と出会い支え合う』
        「永遠に生きよ、五葉松」(児玉朝能) 他13名
『自然と共に支え合う』
        「津波てんでんこ」(板倉宏子) 他8名
『言葉響き支え合う』
        「言葉の力―私が救われ支えられた言葉―」(豊田勝子)他8名
『命育み支え合う』
        「みかんの花咲く丘」(喜田祐三)他10名
『友と語らい支え合う』
        「旧い友達」(中西成美)他4名
『心耕し支え合う』
        「『元気に百歳』クラブ俳句サロン『道草』」(住田道人)他9名 
 

 私は同クラブから「エッセイ教室」の講師を依頼されて、もはや6年余り。受講生たちの良品が数多く掲載されています。(穂高健一は未掲載)。

ミステリー小説「海は燃える」が最終回

 小川知子さんは私の中学時代の担任(国語)だった。習字の時間には「自分の名前ぐらい練習して丁寧に書きなさい」と叱責された。国語の時間には「作文は上手ね」と褒めてくださった。

 私が30歳のとき腎臓結核で長期入院となった。全集などばくぜんと読んでいるだけでは、日々が面白くなくなった。何かできることがないかな。そう考えたとき、中学生時代には作文を褒められた、という記憶がよみがえってきた。
「小説でも書いてみようかな。身体を動かさなくても、寝たまま頭を使えばいいんだから」
 そんな動機から始まり、こんにちの作家稼業へと結びついた。

 ミステリー小説『海は燃える』の最終回・「17夜祭」が、隔月誌「島へ。」68号(10/1発売)に掲載された。同誌53号(10年5月1日発売)から16回にわたって連載してきた推理小説である。

 美大生の誘拐事件からスタートし、中盤ではいじめ事件を絡ませ、終盤では真犯人と対峙する殺人事件へと運んで行った。

 推理小説はこれが書下ろしならば、伏線とか、証拠品とか、犯人の遺留品とか、最初からもう一度書き直せる。しかし、連載となると、すでに本は発行されているから、さかのぼって書き直しができない。それが厳しい。
 犯人に結び付くだろう、証拠品、発言、目撃者をあらかじめ配置しておくのだが、当初の「作者の想いや考え」とは違い、登場人物が勝手に動きだす。
 最初の「あらすじ」など、途中で吹っ飛んでしまうから、なおさら厄介だった。

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役に立たない登山教室に参加してみて=槍ヶ岳

「高所登山は、無理しない、体調は万全を期す。基本だ、わかったか」
「深夜バスで、寝不足なんですけど」
「だったら、そこのベンチで休息を取っておけ」
「皆から、遅れますけど」
「別に、君が山に登れても、登れなくても、なんら問題はない」

「ソフトクリームが食べたいだって。山に来たら、おなかをこわすものは食べない。基本だ」
「でも、食べたいわよ」
「正露丸もってきたか」
「はい」
「じゃあ、食べてよし」

「あのインストラクターは女に甘いよな」

「あんな高いところに登るんですか」
「上を見て、ため息をつくんじゃない。下を見て、靴ひもでも締めろ」
「ああ」
「山に来て、景色を見ようなんて、10年早いんだ。下を見て歩けよ」
「10年経ったら、何歳になるのかな?」

「手を振って、足をあげて。大地をしっかり一歩ずつ踏みしめるんだ」
「素直にやれる奴は、良いよな」


「要所、要所で地図を見るんだ。地図で、ルートの方角を確かめるんだ」
「磁石を買ってくるのを忘れたんですけど」
「だったら、見ているふりをしろ」

「雪渓(せっけい)に乗るな。危険だ。クレパスに落ちたら、どうなる?」
「ケガします」
「じゃあ、自己責任だな」

「地図が読めなければ、絵図でも頭に叩き込んでおけ」
「絵図ですか」
「そうだ。お前たちは地図をもっていても、どうせ飾り物だ。道に迷ったら、役立ちっこないんだから」

