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「特定秘密保護法」は、闇の公安警察が欲しがる法律 ③ 青木理

 公安警察とは何か。警視庁警備部・公安部が、戦前の特高警察の流れをくみ、それを引き継いでいる。個人の情報を収集し、蓄積し、管理している。その活動はベールに包まれているが、令状なしの違法捜査が日常化している、とも言われている。

 作家やジャーナリストが公安部の情報を入手し、外部で報じれば、「特定機密保護法」で、刑罰10年-5年を課せられる。戦前の治安維持法の刑罰と、ほぼ同じである。そうした法律が国会で審議されている。

治安維持法(大正十四年法律)
第一條 國体ヲ變革シ又ハ私有財產制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス


11月24日、東京・文京シビック小ホールで、『特定秘密保護法に反対する 表現者と市民のシンポジウム』が開催された。3番手として、ジャーナリストの青木理(あおき おさむ・元共同通信社)さんが指名された。
 
 青木さんは冒頭に、秘密保護法に関しては、どうしてもこれだけは言っておきたいことがあります、と述べてから、
「この法律は安倍政権とセットで語られていますが、本当に欲しがっているのは、安倍政権よりも、警察官僚なんです。民主党政権のときも、尖閣諸島のビデオ流出事件から、仙谷由人(せんごく よしと)官房長官が先導した経緯があります」
 内閣情報調査室(通称・ナイチョウ)は大した組織ではない。職員もせいぜい200人程度の規模で、たいした能力もない。ここは基本的に警察官僚の出島なんです。警備・公安警察のトップ、準トップクラスがかならず長に座り、その下には警備・公安警察官あがりの職員が大挙している。
 むろん、それ以外にも外務省、防衛省、公安調査庁などがいますけれど。主は警備・公安警察の出先機関であり、ここが今回の法律の事務局になっているんです。

「公安警察が欲しがる法案。その視点で見ていくと、外交・防衛のためにというけれど、どの官僚よりも、警察官僚が最も使い勝手が良い法律になっているんです」

 他の省庁は秘密を大臣が指定することになっている。警察官僚の頂点は警察庁長官になる。これは警察内部で完結し、外部のチェックがまったく入らない組織です。

 特定機密保護法が内閣情報調査室の手で、立案される過程で、「テロ対策」の項目が忍び込まされた。
「テロ対策という名目がつけば、警察に対する情報がすべて秘密になってもおかしくない」
 青木さんは強調した。

「外交・防衛の重要な問題では、情報の流出は好ましくないと考える人もいる。。機密は多少なりとも必要だろう、と皆はお考えでしょう。それでも、ある程度・機密の範囲が限定されます。しかし、テロ対策となると、警察のありとあらゆるものが秘密になりかねない」
 極端なことを言えば、交番がどこにあるか。それすら全国交番一覧表はテロ対策から公開しない。いま警察が必死に隠していて全容がよく解らないけれど、自動車ナンバー読み取り装置(俗称は「Nシステム」もそうです。(Nシステムは、手配車両の追跡に用いられ、犯罪捜査の重大な手がかりになっているらしい)。これらは完全に特定秘密になるでしょう。

 警視庁公安部の人員配置図とか、公安委員がどこにいて、どこに事務所を置いて活動しているか。まちがなく特定秘密になる。
「つまり、警察がいちばん使い勝手がよくできている法律なんです。外交防衛は建前として掲げているけれど、この法律によって、一番強化されるのは治安なんです。平成の治安維持法。言葉遊びでなく、治安維持法になるんです」 


 青木さんの主張からは、市民生活に暗い影を落とした、戦前の特高警察の再来があり得るだろう、と予測させられる。一世代前は、隣人が隣人を密告して罪に陥れた暗い社会だった。路上やひと前で迂闊なことを言えず、政府・軍部・天皇批判などできない暗黒の日本だった。
 それからまだ68年しか経っていない。歴史のはるか彼方の話ではない。治安維持法が息吹いてきたのだ。

「特定秘密保護法」言論・報道の自由を奪うと、戦争の道 ② 吉岡忍

 市民は国の多くの情報に接する権利がある。政府は透明性をなくしてはいけない。権力が腐敗するように、秘密主義は社会を腐敗させる。むかしもいまも、自由な報道と私たち民衆の血液なのだ。

