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プロから学べる、感動できる「2012年報道写真展」=東京・日本橋

 東京・三越日本橋本店の7階で、第53回2012年報道写真展が開催されている。主催は東京写真協会。テーマは「熱狂、興奮、感動の瞬間がそこにある」。12月24日(月・振替)まで。
 トップを飾る写真は、8月20日に、五輪メダリストのたちの銀座パレードに50万人が集まった(報知新聞社)。この迫力は同展のポスターにもなっている。

 私は、プロ野球の選手がファールボールを追って、スタンドのカメラ席に顔面から落ちている。この一瞬の撮影はすごいな、と感銘した。報道陣のど真中に選手が(飛び込んで)落ちてきている。逃げるカメラマンの様子が捉えれている。当該記者はカメラを向けて撮っているのだから、まさにプロ中のプロだと思う。

 香港の民間反日団体の船が尖閣諸島の魚釣島に接近してきた。わが国の巡視船2隻が航行しながら、香港船の船体を挟み撃ちにしている。1枚の写真から、海上保安官たちの操船技術の高さが如実にわかる。と同時に、尖閣諸島の緊迫度が写し出されている。

「東日本大震災から約500日」のサブタイトルでは、被災直後の写真と現在とを組み合わせたものが多かった。写真の前で、ハンカチを出して、涙をぬぐう人もいる。
 フクシマ原発の原子炉建屋の公開では、ガレキ化した建物のなかから、円筒形の黄色い格納容器のふたが見えている。不気味さが伝わってくる。

スポーツ関連の写真はオリンピックに、とくに注目が集まっている。立ち止まる人も多い。感動の呼び起こしだろう。

 最新の写真は、衆議院選挙で大勝した自民党の様子である。報道関係だけに、やることが早いな、もうパネルで展示されている、と思わせた。
 今年亡くなった著名人の顔写真も数多く並ぶ。一世を風びした人も、やがて死に行くのだな、と生命の滅亡に寂しさを感じさせる。

 作品総数は250余点である。
 同展から技術を学ぶとすれば、「決定的な瞬間と偶然とは違う」、事前の予測も必要だな、と思わせた。オリンピック会場の報道写真家はまさにメダリストの表情狙いである。企画的な写真にはハイアングルとか、ヘリコプターからの高所撮影が効果的だと思わせるものが多かった。

 ニコン、キャノンの報道陣が使う、高性能カメラが触ってシャッターが押せる。連写の早さには驚かされる。だが、なぜかしら手をふれる人は私が見ているかぎり誰もいなかった。あまりにも高級すぎで、無縁だと考えているのだろう。

美人ストリッパー(作家)と文学談義で盛り上がる=スカイツリーで裸身を

 日本ペンクラブ主催「ペンの日」のパーティー会場で、作家・高橋克典さん(日本作家クラブ専任理事)から、ふたりの女性を紹介された。高橋さんが主幹する同人誌『ZOWV・ゾワヴ』のメンバーである。私は前々から、「同人の在日の金子京花さん、もう一人は牧瀬茜さん。2人の作品の講評をしてあげてほしい、将来性がある人だから」と高橋さんから言われていた。
 同パーティー会場で、初顔合わせだった。

 牧瀬茜さんの名刺には、『表現者・ストリッパー・作家』と表記されていた。ペンネームは「時羽七知」である。元ストリッパーなのかな、と思った。現役で、とても売れっ子で、追っかけがいる。この道ではとても有名だと、金子さんが教えてくれた。

 私の受講生だった純文学作家を目指す女性が、ストリッパーを取材し、それを作品化していた。それを思い出し、話題にしてみた。
『売れない二〇代の女性ストリッパーが、ヒモの男性と暮らす。舞台でぺちゃな乳房を侮られても、生きていくためには、劇場の便所掃除婦へと落ちていく。座長の人間性もよく書けていた』と私は説明した。

 その作品を読んだときには、すごい取材をするものだな、と感心させられた。ある文学賞の選考の上位まで行っている。
「狭い世界ですから、誰に取材したか、それがわかれば、顔はわかります」と牧瀬さんが話していた。

 PENのパーティーが終われば、決まって二次会だ。高橋さんとは出版の用件があるので、小中さんグルーブのメンバーとともに、東京會舘に近い居酒屋に行った。
 牧瀬さんを中心に盛り上がった。彼女は「ストリッパーに誇りを持っています」と堂々と話す。父親がTVの放送作家だった。元NHK・小中さんは番組名から、わかったようだ。