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神田松鯉襲名20周年と古希を祝う会=東京

 9月28日、講談師の神田松鯉(かんだ しょうり)さんが誕生日を迎えた。今年70歳の古希である。と同時に、3代目の松鯉を襲名し、記念すべき20年を迎えた。双方を祝う会が、東京千代田区・東京會舘11階シルバールームで行われた。

 本名は渡辺 孝夫(たかお)さん、群馬県・前橋市の出身である。

 講談、落語など演劇界の方々、松鯉さんを師と仰ぐ生徒たち、俳諧人など幅広く、約200人ほどが集まった。松鯉さんは日本ペンクラブの会員で、世界フォーラム、世界ペン大会で、文学作品の朗読を行い、その名が広く知れ渡った。PEN会員からも約25人ほどが参加した。

 同会場では、スライドショーによる、講談師の歩みが紹介された。
 劇団文化座に入った。その後、2代目中村歌門に入門し、1970年には2代目神田山陽に入門し、神田陽之介となった。92年には3代目神田松鯉を襲名した。
 他に1980年より「ビジネス講談」を行い、小笠原への船旅研修の講師なども務めている。
 現在は、日本演芸家連合の理事である。

1978年、第6回放送演芸大賞ホープ賞受賞。
1988年、文化庁芸術祭賞受賞。

 会場では、松鯉さんが参加者たちの要請と拍手で、催促されて、「平家物語」の屋島の戦いの、那須与一の扇の的を射る。名場面を5分間披露した。
「本来は30分ですが」と笑わせていた。

 即興だったことから、縁台が人手のテーブルだった。実に、ユーモラスな光景である。さすがに芸人たちだと感心させられた。

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「穂高健一ワールド」に、新機能『サイト内検索』が登場しました

 2012年9月23日現在、「穂高健一ワールド」には1144のコンテンツ(記事)が掲載されています。このたび『サイト内検索』の機能を付加したことで、かんたんに過去の作品が探しだせます。


 このHPには「ジャーナリスト」「小説家」「カメラマン」「東京下町の情緒・100景」「3.11取材ノート」など大分類があり、そこから個々の作品を追って探しだすとなると、かなり時間を要してきました。

 HP運営方針は一つひとつのコンテンツに対して、「内容の充実を図る」「有益の情報がある」「役立つ・学べる」という信念があります。だから、手抜きはしない。
 プロ作家も、一般人も、並列で掲載させていただく。それを貫いてきています。それゆえに、どのコンテンツにも深みと幅がある、と自負しています。

 反面、バックナンバーを探すのはたいへんな時間を要します。数年前の作品ともなると、上手に探し出せず、ギブアップぎみ。それが「サイト内検索」を使うことで、かんたんに過去の作品や記事が引き出せます。

 「元気に100歳クラブ」のエッセイ教室は、6年間余り、62回続いています。これら「レジメ」を掲載しています。「こんな内容の濃い、文学テクニックが無料で読めるなんて」と多くの声を頂いています。項目別に学びたいとなると、これまでは引き出すのがたいへんでした。

 同クラブの二上受講生から、「『サイト内検索』の機能をつけてもらえば、大変ありがたいのだが」と提案がありました。そこで、「穂高健一ワールド」をサポートしてくださる、ITエリート集団のインフォ・ラウンジ LLC (肥田野正樹・代表)にお願しました。
 9/16-19の3日間、かれらと槍ヶ岳登山に行った折、担当の伊藤宗太さんに踏み込んだ話をしました。彼は下山後に、さっそく『サイト内検索』をつけてくださいました。こちらにも感謝しています。

「みんなの作品コーナー」では、区民大学、カルチャーセンター受講生の作品、日本PENクラブの仲間が寄稿してくださった作品を掲載しています。
 掲載者の名まえ、タイトルがうる覚えでも、キーワードを検索すると、一発で出てきます。とても便利な機能です。どうぞ、「穂高健一ワールド」を有益に利用してください。
 
