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推薦図書 出久根達郎著「七つの顔の漱石」(エッセイ)=文豪の素顔

 夏目漱石といえば、日本を代表する大文豪である。東京帝国大学教授、作家、朝日新聞の記者。ここらは多くの人が知る。あとはどんな顔があるのだろうか。

 夏目漱石をこよなく愛し、漱石の生き方まで研究しているのが、直木賞作家の出久根達郎さんだ。「漱石に七つの顔があった」。それは七変化のように、作家から素早く、身を変える正体不明な人物ではない。漱石は多彩な人物で、幅広い能力を持った人だという。

 学生時代は器械体操の名手であったと、同級生が証言している。富士登山は2回、ボートは東京から横浜間、乗馬やテニス、相撲観戦などと多彩である。
 漱石のイメージといえば、胃病に苦しむ憂うつな表情である。それだけに、スポーツマンの漱石はおよそ従来のイメージと結びつかないものがある。

 これらをエッセイで楽しく読ませせてくれるのが、5月20日に発行された、出久根達郎著「七つの顔の漱石」(晶文堂・1600円+税)である。

 第一部は「七つの顔の漱石」である。

 漱石が大好きの出久根さんは、漱石に関連ある書籍、手紙、掛け軸などは片っ端から集めた。これら資料から、漱石の七つの顔を一つずつ丁寧に紹介している。

 多くの漱石研究書は内容が良くても、論文調でなかなか作中に溶け込めない。しかし、同書はユーモアたっぷりのエッセイで、とても読みやすい。単なる偉人紹介でなく、七つの顔が解き明かされていく、楽しさがある。と同時に、ごく自然に漱石の人物像に近づくことができる。


 漱石の本は『漱石本』と称し、装丁の図柄、色彩、品格などが同時代の書籍に比べて抜きんでている。古書界において、カバー自体にも美術工芸品としての高価な値がつく。漱石が単なる作家でなく、美術評論家、装幀家の顔があった、と同書で記す。
 出久根さんは古本屋稼業が長かっただけに、古書の価値となると、説得力がある。

 漱石がソバが好きだったか、饂飩(うどん)が好きだったか。
 それにまつわる数々のエピソードが同書で紹介されている。「吾輩は猫である」の内容からすれば、ソバだろう。
 漱石がなぜ松山中学の教師に赴任したのか。それはいまだに謎である。漱石は松山への都落ちを受け入れた理由は饂飩党だったからかもしれない。
「好物が人生を変えた」
 出久根さんはそう愉快に推論する。

 漱石は友人らに、いまでいう自筆の絵手紙を送っている。自画像のスケッチもあれば、日露戦争の時に、裸婦の絵も送っている。官制はがきだから、役人から不謹慎だとクレームがつきそうだが、漱石は堂々と差し出している。

『吾輩は猫である』
 夏目家に迷い込んだ捨て猫は、育てられながらも、名前が付けてもらえなかった。その猫が死んだ。漱石は門下生に、はがきに黒枠の猫の死亡通知を出した。漱石の機知か、猫への愛情か。
 出久根さんも、それを真似て愛犬が死んだときに、「ご会葬には及び申さず」と死亡通知を出したところ、花や悔み状が届いたという。
 読んでいて、思わず吹き出してしまう。

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『白根大凧合戦』は激闘だ。白根は燃える(上)=写真で観戦

 大凧は揚げるものではない。戦う、武器なのだ。80メートルの川幅の中ノ口川を挟み、にらみ合い、ライバル心むき出しで、合戦する。

「時には敵意すら抱くのでは」
 現代ではそこまでも、憎し合うことはないです。

 合戦が終われば、仲良くなります。


 東岸は新発田藩領、西岸は村上藩領だった。

 起源は江戸時代中期に及ぶ。諸説あるようだが、中ノ口川は人工掘削である。用水と上水を主とした、生活の川なのだ。
 完成した時、新発田藩の殿様から凧を頂戴し、それを土手で上げていると、対岸の村上領の農家の畑に落ちて荒らしてしまった。