 彼女がこの道に入った動機を話す。路上でアクセサリーを売っていたある日、ストリッパーの人が買ってくれた。劇場に観に行くと、気持ちよく、美しく脱いでいた。これは私に似合った職業だと一瞬にしてひらめいたという。

 日本中の劇場で、ストリップで表現する、職業の魅力を語る。彼女には自信と誇りが満ち溢れている。私がイメージしていた暗さ、引け目など、みじんもない。からだで芸術を語る。すごい価値観だと感慨を覚えた。
 

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明治大学・第4回読書感想文コンクール 優秀賞=大久保昇

「読むことの歓び」明治大学文学部が主催する、「第4回 読書感想文コンクール 優秀作品集」に、大久保昇さんが入選された。現在、明治大学は急進中で、学生の人気度も高い。それだけに注目度が高く、応募作品は1165人である。
入選作品は大崎善生著・『将棋の子』の感想文である。社会人部門・14名の優秀賞のひとり。ちなみに高校生部門の受賞者は86人である
 大久保さんは朝日カルチャー「フォト・エッセイ入門講座」の受講生である。

選考委員長は同大学・林義勝文学部長、他12人の選者である。単行本が明治大学から発行された。(定価1400円+税)

 同コンクールは、明大文学部の教授をはじめとした関係者が、10作品を課題図書として提示し、応募者はそれに対する感想文を書いて投稿する仕組みである。

   第4回課題図書として(明大・作品紹介から部分抜粋)

大崎善生著『将棋の子』
  将棋のプロを目指す少年たちの栄光と挫折を描いている

G・ガルシア=マルケス作『予告された殺人の記録』 
 これから起こる惨劇は誰でも知っていた。

・クセノポン著『アナバシス』
  ギリシア兵1万余りが、敵地から決死の脱出を行う。

・ゲーテ作『若きウェルテルの悩み』
  人妻を愛してしまった、若者の苦悩

幸田露伴作『五重塔』
  強風の中で耐え抜く五重塔と、ふたりの職人のすさまじいぶつかり合い、
  
小林秀雄著『モオツァルト』 
 モオツァルトの悲しさは疾走する

・シェイクスピア作『ハムレット』
  暗殺された父親の亡霊から、真実が語られる、ほんとうに真実か。

夏目三四郎作『三四郎』
   純真な若者が「自己」とは何かを問う。

トーマス・マン作『トニオ・クレーゲル』
   憧れ、失意、傷心、美の追求にいきる作家の自画像

養老孟司他著『復興の精神』
  命の尊さや真の幸せを問う


 大崎善生著『将棋の子』の主人公は、天才少年の棋士といわれた成田英二(北海道出身)である。成田が、羽生善治さんと熾烈に戦う。それに敗れたために、プロ棋士になれる年齢制限に引っかかり、挫折する。そして、北海道に帰り、廃品回収業を行う。
 
 成田は「ボクは羽生善治さんたちと戦った、そのことが勇気をくれる」
 成田英二の栄光と挫折と心の財産をしっかりつかんだ、感想文である。大久保さんは、自ら将棋を指すだけに、つかみどころがしっかりしている。

 同コンクールはすべて優秀作で、金・銀・銅のような序列がない。大久保さんの感想文は、社会人部門のトップに掲載されている。定価をつけた書物は、ふつうは最良作品から載せるものだから、トップクラスに近いと評価してもよいだろう。

 表彰式で、選者から「大久保さんの作品は、羽生善治との戦いがよく書けています」
 と高評されたという

ドナルド・キーン講演「90歳で日本に帰化・うれしい」=ペンの日

 11月26日、東京・千代田区の東京會舘で、「ペンの日」が開催された。1935年11月26日に、国際ペンの組織の下に、島崎藤村が初代会長として創立された。毎年、この日を創立記念日「ペンの日」として祝っている。会場には、全国から会員や来賓者が多く集まった。

 PENが発足当時の日本は、満州事変、国際連盟を脱退し、国際的にも孤立していく、暗い時代だった。さらには日中戦争、太平洋戦争へと突き進んでいく。
 と同時に、治安維持法などで、多くの作家が言論弾圧を受けた。それでも、『言論の自由』『戦争反対』の二つを柱とする日本ペンクラブが存続してきたのだ。