 政府や官僚は秘密保全の過剰な強迫観念から、みずからの行動を隠し、あいまいにしている。「特定秘密保護法案」は、政府の秘密を膨張させ、市民の知る権利を奪うものである。

 11月24日、東京・文京シビック小ホールで、『特定秘密保護法に反対する 表現者と市民のシンポジウム』が開催された。司会・進行役の篠田博之(『創』編集長)さんが、2番手として、吉岡忍(作家・日本ペンクラブ専務理事)を指名した。


 第一次世界大戦の後、言論表現の自由がなければ、それぞれの国家が勝手なことを言い、互いに憎しみ合って、戦争に及んで行く。こうした歴史的な反省のなかから、作家、詩人の集まりである「国際ペン」(本部・ロンドン)が誕生した。
 日本も昭和10年に島崎藤村を初代会長として「日本ペンクラブ」が下部組織の一つとして発足した。現在は世界中に約150センターがある。

 国際ペンのジョン・ラルストン・サウル会長、副会長、獄中作家委員会・委員長から、日本政府の「特定秘密保護法案」に対して憂慮する、というメッセージをもらった。(会場に配布)。

 吉岡さんは日本ペンクラブが発足した、昭和10年のころの言論統制と弾圧に触れた。
「日本ペンクラブが発足したときには、すでに「治安維持法」は発動されていたし、新聞が戦争の後押しをする体制が出来上がっていた。多くの書き手が執筆禁止となった」
 戦前、戦中の日本ペンクラブや作家は、あまり活動ができなかった苦い経験がある。

 そうした反省に立って活動を続けている。「特定機密保護法」は危険な法律だから、日本国内だけでなく、国際的にも、この法案の危険性を訴えてきた。

 アメリカの外交政策、国際戦略はいまや行き詰っている。アフガン、イラク戦争のとき、アメリカはヨーロッパ諸国を巻き込めた。しかし、シリアの問題でわかるように、ヨーロッパ諸国はもはやアメリカの外交政策に協力しない態度に変わってきた。だから、シリアでは軍事的な対応ができなかった。

 アメリカにとって、いま一番言うことを聞いてくれるのは、おそらく日本だろう。日本は1945年の敗戦以来、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争など、「基地を出せ」、「金を出せ」、「血を流せ」と言ってきたが、日本政府は一度もNOといったことがない。こんなに従順で使いやすい国はないだろう。
 日米軍事関係の連帯を結ぶ、それには秘密保護法が必要だとアメリカから背中を押され、与党は突き進んでいるのだろう。

 こんな背景も含めて、日本ペンクラブは各国の約150のペンセンターに、レターを送った。
「私たちは外圧をかけようとするのではなく、日本国内の危険な事実を伝えるものです。『日本政府がやろうとする、特定秘密保護法案は危険性があり、その反対運動に賛同します』という声明をもらっています」

 アメリカには同じような法律があって、「スパイ法」が戦後すぐにできた。

 1970年代にはベトナム戦争が起きた。ペンタゴンでは秘密裏にいろんな情報を集め、分析し、この戦争の勝ち目のなさとかを解析していた。
 そもそもこの戦争はアメリカ軍がこいに挑発し、ありもしなかったベトナムからの攻撃をあったとして、大々的に世界に発表した。そのうえで、これらを懲らしめるために、ベトナムを攻撃するんだと言い、始まった戦争である。

 ペンタゴン(アメリカ合衆国の国防総省)は、アメリカ軍がでっち上げた事実を調査し、秘密として保持していた。そこの公務員だったエドワード・スノーデン氏が、ベトナム戦争に関する機密文書『ペンタゴン・ペーパーズ』をワシントンポスト紙やニューヨークタイムズに渡し、それが報道された。
 アメリカ国民自体が、とんでもない戦争だ、と知り得た。

 世論が「こんな風にして戦争がはじめられたとは知らなかった。こんな戦争だったら、手を引くべきだ。すぐやめるべきだ。まだ続けるつもりなのか」と、長い間戦ってきたアメリカは国内から批判の手が上がった。国際的にも犯罪だとされた。
 やがて、アメリカのベトナム介入の舵は切られ、アメリカ軍の撤退となっていった。