 怒った村上領の農家が仕返しで、凧を揚げて、今度は西岸の田畑を荒らしたのだ。これが凧合戦の由来だと、一般的に言われている。


 24畳の大凧を上げて、双方が空中戦を行う。巨大な凧はすべて勢いで、舞い上がる。「どけ」「どけ」「どけ」と全力疾走する。


 低空で飛ぶのは東方だ。西軍は高いところから猛禽類のように急降下で、襲いかかる。太い25mmのロープが絡み合う。そして、川面に墜落する。

 ここで勝負は終わらない。第2ラウンドだ。綱引合戦で、相手方の麻ロープを奪い合うのだ。

 一本が約200万円以上もする高価なものだ。4回勝負で、もし4回とも相手方にとられると、800万円の損失となるとる。



  凧の裏側を見ると、巨大です。孟宗竹の骨組みと、和紙と、頑丈なロープとが使われています。


   青春の爆発です。

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「小説は腐らない」の格言通り。「千年杉」のアクセスが上昇中

 日本ペンクラブの広報委員会の第1回会合が6月10日に開かれた。今回も、私は同委員会の委員に指名されたので、それに参加した。(任期は2年間)
 この会合の後、同事務局の井出次長から、ふいに「電子文藝館『小説』に掲載作品された、千年杉のアクセスがすごいね」と前置きし、「穂高さんが自分で毎日何回もアクセスしているんじゃないの」と冷やかされた。
「まさか。掲載後は一度も開いていませんよ」
 同作品が文学賞を受賞してから18年経った今、多くの人に読まれはじめたことで、新鮮な驚きを覚えた。と同時に、この作品は不思議な運命を持っているな、と感じ入った。

 電子文藝館の作品は日本ペンクラブの歴代会長とか、過去からの著名作家の作品、および現役会員においては書籍、商業雑誌などに掲載された作品が採用される。
 同委員会で採用が決定されると、どんな著名な作品でも、同委員2人による常識校正が行われる。

 「千年杉」を担当した、神山さん(詩人)と眞有さん(大学教授)からは、
「校正の途中から内容に引き込まれ、夢中で読んでしまいました」
 と賞賛のコメントが寄せられた。

 私は原稿が手元を離れると、掲載されても、その作品をまず読まない。それはなぜか。作品はなんど読み直しても推敲しても、その都度、誤字・脱字、言い回しのおかしな点が見つかるもの。作品が世に出回った後で、自分の目でミスを発見すると、自身に失望を覚えるからである。
(自分の掲載作品は読まない、という作家もかなりいる)

 2012年に、同ペンクラブ・電子文藝館に「千年杉」が掲載された。2か月くらい経った後、よみうり文化センター小説講座の受講生から、「先生、続きはいつ出るんですか?」と訊かれた。
「えっ、連載じゃないよ」
 調べてみると、後半の3分の1が不掲載だった。もし、そのまま放置されていたならば、光が当たらず、見向きもされなかっただろう。
「掲載後は、作者がすぐチェックしないと困るな」
 大原雄委員長からは叱責を受けた。
 ITの技術的なミスで、すぐに修正された。

「井出さんもあのトラブルを知っているでしょ。あれ以来、私は千年杉を開いていませんよ。そんなに千年杉が読まれているんですか」
「アクセス数が突出して目立っているよ」
 と教えてくれた。

 千年杉は、第42回地上文学賞の受賞作品(平成7年1月発表)で、4人の選者の満場一致で決まった。当時の編集長が、
「選者全員が同一作品を推すなんて、この賞では稀有ですよ。実は、候補作品を選ぶとき、千年杉は選外でした。農事関係を対象とした賞がゆえに」
 この作品は外せない、と強く主張し、候補作に推したのだという。

 そんなことを思い出しながら、私は改めて18年前の作品「千年杉」を読み直してみた。

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第69回・元気に100エッセイ教室=上手い文章は音読で決まる

『良い文章は密度が高い』
 それは詰め過ぎとはまったく違います。むしろ、正反対です。最も良い文章とは、簡素で、平明で、的確です。それには「省略、圧縮、刈り込み」とで成されていくものです。

 推敲の段階で、作者がセンテンスごとに目を光らせ、無駄な文字の刈り込みが行えば、読み手にも負担が少ない文章になります。良いリズムで読み続けられる作品にもなります。

 どうすればよいか。技法としては「庭園の庭師」を真似るとよいのです。

 庭師はまず庭全体を眺めてから、一本ずつ樹の大枝を鋸で切り、形を整え、次は小さな枝葉までも、鋏でていねいに刈り取ります。その上で、最後は松葉一本でも、不ぞろいを見逃さず、指先でミリ単位で摘み取ります。すると、どの樹も形の良い庭木となり、庭全体のなかで調和がとれているのです。