 なぜ戦後まで存続できたのか、と私はいつも不思議に思う。最も早くにつぶされてもよい団体なのに。そこに文学精神の強靭さがあるからだろう。

 国際ペン(本部・ロンドン)は、「獄中作家」の支援を行っている。21世紀でも、世界を見れば、ノーベル賞の受賞者でも、自宅軟禁とか、獄中の作家が今なおいる。信念を曲げず、体制に屈しない。つよいな、と思う。そういう作家が戦前、戦中にも日本にもいたから、日本ペンクラブが存続したことは間違いない。

「日本ペンは設立してから、77年が経ちます。喜寿の日です」
 浅田次郎・第16代会長があいさつした。77年間の先輩諸氏の作家たちを讃えていた。

 会場内には、篠笛が厳かに演奏された。そして、紹介されたのが、ドナルド・キーンさん(1922年生まれ)だ。20分ていどの講演が行われた。

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かつしか区民大学・特別講演会=パネラーも「楽しかった一日です」

「楽しかったよ。パネラーも楽しめる、フォーラムだった」
 出久根達郎さん(直木賞作家)が、会場から出て、雨降るなか、葛飾・立石の飲み屋に向かうさなか、開口一番に、そう言った。

 日本ペンクラブの「ペンの日」(11/26)の東京會舘で、各パネラーから声をかけられた。

「いや、良かった。楽しかったよ」
 轡田隆史さん(元朝日新聞論説委員)が笑みを浮かべていた。
「良い写真冊子が届いた、凄いね。かつしかPPクラブのメンバーなの。すごいね」
 吉岡忍さん(ノンフィクション作家)が、郡山利行さんの記事・写真集をべた誉めしていた。
「そんなに、ニコニコ顔だった、ぼくが?」
 吉澤一成さん(日本ペンクラブ事務局長)
「ありがとう。もっと本を持って行けばよかった。20冊があっという間に売れたし」
 新津きよみさん(推理小説作家)の紹介本で、私が会場で掲げて見せた、その文庫本までも販売した。彼女からは、差し上げたものだったからと言い、ていねいにも、その本が郵送で届いていた。

 東京・葛飾区は区制が敷かれて、今年で80年を迎えた。80周年記念行事で、「かつしか区民大学」の特別講演会が11月17日(土)午後2-4時開催された。場所はウィメンズパル(同区・立石)で、タイトルは「日本ペンクラブのメンバーが『下町葛飾・立石』の魅力を語る」である。
        
 各パネラーが「台本なし」で思いのまま語った。私(穂高)はコーディネーターを行った。

 かつしかPPクラブの区民記者が講演録と写真を取っているので、いずれかの機会に、「みんなの作品」コーナーに掲載されます。
 各パネラーの顔の表情とか、二次会の写真とか、その様子も含めて?


                     写真提供:郡山利行、滝アヤ

第6回・歴史散策・文学仲間たちと=御茶ノ水・神田

 日本ペンクラブの広報委員会、会報委員会の歴史作家、歴史好き作家、文学者の7人がごく自然にできた、「歴史散策」は6回目となった。11月7日(水)午後1時、JR御茶ノ水駅・聖橋口が集合場所だった。そして、御茶ノ水・神田界隈の歴史ある場所を回った。

 私はそれに先立つこと、都営線・蔵前駅で電車が止まり、少し遅れた。日本の電車は世界に誇る正確な交通機関だったが、最近の都心部の電車はしだいに時間が読めなくなってしまった。「線路内に人が立ち入った」という表現を聞くたびに、うんざりさせられる。誰がいつ、どんな理由で、どの路線に立ち入るか、こればかりはまったく読めない。待ち合わせ時間に5分、10分早めに出かけたところで、この言葉に出会うと、もっと長い時間を要する。
 ときにはローカル列車に一本乗り遅れたよりも、不快感がつのることもある。

 お茶の水駅をスタートした歴史・仲間は、聖橋を渡る。眼下には神田川が流れる。のぞき見るが、きょうは船の往来はなかった。

「湯島聖堂」に入る。文学にたずさわる者ばかりだから、聖堂と孔子からはじまる、案内板をじっくり読み込んでいる。德川綱吉の時代には儒学が盛んになり、聖堂ができている。その後、幕府直轄の昌平坂学問所(昌平校)の開設された。こうした時代の出来事なども語り合う。
 歴史は誰もが強いから、話題が途切れることはない。