 暴露したエドワードや新聞記者たちは、スパイ法で逮捕されて裁判を闘った。
「けれども、当時の司法はなかなか健全でした。スパイ法にあたらない、情報を流した側も、受け取った側も、連邦の高裁、最高裁でも無罪を言い渡した。おそらく、日本で「特別秘密保護法案」が成立すれば、おそらく逆転ホームランは起きないだろう。毎日新聞の西山記者のようになるだろう。いま、政府にノーというメディアも少なくなってきた。私は懸念しています」
 吉岡さんは何としても、廃案にするべきだと強調した。

「特定秘密保護法」は市民にとっても危険な法律だ ① 田原総一郎

 権力者は秘密を持ちたがる。国民に不都合なことは知らさないで隠したがる。これら権力の秘密を暴くのがジャーナリズムである。
 国会で審議されている「特定秘密保護法」は、言論・報道にかかわる者を抑え込み、裏からあの手この手で情報収集や取材活動すれば、処罰しようとするものである。

 11月24日、東京・文京シビック小ホールで、『特定秘密保護法に反対する 表現者と市民のシンポジウム』が開催された。主催は月刊『創』、後援は日本ペンクラブ他。司会・進行役は篠田博之(『創』編集長)さんである。会場は約350名の定員だが、45分前から整理券が発行されるほど、市民の関心度が高かった。


 
 第一部のパネルディスカッションで発言された主だった方の主張を紹介していきたい。篠田さんが最初に指名したのが、田原総一郎(キャスター)さんだ。
 田原さんは、危険な法律だ、と前置してから、
「重要な日本の将来を左右する法律なのに、国会審議が早すぎる。たった2週間しかない。なんで、こんなに審議が早いのか」
 自民党は国民が気づかないうちに法律を通そう、と考えている。審議するほど、反対運動が高くなるからだ。
「次に、秘密の定義がない。行政機関の長が、『これが秘密だ』と言えば、秘密になる。この頃の内閣はころころ変わる。大臣は1年か、2年くらいしかもたない。結局は、官僚が恣意(しい)的な考えで、どんどん秘密ができる。官僚は秘密が大好きなんですよ」

 諸外国にも秘密保護法があるが、それぞれ監視機関をもっている。米国すらも大統領直轄の監視機関で三重にチェックが行われている。日本ではそのチェック機関が設けられない。こんなバカげた国はない。

 国会審議では記録を取らない。昔は記録(紙)をとっても置く場所がないから、記録を取らなかったことがある。いまはIT時代だから、デジタル記録として残せる。なぜ審議を記録として残さないのか。
「国民は知る権利がある。最高でも30年で公開するべきである。それが60年だと言っている」
 まして、記録を取らないと公開などできない。

「新聞は特定保護法案に対して、熱心でない。社説でちょこっと書いているだけだ。言論の自由・報道の自由に反する法律だから、反対だとか、政府と強くやり取りするべきだ。それがない」
 田原さんは新聞各社の姿勢にも批判の目を向けた。

 報道の自由は認めると言っているが、悪質で違法な取材に対しては懲役10年、少なくとも、懲役5年だという。
「ジャーナリストならば、通常やっている取材は全部悪質なんですよ」
 田原さんはそう強調してから、
「記者たちはたとえば大臣や官僚の幹部に、あなたの名前は出さないから、とオフレコを前提に情報を取る。財務省はこう言っているとか、外務省はこう言っているとかで報じる。これは共謀ですよ。共謀は5年です」

 田原さんはTV座談会などで総理や大臣に対して、矛盾があると、それを突く。相手は弁解する。
「弁解など聞きたくないよ、国民の前に、真実、本当のことをしゃべるべきだ、と迫る。これは脅迫ですよ。そうなると懲役10年の刑になる」

 かつて西山事件があった。毎日新聞の西山記者が外務省の女性と仲良くなって、沖縄返還の情報を取り、それを報じたのだ。貴重な情報を世間に知らせたのに、裁判では女性秘書官と情を通じたとして有罪になった。
「ものすごく重要な情報で、日本政府が沖縄返還で、アメリカに金を払った。つまり、日本はアメリカからお金で沖縄を買った。外務省はずっと否定し続けた。それを暴いた」
 ふつうは新聞記者は各省庁の秘書官と仲良くなり、飯を食べに行く。局長、事務次官、大臣とかに接する前に、秘書官から大体の情報を聞いてから、上層部に会う。これら「情を通じる」と有罪になる
 