文章の庭師
 この手法で臨むとよいのです。書き上げた作品は、全体の構成から、冗漫な文章はまず剪定するのです。そして、次は圧縮と省略を行う。さらには無駄な一文字でも見逃さず、刈り込む。
 こうすれば、一つひとつの文章には味が出て、全体のなかで、どれもが必要不可欠な用語となります。

『省略、圧縮、刈り込み』
 そのの最大のコツは音読です。
 作品の推敲は、ただ目で追う黙読だけだと、作者の思い込みで、キズや不自然な文章までも見逃してしまいます。

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梅雨入りしたけど、雨は降らず、御岳山・登山=奥多摩

御岳山だ、奥多摩だなんて、甘い考えはダメだぞ。

今年の夏登山は、北アルプス「白馬」だから、低山でも猛特訓で行くぞ。

「なんだ、いきなりケーブルカーか。この中のだれだ、登山計画を立てたのは」


ケーブルカーで山頂駅に着けば、直ぐ寄り道だ。

メダカの水槽をのぞき込んでも、登山知識の足しにはならないだろう。

「何だって、童心に帰ってだと」



この家は茅葺の年代物だな。

誰か、住んでみたいものはいないか。

まだ遁世の心境にならない。そうだろうな。


山菜料理に、川魚料理だ。

食べたいだって、まだ御岳山の山頂にすら、着いていないんだぞ。

 歩け、歩け。

天然記念物の楠だぞ。巨木だぞ。巨樹だぞ。

誰も感心なしか。

後から来る中高年のパーティーに追い抜かれそうだ、と。

ならば、立ち止まって樹を見ることはない。

「どうせ、機を見て、敏捷に動く、お前らじゃないしな」

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PEN仲間2次会、3次会、神田松鯉(講談師)の話題で盛り上がる

 日本ペンクラブの定例総会の後は、吉岡さん(ノンフィクション作家)、ととりさん(歴史作家)、相澤さん(ジャーナリスト)、古川さん(編集者)たち6、7人と東京會舘から流れ、隣のビルの居酒屋に移った。
 同総会のゴタゴタした話題はさらっと流れた。盛り上がったのは5月27日(土)日本橋亭で開催された、神田松鯉さんの講談・江戸時代の人情ものだった。

 日本橋亭に行っていない人たちのために、吉岡さんがストーリーを語った。

 時は江戸時代。元井伊家の貧しい浪人が、大店の座敷に上がり込んで碁を打っていた。浪人が帰った直後、その部屋から50両がこつ然と消えていた。番頭は浪人を疑う。
「あの人にかぎって、そんなことはない。ぜったいに疑ったことを申してはならぬ」
 と主は囲碁仲間を信じ、番頭に釘を刺していた。

 あの座敷には囲碁を打つ旦那と浪人しかいなかった。犯人は浪人に間違いないと、番頭は確信を持った。
 ここは主には内緒で、と番頭が浪人がすむ長屋に出むいた。疑われた浪人は、盗んでいない、しかし身の潔白を証明する手立てなどなかった。
「ならば、50両は明日まで作ろう。もし後日、その50両が出てきて、清廉潔白の身が証明されたならば、亭主とそのほう番頭は手打ちに致すぞ」
「お受け致します」
 番頭は胸を張っていた。

 このやり取りを隣部屋で、浪人の娘が立ち聞きしていた。
「親子の縁切ってください、父上」と申し出る。家と断絶してから、娘は身を吉原に売り、50両の金を用立てた。泣かせる場面である。
 浪人はそれを大店に届けた。

 月日が流れて50両の事件が忘れかけていた。
 江戸中が年の瀬で大掃除をする12月13日に、大店の家でも恒例で隅々まで大掃除が行われた。鴨居の額の裏側から、50両が見つかったのだ。大騒ぎとなった。店の者が浪人探しを行う。年が明けた梅香る湯島天神で、番頭が浪人と出会ったのだ。
「さようか。50両が出てきたか。約束通り、主とそちを手打ちにいたす」と浪人は妥協しない態度を取る。
このさき素浪人は大店に乗り込む。仁侠で、結末に及ぶのだ。