【例】 ①小説、エッセイで『心理描写』をもっと集中的に学びたい。
       そこで、「心理描写」と検索する
    ②「みんなの作品」に寄稿・投稿した、私の作品を呼び出したい。
       「○○○子」と入れる。
    ③3.11大津波の被災地の「陸前高田」を絞り込んで読みたい

被災地の中学生が、カキ養殖体験=温湯駆除法(下)

 3.11大津波で、広田湾(陸前高田市ょの海底は掃除されたから、海流もよく、カキ、シュウリ貝、昆布も育ちが良い。だから、温湯駆除で、海中からロープを引き揚げるのが重いという。


「カキよりも、シュウリ貝を売った方がいいよ。そんな冷やかしもあるほど育っています。実際、スーパーに行けば、シュウリ貝は一つ20円で売っている。カキは経費をかけても殻付だと50円。シュウリ貝の粒数も多いし、ただ捨てるのはもったいない……」
 同市・米崎カキ養殖業者の大和田晴男さんは笑わす。そのうえで、
「シュウリ貝を取るために、カキを作っているんじゃないし」
 日本でも有数のカキを作る、そのプライドで生きている。

 カキはロープごと湯のなかに入れられる。
「12、3秒だよ。声を出して数を数えて。時間が来たら、ホイスト(簡易クレーン)のリモコンを押して、湯の中からロープをあげるんだよ」
 大和田晴男さんは生徒たちに細かく指導している。

 船上の釜からロープが引き上げられると、今度は海に戻す作業だ。マスト軸としたボンブ(アーム)が、船外へと向かられていく。
「下げて、下げて」
 カキロープが養殖イカダに引っかけられて海中に戻される。
  
 リモコン作業の生徒たちが順番で変わっていく。

 2011年の東日本大震災の大津波で、陸前高田市の養殖イカダがゼロとなる、大打撃を受けた。当然ながら、中学生たちのカキ養殖体験が行われなかった。
 同年秋から、漁師たちは杉を使ったイカダづくりを始めた。昨年は約100台作った。漁師の手だけでは間に合わず、ボランテァの協力も多大なものがあったという。それらを沖に係留してきた。
 12年は9月中旬までに、170台作る予定ですすんでいる。この過程の中で、中学生専用のイカダもできていた。
 
 米崎中学校の校長が報道記者から質問に応えながら、
「11年は大震災で稚貝・ロープを吊るす体験学習は出来ませんでした。なにしろ、イカダもカキも全滅でした。地元の漁師の方々が根気よく、海岸に打ち上げらていたカキを集めてきて、ネットに入れて海中に吊るしておいてくれたのです。杉イカダができると、ロープ一本ずつ、生徒の名まえのタグをつけて、イカダに吊るしてくれていたのです」
 と感謝の念を語っていた。

 2年生たちは初めての漁船体験だ。漁船からイカダに乗り移った男子生徒のひとりは、
「予想していたより、揺れなかった。だから、怖いと思わなかった」
 と語る。
「祖父さんがホタテの養殖だから、保育園の頃、3-4回乗った」
 そう語る生徒もいた。
 津波の恐怖が残る生徒は初めから乗船していないので、
「楽しがった」「ワクワクした」
 こんな感想が殆んどだった。

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被災地の中学生が、カキ養殖体験=温湯駆除法(中)

 陸前高田市の米崎中学校のカキ養殖体験は、約10年前から、大和田晴男さんと学校関係者の手作りではじめられた。当初は大和田夫妻のみであった。

3.11大津波で被災した後は、地元カキ業者10軒が協同組合方式で、復興支援を仰ぎ、再起を図っている。こうした背景などが、共同で中学生体験学習に手を貸している。
 毎年、1年生は陸上のカキ作業場で、種ガキ(原板・松島から仕入れる)を間引き作業をしてから、沖合のイカダに吊るす。