「政府というものは隠すものなんですよ」
 田原さんはそう強調して同法案に対して強く反対した。

【一幕二場】庭に一本のなつめの金ちゃん=出久根達郎の初戯曲

 直木賞作家の出久根達郎さんが手がけた、初の戯曲が熊本と東京で公演される。一幕二場のタイトル「庭に一本(ひともと)のなつめの金ちゃん」である。

 熊本は夏目漱石ゆかりの地である。明治の激動期を舞台にしている。熊本と東京の古書店を舞台に、夏目漱石と夢想家が交錯する恋あり、革命家あり、演歌ありの大スペクタクルです。

 会場は2か所。
 11月26日、熊本市民会館・崇城大学ホールで午後4時から、出久根達郎さんX小野友道さんの対談「本の楽しさ」、同6時からは「」が上演される。
 東京公演は12月7日(土)昼の部は午後2時。夜の部は午後6時である。(入場料はいずれも3000円)。

制作上演委員会・副島隆さん他、多数の演劇人。

出久根達郎さん: 1944年茨城県生まれ。92年『本のお口よごしですが』で講談社エッセイ賞を、93年『佃島ふたり書房』で直木賞を受賞。近著として『七つの顔の漱石』など著書は多数あります。

小野友道さん:熊大五高記念館友の会代表世話人


【あらすじ:庭に一本なつめの金ちゃん Official Site より】

 熊本の五高教授夏目金之助(漱石)がひいきにする古書店の庭には、「小春」という柿の木がある。主人はマゲを結った異風者(いひゅうもん)。そこの座敷で夏目先生が前田卓(つな)(『草枕』の怪美人那美のモデル)と密会しているといううわさ。そこに鏡子夫人が訪ねて来る…。

 十年がたち、舞台は新宿。熊本の古書店で修行していた若者が主人の娘と上京し、古書店を営んでおり、庭にナツメの木を植えている。そこは中国革命家たちの連絡場所となっており、宮崎滔天や孫文なども出入りする。

「水師営の会見」の唱歌や世相を風刺する俗謡も。「旅順開城約成りて 敵の将軍ステッセル……庭に一本(ひともと)棗(なつめ)の木…」。
 舞台の題名は漱石を敬愛する作者苦心の語呂合わせである。

 関連情報

チケットの予約、問い合わせ先
 
庭に一本(ひともと)のなつめの金ちゃん
制作上演委員会事務局

電話096-366-1515

 

【推薦図書・歴史小説】 山名美和子著『甲斐姫物語』

 女流歴史作家の山名美和子さんが『甲斐姫物語』(鳳書院・1600+税)が10月2日に発売された。主人公は、忍城(おしじょう・現行田市)の美貌とうたわれた甲斐(かい)姫である。
 戦国動乱の世に、石田光成の忍城攻めは天正18年(1590年)6月5日に行われた。秀吉の小田原攻めと平行した戦いだった。

 この戦いが後世にまで伝わる、日本史でも珍しい戦闘とされている。

 秀吉の腹心の石田光成が2万3千余騎で襲いかかる。城主不在で、籠城する甲斐姫が、秀吉軍勢に城下を奪われてなるものか、と死闘で忍城を守っきった。民百姓、子供を入れても、2600人であった 光成は難渋を極めたが、結果として、城の姫たちに勝てなかったのだ。
 女性作家ならではの視点で描いた戦国物語である。

 忍城は関東七城のひとつに数えられる名城であった。城の周囲は沼地・低湿地で囲まれている。大軍を持ってしても容易に近づくことすらできない。三成の軍勢を攻めあぐんだのだ。
 