 江戸時代の武家は『個』の人格尊重よりも、『家』が最優先された。「家にとって不都合な状況下になると、親子、親戚縁者との縁切りが行われていた。家と縁を切れば、もはや赤の他人。わが娘が身を売り、金を作っても、「家」には無関係である」
 現代ではとても考えられない発想だ。日本橋亭に行った、吉岡さん、ととりさん、相澤さん、そして私を含めて、大御所・神田松鯉さんの名演を褒め称えた。

「もう一軒行こう」
 誰かれとなく銀座のバーでPENのたまり場『たかはし』にいく。すでに清原康正さんや菊池由紀さんなど6、7人がカウンター飲んで歌っていた。われわれが到着してから15分ほどすると、賞賛していた神田松鯉がふいに現れたのだ。ふたたび 盛り上がった。

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第3回葛飾区大学で、「区民記者養成講座」が開始される

 葛飾区・教育委員会主催の「第3回かつしか区民大学」の葛飾区民記者・養成講座が開催された。2013年度の第1回は5月24日に、区役所に近いウィメンズパル1階で、受講者は11人である。同講座はプレイ事業も含めると、実質4年連続である。


 講座のメインタイトルは【~歩く(取材)、撮る(写真)、書く(記事)~】で、5月から11月まで、計8回にわたって行われる。
 夜間19-21の2時間講座は6回。あとの2回は10-17時の課外(取材)実習である。


 同教育委員会、生涯学習課の佐藤さんから、「穂高健一氏は小説家であり、かつジャーナリストです。『書くこと、撮ること、パソコン指導』の3つにおいてすべてプロフェショナルである。1人の人物が3つを同時に教えられるのは稀有の存在です。

 3つをばらばらに習ってきても、区民記者になれるわけがありません。体系的に、総合的に指導を受けて初めて為せるものです。

 3つが同時に指導できる講師が、この葛飾に在住でした。その縁があったから、都内23区でも、区民記者養成講座ができるのは、ここ葛飾区だけです。

 さらに、過去の卒業生たちは、「かつしかPPクラブ」(浦沢誠会長)を立ち上げ、いま現在、活発な活動をしている。最近では、女子メンバーが「かつしかにこの人あり」で、葛飾区長の単独インタビューを記事にしている、葛飾に多い職人たち、柴又の野口寅次郎氏などを紹介する。
 かれらPPメンバーは先輩として、この講座のサポートをしてもらいます」

  今回参加したのは浦沢会長だった。

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かつしか区民記者が、東京下町・四ツ木の魅力を発掘取材する


「かつしかPPクラブ」は区民記者の集まりである。かつしか区民大学の養成講座を終了した、1期生から3期生で構成されている。

 年1回は日曜日を選び、全員が1日かけて共同取材する。


 2013年は葛飾・四ツ木地区である。

「きょうは人間とのかかわりがある、ポイントを見つけてください。ガイド記事にならないように。後日、個々に取材する、その予備調査だと考えてください」と留意点を述べておいた。

 5月19日(日)は、午前中~午後はやや曇り空だった。「四ツ木・取材ツアー」は、強い直射日光でなく、初夏の花が満開の取材びよりだった。

 公園では日曜日で、親子連れが目立った。

 楽しそうな一家は、よき被写体になる。

「四ツ木ツアー」には、岡島古本屋の主・岡島さんを介し、石戸暉久(いしど てるひさ)さんにお願いした。

 石戸さんは彫金師の職人である。本業の一方で、「木根川史料館運営委員会」のメンバーとして、町案内のボランティア活動を行っている。(写真・中央で、指差す人)