 「神田明神」へと向かう。同神社の鳥居の手前で、甘酒屋の老舗「天野屋」があった。皆して迷わずに入ると、古風な雰囲気で、古い時計や鉄道関連品が店内装飾になっていた。
 甘酒は50円高かった。「冷えたビールが常温よりも高い時代があったな」そんな話題も出てきた。

 神田明神は広い境内で、「神田祭は江戸の三大祭よ」と山名さん(歴史作家)が他の祭りを含めて説明する。
 敷地内の千代田区指定「神田の家」(遠藤家)の邸宅に出向いたが、中に入れず、外観を見たにとどまった。そこから屋上庭園を経由し、おなじ境内の「銭形平次の碑」まで行った。作家と出版社が発起人が銘記されている。文芸評論家の清原さん(会報委員長)がくわしく説明してくれる。

 急勾配の男坂を通り、湯島天神に向かう。「妻恋坂」の交差点を横目で見る。「素敵な地名ね」と新津きよみさん(推理作家)が随分気に入っていた。「ミステリーのなかで使ったら」という話をしながら、湯島神社に入る。菊展が開催されていた。梅は有名だけれど、秋には人寄せで、菊展をするのかな、と思いながらも、周囲を見ると、「学問の神様」だから、学生の参拝者が多い。
「猿回し」でしばし笑ってから、次の目的地、ニコライ堂に向かう。

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NHK大河ドラマ『八重の桜』の先取り講演・清原康正氏=鎌倉

10月27日(土)午後1時から、鎌倉・故早乙女貢さん邸宅で、清原康正(きよはら・やすまさ)さんの講演が行われた。タイトルは、「早乙女人脈の広がりと『明治の兄弟』~NHK大河ドラマの主人公」である。
 清原さんは著名な文芸評論家で、日本ペンクラブ・会報委員会の委員長である。同志社大学大学院卒。大河ドラマ『八重の桜』の主人公である新島八重は、新島襄(同志社大学設立)の妻であるから、興味深い講演だった。


 私は昨年の秋に、会津に取材で出向いているし、戊辰戦争に関しては常に関心を向けている。この戦争は何だったのか。江戸時代の260年間一度も海外と戦争をしない平和国家から、戊辰戦争で、明治政府は戦争勝利品の味を覚え、海外派兵の戦争国家になっていったという認識が強い。

 ことし9月初めころ、清原さんから、「早乙女邸の講演に来ない?」と誘いを受けた。会津の新島八重の話だというので、一言返事で出向いた。

 京都人の清原さんの視点だから、薩長と会津とに対して公平感があった。私には好感が持てた。

 これまで「会津落城」となると、とかく悲劇の美化とか、史実の歪曲が多く、鼻持ちならない話が多く、あまり好きになれなかった。
 会津城を攻撃したのは薩摩藩と土佐藩だった。会津が白虎隊の悲劇を含め、憎むべきは薩摩、総大将の板垣退助・土佐藩なのに、「会津は長州を憎し」と作り上げている。
 これらは枚挙に厭わないし、聞くだけでうんざりさせられてしまう。

 清原さんは、会津落城とせず「会津開城」として説明していた。
 
 新島八重は会津砲術師範の娘として生まれている。羽織袴を着て、刀を差し、城に立て籠もり、戦った人物である。洋式砲術にも堪能で、スペンサー銃で戦い、幕末のジャンヌ・ダルクとまでいわれた女傑である。

 開城後は、京都・薩摩屋敷に囚われていた、兄の山本覚馬(かくま)を頼って京都に行き、そこで新島襄に出会うのだ。清原さんはこうした流れから、なぜ京都か、それを詳しく説明する。

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わがジョギング・ロード、東京スカイツリーを見ながら、ノコノコと

 だれかれ問わず時おり、「最近は走っていないのですか。HP『ランナー』に書き込みがないようですけど」と訊かれる。

「週に2度かな、3度かな、10.5キロを走っています。ときには7キロになりますけど」と応えている。
 なぜ、10.5キロ、7キロと端数が出るのか。『中川左岸・右岸緑道公園ジョギングコース』には200mごとに路盤に距離表示があるので、シビアなタイムと距離が測れるからだ。

 私の住む葛飾・東立石は海抜ゼロメートル地帯だ。大災害が起きれば、最も弱い地域だ。その反面、わが家からすぐ近くに、中川、荒川放水路があり、ジョギング・ロードとしては都内では最高の環境に恵まれている、と思う。
 ともに護岸には信号機はないし、景色には恵まれているし、ロングコースである。最近は東京スカイツリーの完成で、いっそう風光明媚な河岸となった。