「本文より一部抜粋してみると」

 翌未明、石田三成らの大軍勢が攻撃を開始した。敵兵たちの泥沼との格闘は昨日と変わらない。
 忍の守備兵が頓狂な声をあげた。
「なんじゃ、あいつら」
「笑わせるわ、知恵を絞ったつもりじゃろう」
 どっと笑い崩れる。
「昨日も今日も、よう笑わせてくれるわ。筏(いかだ)とはな」
 敵兵は縄で丸太を組んで寄せてくるではないか。
「木材の川おろしじゃあるまいし」
「沼田に棹(さお)を差してもすすまねぇべよ」
 籠城に加わった樵(きこり)たちは腹を抱えておかしがる。
 しかし、油断はならなかった。すでに城への通路は四方八方が敵軍に埋めつくされている。


関連情報

著者:山名美和子(やまな みわこ) 早稲田大学文学部卒業 公立学校教員を経て作家になる。
   第19回歴史文学賞入賞 日本ペンクラブ会報委員会委員、日本文藝家協会会員
   著作「ういろう物語」「梅花二輪」「戦国姫物語」ほか、多数

出版社 鳳書院
     千代田区三崎町2-8-12
     03-3264-3168

甲斐姫物語

記念講演のタイトルは、「脳を創り、脳を耕す」=日立目白クラブに於いて

「元気に百歳クラブ」(中西成美会長)の秋の例会が、10月10日(木)午後12時から、東京・新宿区の日立目白クラブで開催された。創立記念日と兼ねた、クラブ誌「元気に百歳」(夢工房・A5判278頁 定価1,200円+税)の出版記念を行う。今年は14回記念で、会約70人が参加した。

 記念公演は第1回から外部の著名人を招いている。中西会長から、「会員からも講演をお願いしたい」と私に依頼があった。私は同クラブのエッセイ教室の講師を7年余り受け持っている。

 中西会長との事前の打ち合わせで、「年齢を超えた、柔軟な、若々しい脳を如何につくるか」という内容のすり合わせがあった。「元気に百歳」は、身体も心も脳も活発で、元気で100歳まで生きてこそ値打ちがある、それがモットーである。寝たきりや、植物人間で100歳まで生きるのでなく、元気にが強調されている。そこで、演目は『脳を創り、脳を耕す』(プロ作家がその秘訣を語る)に決まった。

 会場の「日立目白クラブ」は旧宮内省が1928(昭和3)年に学習院高等科の生徒寄宿舎として、建設した。52年に日立製作所が譲り受け、社員の結婚式場などに使っている。建物は白亜の外観である。内部は重厚な作りで、白い壁と縦長のアーチ窓が特徴である。東京都の都選定歴史的建造物である。

『脳を創り、脳を耕す』は固いタイトルだ。笑いを取ってからテーマに入る。スピーチ技法は無視し、いきなり核心から入りことに決めた。
「私は脳の生理学者でもないし、脳細胞の関連知識はなどない」
 と前置きしてから、一般に、加齢とともに、物事にたいして柔軟な対応が弱くなり、従来からの考え方に拘泥し、進歩的なものに批判的になり、保守的になります。頭は固く、頑固で、融通が利かないのが常です。

 作家は一般に年老いても頭が柔らかく、ボケが最も少ない職業だと言われています。(病的なものは除く)。作家は好奇心が強く、物事の本質を突き止めるために、疑ってみるからです。

 事例として殺人事件を出した。

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世界最大のノコギリ楽器の美しい旋律に、聴衆は酔う=東京・西新井

 のこぎりキング下田(本名・下田尚保)さんは世界最大のノコギリ楽器をつかった、卓越した演奏家である。10月6日(日)、東京・西新井文化ホールで、第8回「のこぎり音楽チャリティー・コンサート」を開催した。親しみのある21曲で、約700人の聴衆を魅了した。

 スペシャル・ゲストは楠堂浩己とFinest Jazz Menで、最初の曲「ザッツ・ア・プレンティ」を奏でながら、会場を華やかに盛り上げた。司会はTVアナウンサーの堀江慶子さんで、明るい口調で、のこぎりキング下田さんを舞台に招き入れた。

 日本の代表的な童謡・歌曲「月の沙漠」、「里の秋」などで、すぐさま聴衆の心をしっかりつかむ。 さらには明治40年に誕生した、「更けゆく秋の夜~」 で始まる「旅愁」へとつづく。
 ノコギリは大小4種で、曲によって使い分けられる。その一つはノコギリの先端・取っ手に鹿の角が使われていた。