 2年生は8月に温湯駆除を行う。同月24日朝9時から、中学2年生の男女生徒たち約20人が、4トン前後の漁船に乗船し、広田湾の沖合い2キロのカキ養殖イカダにまで出向いた。
 漁船の設備のホイスト(簡易クレーン)を使い、カキのロープ(1本の長さ約4.5メートル)を引き揚げる。そして、70-72度の湯に、10秒間ていどつける作業を行った。

 カキの漁師にとっては、これは夏だけに大変な作業だという。真夏の太陽の下、湯を沸かすボイラー熱とで長時間すると、脱水症状に陥る。
 しかし、カキの棲みやすい環境を作るための大切な作業で、この駆除をやらなければ、水揚げが3分の1から、4分の1になるという。

 温湯駆除とはどんな作業なのか。、言葉からは想像が難しい。大和田さんが船上で生徒たちに説明する。1年半経ったカキの生育環境から説明する。

「イカダからロープで吊した、カキの回りには、数々の(寄生する)虫が付きます。シュウリ貝(ムール貝)や、昆布はカキと同じ植物性プランクトンを餌としています。カキにすれば、思うようにプランクトンを食べられません。栄養分が奪われてしまう、天敵なのです」

 牡蠣ロープを引き揚げ、シュウリ貝と海藻や虫を死滅、取りのぞくために、引き揚げたロープごと70度の湯につける。これが温湯駆除(おんとうくじょ)法である。

 カキは死なないのだろうか。

 カキは強靭な生命力を持っている。真夏の太陽が照りつける磯でも、カキは牡蠣殻に守られて数日間生きていられる。だから、70度くらいの湯にも十二分に耐えられるという。その特性を利用した駆除法である。

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被災地の中学生が、カキ養殖体験=温湯駆除法(上)

 大津波から1年半経った。私は被災地のカキ養殖業の再起への道を取材して、ほぼ毎月のように三陸地方へ足を運んでいる。

 とくに陸前高田市、気仙沼大島の漁師からは、貴重な取材協力を得ている。取材の折りには、カキ養殖の漁船にも何度か乗せてもらっている。中学生が夏休みに入る直前だった。
「8月24日に、米崎中学の2年生が温湯駆除法(おんとうくじょほう)」のカキ養殖体験を行います。如何ですか」
大和田晴男さんから連絡を頂いた。

 第4週は毎月、読売カルチャーとか、目黒学園カルチャーの「小説講座」、「フォトエッセイ」の講座がある。そのうえ、こんかいは「かつしか区民大学」の講師もあった。
 変更するとなると、教室の確保とか、受講生の打診とか、かなり手間がかかる。余ほどのことでないとこれまでは変更しなかった。

 温湯駆除法は現地では何度も聞いてきた。カキ養殖の品質を決める重要な技法である。これまではただ聞くだけで、小説の上でうまく表現できるのかな、と思ってきた。
 この機会を逃すと、来年の夏になってしまう。小説といえども、温湯駆除は想像で描きにくい。やはり、行くべきだととっさに判断した。

「良い機会です、小説を書くうえで、温湯駆除は理解不足でしたから、実際に自分の目で見てみたかったんです。当日はお伺いできるようにします」
 そう約束した。あとのスケジュール調整は大変だった。講座の主催者や講生に頭を下げ、翌週にするなど後ろ倒しにしてもらった。
 結果として、とても良い取材ができた。

 同月24日朝9時、陸前高田市・米崎海岸に出向いた。

 校長、教師の引率で男女生徒たち20人余りがやってきた。海岸に整列した生徒を前にし、大和田さんが温湯駆除の概略説明と、乗船の注意事項を述べる。
 岩手朝日テレビなど地元TV局や、新聞記者たちも大勢いるので、生徒たちは乗船前からすでにマイクを向けられて緊張顔だった。