 来月から「かつしかFM」で1時間番組を持つと、自己紹介していた。

 四ツ木地区は、終戦直後から映画館も多く、繁栄してきた町だ。いま7~8割は店を閉じた、シャッター街である。
 そのなかでも、頑張っている店舗もある。


 東京下町・葛飾の特徴は、京成電車の踏切である。最近は高架線になり、その姿は消えていく。

 平和通りには、いまだ堂々と電車の踏切音がひびく。この音こそ、下町の音である。



 店頭に豊富な衣料品がならぶ、がんばる洋品店があった。ここから約300mのところには、衣料品が特に強い、巨大なスーパーマーケットができている。

 それでもがんばれる店には、下町・商売人の根性が感じられる。

 「いつまでも、がんばれよ」
 そんな声援を送りたい。


 右手の道路は、1911(大正元)年に開通した、京成電車が走っていたところだ。

 荒川放水路の完成すると、電車が川を越えるために、鉄橋ができた。そのために線路を移設させた。その線路跡が道路になった、と説明を受けた。

 わずか一軒分を挟んで、2つの道路がある。めずらしい地形となった。なにかと区画整理と言い、合理性が求める世の中にあって、新旧を共存させた、その知恵はとても好いね。

 

 

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高齢者にも応分の会費負担を。総会は波風立たず=日本文藝家協会

 5月14日、日本文藝家協会(篠弘会長)の第67回総会がアルカディア市ヶ谷(私学会館)で、午後3時から開催された。
 同協会は、文学者たちの生活権をまもる職能団体で、会員の平均年齢は66歳である。ここ1年間の新入会員の平均年齢は57歳である。
 会員にはどんなメリットがあるのだろうか。おもなものは著作権の管理運営を委託できる、文藝国民健康保険に加入できる(人間ドックが受けられる)、御殿場の富士霊園の「文学者の墓」(墓碑に、作家名と代表作を刻む)が購入ができる。この霊園は多くの文学ファンに人気がある。

 むろん、ほかにも職能団体としてメリットはある。

 「思想信条の自由を守る」という活動をメインおいた、日本ペンクラブとは体質が異なる。

 日本は高齢化社会である。同協会も多分にその渦のなかにある。総会では若返りを図るために、入会金を5万円から3万円に下げた。他方で、「高齢の会員にも、一部会費の負担をお願いしいた」と執行部が提案し、85歳以上の方の会費の無料が、今年度から半額徴収(1万円)と決まった。とくに、反対意見は出ず、すんなり決まった。
 

 総会に先立って、1年間で亡くなった会員59人のお名前・死亡日が1人ひとり読み上げられた。『人間老いて死ぬ』それは避けられない。安岡正太郎さん、丸谷才一さんの名が出てくると、私は若いころ文体を勉強させてもらったな、藤本義一さんは私が受賞した文学賞の選者だったな、とあれこれ想いが甦る。そして、1分間の黙とうになった。

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書店員が薦める、GWの文芸書=1位が村上春樹、2位が「海は憎まず」

「海が憎まず」が販売されてから、1か月が経ちました。

「電車のなかで、涙を流して読みました。恥ずかしいから、途中でやめました」
「メディアの報道では、3・11は表面的にしかわからなかった。実はすごい事態だった、それを世に知らしめてくれた、素晴らしい取材です」
 そんな評価が連日、著者の下に寄せられています。

「津波で流される屋根の上で、母親がおっぱいをあげている。泣きました」
「津波は人間を平等にし、全部をゼロにしてくれた。この晴男さんの言葉には感動しました」
「警察署長のところは涙で文字がかすんでしまいました」
 これら手紙とか、メールとかは大半が私の面識のある人です。

 面識のない人が書店で、「買って読んでみよう」という気になる本なのか。

 版元は中小出版ですから、営業力が乏しく、大手書店の平積みなどありません。店内の棚に差し込まれている本が目につくのだろうか。 口コミ(電話、てがみ、メール、フェイスブック)が購買動機に結びついているのだろうか。それはほとんど知ることができません。

「良い小説は腐らない」この格言があります。多くの本は目先の人気だけで消えていきます。良書はいつまでも読まれていきます。
 
 目の肥えた書店員が、「海が憎まず」を推薦できる良書として、災害文学として、評価してくれたサイトがありました。(丸善&ジュンク堂ネットストア )、第2位でした。

文芸書が読みたい!書店員が選ぶいま注目の新刊まとめ 2013年GW編
      (左クリックすれば、開けます)

【国内】
1位 村上春樹著『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

2位 穂高健一著『海は憎まず』 

3位 京極夏彦著『遠野物語』

4位 伊東潤著『巨鯨の海』

5位 木皿泉著「昨夜のカレー、明日のパン」

【海外】

1位 カリ-,ロン著『神は死んだ』

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