 司会の堀江さんから、各曲目の紹介が入る。「千の風になって」では、USAで話題となった詩『Do not stand at my grave and weep』を2001年に、新井満さんが日本語に訳し、自ら曲を付け、 秋川雅史さんが歌って大ヒットした、と語る。

 聴衆の一人・豊島区の滝口さん(57歳・女性)は、「千の風になっては、ノコギリ楽器にとても似合った曲ですね。心に響きました」と、第1部の終了後に、感想を述べてくれた。


 のこぎりキング下田さんは、東京都公認ヘブンアーティストで、国内の演奏活動は幅広い。豪華客船「にっぽん丸」「ぱしふぃっくびいなす」のクルーズの演奏、浅草東洋館で隔月レギュラー出演している。さらにフランス・パリなど海外公演の実績を持つ国際派アーティストである。

 下田さんの曲の合間に、ヴォーカリストの絵馬優子さんが特別出演し、美声を会場に響かせた。

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台風18号 初の特別警報の滋賀県へ=一人の彦根藩士を求めて

 9月初めに、彦根へと出向くことに決めた。彦根城は、姫路城、松山城、松本城とともに国宝指定された、4城の一つ。訪問の目的は名城見学ではなかった。1866(慶応2)年の第二次長州征討の、芸州口の戦いで、最初の犠牲者となったのが、彦根藩の竹原七郎平だった。どんな人物だろうか。

 それを調べたくて彦根に出向いたのだ。

 9月15日は台風18号が中部地方を直撃した。前泊は名古屋だった。気象庁は滋賀、京都、福井の3府県に大雨に関する初の「特別警報」を発表していた。ホテルから見る景色は大荒れだった
 翌16日朝も、なお強い風雨だった。新幹線は乱れ、名古屋駅の改札口は入場制限である。在来線の各駅停車も不通で、駅員には開通の見通しなどなかった。
(ここで、あわてても仕方ないな)
 私はすぐに割り切れる性格だ。駅構内の一角で、パソコンを開き、ネットで幕末・彦根藩をよりくわしく調べてみる。

 同藩は井伊直弼が最も名だる人物だ。桜田門の変で暗殺された、その関連情報が多い。

 勝海舟が『幕末期の300近い諸藩で、家老らしい家老といえば、井伊家の岡本黄石(おかもとこうせき)と、芸州藩・辻将曹(つじ しょうそう)くらいで、あとは足軽連中に操られた無能者ばかりだった』と語っている。その認識はあったので。

 辻将曹は大政奉還を為した人物だ。彦根藩の岡本黄石にも興味を持ってみた。井伊直弼と対立していた。直弼が暗殺された後、岡本は藩政を握った。第二次長州征伐に積極的に出陣したけれど、被害が甚大で、彦根藩に大損害を与えている。このとき、竹原七郎平が最初の戦死者だった。

 名古屋駅から大垣まで電車が動きはじめた。とりあえず乗ってみた。
 車窓から見ると、一級河川は増水し、河川敷の公園の遊楽施設も沈んでいた。樹木なども水に浮かぶ光景になっていた。川の名前は確認できなかったが、中級河川の一か所が決壊し、田畑は水没していた。水害を見たのは初めてだった。

 大垣駅に着くと、6時台の始発列車「姫路行」の電光掲示板に表示されていた。11時過ぎに始発とはそう体験できるものではないし、なにかしら愉快な気分になった。ただ、大垣駅から先となると、電車はほとんど進まず、一時間に2、3駅程度だった。

 この頃、京都の嵐山付近は大洪水だった。

 午後2時になっても、3時になっても、列車は関ケ原付近の駅から動かない。挙句の果てには、米原駅から先の東海道線はがけ崩れで不通になった。もはや夕方4時過ぎだから、彦根城はもう閉門だろう。この日の訪問はあきらめた。

 米原駅タクシー乗り場には、タクシーは一台も見当たらなかった。待つ客人もいない。
(いつか来るだろう)
 私は気長に本を読みながら待っていると、後方にはずいぶん長い行列ができてしまった。やってきたタクシーは駅で客を降ろすと、予約があるのか、いずれも立ち去って行く。乗れる保証もないのにな……、私にはなにかしら後方に順番を作らせてしまて、皆に悪いな、という思いがあった。