 平和橋と奥戸橋と、右岸・左岸を回ってくる。3.5キロだ。
 3~4年前はマラソン市民大会に出るために、中川や荒川に出て、多少の雨でも走っていた。
 夜明けとともに起きて河川の護岸に出て走っていた。タイムを競う、筋肉を弛めない。継続は力なり。そんな気力に満ちていた。

 最近は荒川の河口に向かうこともないが、東京湾まで行けば、往復20キロだし、1キロずつの標示がなされている。信号機はないし、どこまでも一直線だ。
 JRや地下鉄の高架鉄橋とか、道路の大橋とかが、頭上を越えていく。だいたい1キロずつだから、飽きない景色だ。
 最近は出向いていないので、中川の奥戸橋・平和橋ばかりになっている。

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新津きよみさんを囲む「世田谷散策」、戊辰戦争の謎が解けた?

 関根稔さん(ライフ)が春先に企画してくれた、新津きよみさん(作家)を囲む「世田谷散策」が諸般の事情で、夏を越え、秋まで繰り越されていた。10月23日(火)に決定した。メンバーは新津フアンである古関雅仁さん、佐藤恵美子さん、そして私の5人。従前から交流がある仲だった。

 前日の天気予報となると、23日は発達中の低気圧の通過で、竜巻、突風、豪雨の悪天候だという。ニュース番組でも、明日の外出は注意するように、と報じていた。その低気圧は昼過ぎに関東地方を抜けていくという。
「どうするの?」
 この機会を失くして再調整となると、いつになるか判らない。関根さんの判断で、世田谷見学をする時間はかなり圧縮されるが、集合は3時間ずらしで、午後3時に新宿駅と決まった。

 5人は京王線、東急世田谷線と乗り継いで宮の坂駅に着いた。関根さんの案内で世田谷散策がスタートした。

 世田谷八幡神社の境内には珍しい土俵や力石があった。毎年9月には東京農大の奉納相撲が行われるようだ。
 わがメンバーもと古関さんと佐藤さんが奉納相撲をしていた。

 豪徳寺は井伊家の菩提寺である。「招き猫」発祥の地でもあるらしい。江戸城桜田門外で、水戸・薩摩の浪士に暗殺された井伊直弼(なおすけ)の墓があった。こんなところに井伊大老の墓があったのか。そんな感慨を覚えた。

 一方で、徳川に近い井伊家の豪徳寺がなぜこうも広い敷地なのか、と私は疑問をおぼえた。明治の廃仏毀釈など考えても、境内が大きく圧縮されもおかしくないはずだ。

 本堂の近くには三重塔があった。二層の垂木に彫られた猫を説明するボランティア・ガイドの老人がいたので、その理由を聞いてみた。井伊家が戊辰戦争の時に官軍に付いたからだという。(猫の木彫りしか興味がなさそうだった)

 私には過去から戊辰戦争の歴史疑問があった。

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山名美和子著「戦国姫物語―城を支えた女たち」の出版記念会

 10月10日、東京・銀座クラッシクホール(銀座ライオンビル6階)で、歴史小説作家の山名美和子さんの出版記念会が開催された。

 著作は「戦国姫物語―城を支えた女たち」(鳳書院・本体1,600円)である。波乱の生涯をおくった、姫たちのドラマ60篇が収められている。

 同発起人代表は西木正明(直木賞作家・PEN常務理事)で、「彼女は自分の足で、全国の城を訪ね歩き、戦乱に生きた女性たちの歴史秘話を丹念に取材して書き上げた秀逸な作品です」と紹介があった。
 発起人はPEN側として浅田次郎(会長)、吉岡忍(専務理事)、高橋千劔破(常務理事)ほか、私を含めた6人と、丸山晃(埼玉新聞社)である。

 山名さんは挨拶のなかで「取材で、多くの城をめぐりました。かつて戦いの砦だった城に歳月はながれ、なお残る華麗さに目を奪われ、あるいは埋もれた歴史に哀愁を誘われます」と述べた。

 城は戦いや天災、江戸時代の一国一城令、明治の廃城令、そして空襲により、多くが失われましたが、土塁や石垣を吹きすぎる風の音、せせらぎに耳を傾けると、往時の人びとさんざめきが聞こえてくるようです、と話す。

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