 生徒たちは漁師の手を借りて、3隻のカキ漁船に乗り込んだ。約2キロ沖のイカダに向かう。

 大和田さんの話によると、大津波は陸前高田市の市街地を壊滅し、漁師からは漁具も、漁船も、イカダも全部奪った。全部がぜんぶ悪いことではない、と前置きしてから、
「防波堤が崩れたから、波打際が多くなった。波が押し寄せれば、海中に酸素が混ざります。海底のヘドロが陸に上がったから、深さも出てきた。海水(海流)がよく回るし、植物性プランクトンが多く、海の状態はカキにとってはむしろ良くなったんです」
 と出航したばかりの波止場とか、堤防の壊れた海岸とかをさす。

 大津波に襲われても、海洋に対して客観視できる。カキの立場で語れる。さすがに、海の男・漁師だな、と感心させられた。心にカキを愛しているのだ。

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第42回地上文学賞『千年杉』が日本ペンクラブ・電子文藝館に転載

 私がはじめて文学賞を受賞したのが、1995(平成7)年1月の第42回地上文学賞
『千年杉』です。受賞作が月刊誌『地上』に掲載されました。その作品を日本ペンクラブの電子文藝館に転載しました。

 同誌に掲載された、4人の選者の選評(千年杉のみ)をここに掲載します。

井出孫六さん

 留学経験を持つエリート商社マンが、混血の孤児たちを連れて過疎の村に行き、風倒木を使って孤児たちの空間を建設しようと苦節する物語。
 村人たちの陰湿な妨害に悩まされつつも、千年杉が倒壊し、山津波が呑まれていく日、風倒木の家だけが難を逃れたのを知って村人たちは主人公を前に土下座して謝る。前半の展開の不十分さにもかかわらず、後段で畳みこんでいく神話的手法の寓意性が他の作品にぬきんでて、受賞をもぎとったといってよい。 


伊藤桂一さん

 受賞作「千年杉」は、一般に農民文学のテーマとなる、過疎、嫁不足、後継者問題、出稼ぎ、減反、風水害等と全く違って、東南アジア難民の孤児数名を連れて、田園生活の中でこれら孤児を育成しようとする、主人公夫婦の健闘ぶりを描いている。
 後味のすがすがしさは、主人公の、いかなる苦難にも耐えてがんばってゆく生き方の姿勢と、その志の故だろう。こうした、自分たちの欲得を離れて、社会のために尽くそうとする、主人公の心意気を描いた作品は、この賞ではめずらしい。細部においては、気になる点もないではないが、精一杯力をこめて、ドラマチックに仕上げてあって、読んでいておもしろかった。


長部日出雄さん

 千年杉は、すでにテレビドラマ化できそうな現代性があって、
1.若者に支持されること
2.とりわけ若い女性を惹きつけられる魅力があること
3.世界に通用すること
 以上の三条件を、かなり満たしていると思う。
 日本とってこれから避けられない国際化の問題を、山村に持ちこみ、しかも歴史と環境の象徴である千年杉と結び付けて、未来への方向性をさぐろうとした着想がよく、冒頭からの伏線を生かした劇の組み立てもうまい。
 こういう作品に目をつける野心的なプロデューサーはいないものだろうか。


平岩弓枝さん

 受賞作『千年杉』は、なによりも登場人物の性格や行動を説明でなく、事件の進行に従って、無理なく読者に理解させようとしていることで、全体がすんなりとまとまっているのが読みやすかった。
 ただ、この作品の最大の欠点は、この主人公が何故、これほどの犠牲を払っても、外国人孤児を育てることに熱中したのか、その動機について書かれていない点である。
 主人公は高校時代から留学経験があり、堪能な語学力を生かして貿易会社に勤務していたというので、それだけの人生を捨てて、孤児の施設づくりに取り組もうと決心したきっかけはなんだだったかをしっかり書いてあると、この作品に説得性が出て来るし、魅力が生まれたと思う。
 出来れば、この作品が活字になるとき、その部分を書き足されては如何なものか。おそらく、作者は動機について考えられて居られたに違いなく、それを書きそこなったのではないかと思う故である。