 40分ほど待つと、タクシーが乗り場にやって来た。で、彦根に向かってもらった。
「特別警報が出ると、タクシーも営業できないんですよ。お客さんを乗せて事故ると、タクシー会社の責任になりますから」
 その警報は今回初めて気象庁が発令したものだ。稼ぎ時のタクシーも、午前中は営業できなかったとぼやいていた。多弁な運転手は、

「琵琶湖は大荒れですよ。こういう時は、ウィンドサーフィンの死亡事故が多いんです。海ならば塩水で浮上するけど、琵琶湖は淡水だから。一度沈んだら、そのままになるんです」
 湖底の地形などを語ってくれた。こうした知識は、何かの折に参考になるだろう。

 翌朝は快晴だった。彦根城博物館に出向いた。学芸員から竹原七郎平を聞くが、彦根でもあまり知られていなかった。

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第8回歴史散策=文学仲間たちと両国界隈(かいわい)へ

「今回は遅刻しなかったわね。穂高さんは」と山名さん(歴史小説作家)さんにいきなり、言われた。もし遅れたら、置いていくつもりだったのよ、と彼女はつけ加えていた。小、中、高校の教員歴があるだけに、時間の躾(しつけ)? には厳しい。
 この年齢にして、もはや遅刻魔の私の修正は治らないだろうな。

 8月7日12時半に、浅草橋に集合だった。改札口には文学仲間の全員がそろっていた。むろん、私の到着がビリである。
 
 「歴史散策」は8回目となった。山名さんのほかに、井出さん(日本ペンクラブ事務局次長)、吉澤さん(同事務局長)、新津さん(ミステリー作家)、相澤さん(作家)、清原さん(文芸評論家)、そして私を含めた7人である。

 外気温は連日の35度前後である。
 真昼間の長時間の街歩きとなると、話題はとかく熱中症対策になりがちだ。「暑い、暑い」と言ったところで、涼しくなるわけがない。水分補給は必要だが、飲むほどに汗が流れ出てくる。日陰は少ないし、街角の自販機をつい横目で見てしまう。

 柳橋は、時代小説には欠かせない場所だ。粋な姐さんの柳橋芸者が現れる。過去に読んだ、池波正太郎、海音寺潮五郎、山本周五郎など多々の作品が断片的に思い浮かぶ。その情感を味わってみる。
 小説では、夕暮れの情感を誘う小料理屋の描写も多い。それらしき割烹、小料理屋の店頭をのぞく。いずれも料理の値段は高そうだな、と現実に戻ってしまう。

 神田川と隅田川の合流点には、複数の屋形船が浮かぶ。屋形船の櫓の音がぎー、ぎーと川面に流れる、こんな夏の夕涼みの情緒は、江戸時代の小説に数多く描写されている。
 平成23年の真夏の昼間となると、どの船上にも船頭の姿はなく、ただ係留しているだけだった。

「薬研掘り」。響きがとても良い。
 吉沢さんと新津さんが名物の唐辛子を買う。店頭の女将さんがていねいに量り売りをしていた。「七味」と「一味」と、どう味が違うのだろうか。
 鍋料理とか、うどんとかに振りかける、という認識ていどの認識だ。味覚として、唐辛子の味にこだわったことがない。唐辛子の風味まで感じ取れないと、本ものの食通とは言えないのだろう。

 両国散策コースは、わりに社寺仏閣が少ない。両国橋にさしかかる。東京スカイツリーが、隅田川の対岸に屹立する。ここらがいまや東京の名所になっている。
 眼下の川面には観光の水上バスが行きかう。タグボートがヘドロを積んだ台船を弾く。橋を渡り終えると、話題は「両国国技館」になった。

 幼いころ遊びが限られていた世代だ。そのころは学校の砂場で相撲をとる。夕刻には、ラジオの大相撲にじっと耳を傾けていた。それぞれが想い出の一コマとして相撲人気時代のエピソードを語る。決まって栃錦、千代の富士など往年の名力士の名まえが出てくる。

 勝海舟の出生の碑とか、芥川龍之介の文学碑とかがある。芥川は両国高校から東大に進んでいる。生れもこの近くだろう。
 忠臣蔵で名高い、吉良邸があった。邸内には、「吉良の首洗いの井戸」と表記がなされていた。
「この井戸怖い」と新津さんがそれでも覗き込んでいた。ミステリー作家らしい好奇心だ。

 回向院に入った。歴史小説家・山名さんが説明してくれる。1657(明暦3)年に開かれた浄土宗の寺院。「振袖火事」の名で知られる明暦の大火災では、江戸市街地の6割以上が焼土となった。10万人以上の尊い人命が奪われたという。
 ネズミ小僧次郎吉の墓がある。黒装束姿のネズミ小僧は闇夜に大名屋敷から千両箱を盗み、貧しい長屋に小判をそっと置いて立ち去ったと語られている。

 江戸が東京となった現在でも、義賊のネズミ小僧はヒーローである。境内のネズミ小僧の墓石を削り、「お守り」に持つとご利益があるようだ。受験生が「合格祈願」で墓石を削り、受験会場に持ち込む、という。

 吉澤さんが、墓前に用意された小刀(?)で、墓石を削り、有難がっていた。どんなご利益を期待しているのだろうか。聞くだけ野暮だ。

 大相撲博物館の前は素通りし、「江戸東京博物館」に入った。歴史が得意のメンバーだから、みな何度か足を運んでいる。いまはひたすら暑さから、逃げ込んだ感じだった。

 館内ではたっぷり2時間ある。(飲み屋が開店となる5時から逆算して)。特別展、常設展はじっくり見ることができた。
 常設展の撮影はOKだが、フラッシュは禁止。復元された町並みの模型は見るほどに楽しい。気持ちが入り込み、時代小説作家の、藤沢修平、伊藤桂一などが描いた、江戸の情景の場面と重ね合わせる。

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特定秘密保護法はほんとうに必要なの? 

 阿部政権がいま推し進める「特定秘密保護法」は、運用によっては暗い日本に逆戻りする、と危惧する。このさき将来を見据えると、肌寒い思いだ。


 ときの権力者はつねに体制の維持に努める。一方で、体制を変えようとする、いろいろな考えや動きが底流で起きてくる。
 体制を維持しようとする側は、さまざまな法律や規制をつくり、現状をかたくなに守ろうとする。その法律を作る人(国会)と、運用する人は当然ながら違う。

 法をつくる目的と、運用する段階の人も違えば、認識も違ってくる。だから、法の解釈は政府の都合よい方向に変わったりする。政府ばかりか、個人の運用がとてつもない方向に進むことがある。


 まず「個人情報保護法」を考えてみたい。メディアが興味半分で政治家たちの私生活を暴露していた。ときには報道の自由を根拠として。政治家たちは頭にきていた。暴露メディアを規制する目的だった。
 政治家が自分たちのためにつくった法律だったから、罰則などない。

 それがいまや個人生活レベルまで下りてきて、学校の同級生名簿、会員名簿作成までも、掲載者の承諾なしで作れば、罪だと思っている人がいる。個人情報保護を口にする人がやたら多い。
 身近な所でも、このように拡大解釈がなされているのだ。

 いま検討されている「特定秘密保護法」は、最高10年の懲役刑だという。

 国家公務員が身内にいる人たちは、逮捕状を持った官憲がいつわが家に押し掛けてこないか、と妙にビクビクする、落ち着かない世のなかになるだろう。
 それはなぜか。情報の漏えいは当人の意識だけでなく、無意識でも起こり得るからだ。

 悪意ある人物(ハッカー)が、公務員のパソコンに侵入し、国の情報を持ち出せばどうなるのか。当然ながら、担当する公務員らにはみずから外部に情報提供をなした、と嫌疑がかけられるはずだ。

 犯罪者扱いされた公務員が、
「身に覚えがありません。そんなことはやっていません」
 と口で弁明しても、
「外部に流れた、証拠は挙がっているんだ」
 と簡単には覆(くつが)えせず、言い訳だと信じてもらえないだろう。
「無実を証明」するのは逆に難しい。

 パソコンによる、えん罪はいつでも起こり得る。
 ここをしっかり押さえておかないと、「特定秘密保護法」が戦前の治安維持法なみに名だる悪法になる可能性がある。

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