  【作者・注】平岩さんのご指摘が、編集部の加筆許可となりました。施設づくりのボランティア精神が生まれた背景を加えたうえで、作品が世に出ました。


※「受賞の言葉」が同誌に掲載されていましたので、一部抜粋をしてみました。
 
 2年余りの闘病生活。その病床で小説を書きはじめてから苦節10年を目標にやってきました。が、さしたる成果はなし。さらに鳴かず飛ばずだった苦節に20年の区切りがきた今年、地上文学賞の受賞でした。じつに嬉しく思っています。
 千年杉を書くにあたって、わが国の国際化が進めば進むほど、孤児の問題が拡大すると予測し、その一方で農林業家がかかえる村おこしの問題とからませてみました。

掲載作品はこちら、日本ペンクラブ・電子文藝館・『千年杉』をクリックしてください。

シニア演芸団『演多亭』で、大いに笑い、観せる=東京・文京

 NPO法人シニア大樂(田中嘉文理事長)が創立10年目に入った。現在、講師登録が513人に及ぶ。その中から、演技、落語などエンターテイメントに長けた、プロ、セミプロたちがシニア演芸団を結成し、『演多亭』として毎年公演を行っている。

 2012年公演は7月17日(火)に、東京・文京シビックホール(小ホール)で、開催された。主催・同大樂、協賛・音体操すこや会、後援・文京区である。
 客席371席がほぼ満員になり、中高年層の観客を大いに楽しませた。
 

 公演のトップバッターは、「KAKO&KAZOO」(麻里村れい、澤本博幸、松田健、中嶋卓也)のフォークソングである。

(1) パフ(ピーター・ポール&マリー代表曲)

(2) 今日も夢見る(麻里村れいヒット曲

(3) 人生の扉

(4) パワー

(5) 風に吹かれて

 
 中高年層の観客にはなじみ深い曲から入った。それだけに観客の心を一気に舞台に引き付けていた。


 奥村アッシ―(篤史)のお得意芸「どじょうすくい」である。

 舞台に出てきただけで、笑いを誘う。立ち振る舞い、一挙手一投足には神経を張り巡らしているのだろうが、観る側はただ爆笑のみである。

 元大手企業の社員だった、と紹介があった。現役時代はきっと接待の余興も得意だったのだろう。

 川上千里の「バルーンアート」で、ハーモニカを吹きながら、両手でゴム風船の芸を披露する。ミッキーなど多種多様なものかぎできてくる。

 ちなみに、現役の薬剤師だという。

 舞台が本業か、調剤が本業か、観ている範囲内ではどちらにも軍配が上がる。

 完成したバルーンは芸術性が高い。その都度、観客にさしむけていた。

 吉川幹夫の「面踊り」も、これまたユーモラスである。

 かつて農繁期には、こんな農夫が朝から晩まで畑に出て、懸命に働いていたのだろう。それが伝統芸能となり、現在に伝わっているのだ。

 厳しい労働すらも、愉快な踊りにしてみせる。日本人の血はもともと明るいのかもしれない。

 

 奥村アッシ―(篤史)、川上千里、吉川幹夫の三人トリオによる、「南京玉すだれ」である。

 3人は別々の流派である。打ち合わせも、予行も、ほとんどなく、ぶっつけ本番だから、なんとも呼吸が合っていない。失敗続きだから、これまた観客が喜んでしまう。

 スダレが開かないとなると、「待っててやるから、取り換えな」と観客から声がかかる。
 「お言葉に甘えまして」と玉すだれを変える。

 東京スカイツリーはなぜか見事に決まっていた。2012年の開業したツリーだから、芸人たちはより真剣になったのだろう。

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