飛騨林業の実態は学者もつかめず=徳川幕府の機密主義(上)
徳川幕府直轄の飛騨は神秘的だ。文献を調べても、徳川家がいかに飛騨国を支配していたのか、具体的なものが見えてこない。
飛騨の産業は林業(木曽ヒノキ)、鉱山(神岡鉱山)、農業だ。18世紀に、主力産業の林業のもめ事から、日本最大級の大原騒動(農民一揆)が起こり、悲惨な状況が18年間も続いた。この実態も、あまり知られていない。
杣(そま)たちが、「元切休山」に反対して、そこから飛騨高山陣屋のトップ大原郡代の圧政がからんだことが原因だという。用語一つひとつが解らない。
杣とはきこりか。「元切?」「休山?」とはなにか。
飛騨林業に取り組んでいる私が苦労している。それをこのHPで知った大和田幸男さん(岩手・陸前高田)から、学生時代の林業学の恩師が紹介された。
大和田さんは3.11東日本大震災で、陸前高田の海辺の製材所が流された被災者だ。「鉛筆一本持ちだせなかった」という。小説「海は憎まず」に取材協力してくださった。現在は知識を生かして材木販売業を営まれている。林業・製材・建築材などプロであり、木曽ヒノキなどは詳しい。
大和田さんが紹介してくれた恩師は、東京都内の大学で林業学を教えていた塩澤南海治・元教授だ。リタイアした後、故郷の長野県・伊那に帰られている。塩澤さんと連絡を取り、4月17日に訪ねることが決まった。
前泊なら、伊那の望岳荘(ぼうがくそう)が良いですよ、と勧められた。同宿泊所は天竜川の河岸段丘の上部にあった。
小学校が廃校になり、モダンな民宿に生まれ変わっていた。校庭の桜は、児童たちが見ただろう、ソメイヨシノの花弁の大半が散る。そして、濃い紅色の八重桜に代わっていた。
同宿には、『ハチ博物館』があった。世界一の「ハチの巣」が展示されている、と聞いていた。さして期待していなかったが、いつもの好奇心で、「とりあえず見学しておくか」と軽い気持ちで覗いてみた。
世界最巨のハチの巣にはおどろかされた。同館の資料によると、直径2m25㎝、高さ2m70cm、胴回り6m60cmだった。
「 自然界では、女王蜂同士がいっしょに一つの巣を作らない。ハチ研究家・富永朝和さんの長年の研究成果から、2年間で女王蜂114匹と50万匹の通い蜂による、共同作業で完成したもの」
と明記されていた。
ハチをつかった芸術品が数々ある。ハチの巣で長野冬季オリンピック「聖火ランナー」を等身大で作らせている。人間の英知がここまで及ぶか、と見あきなかった。
塩澤さんが伊那の望岳荘まで迎えに来てくれた。「実は、飛騨の林業はよく解らないですよ。いらっしゃる前に、信州大学の林業学の元教授にも訊いてみました。かれも江戸時代の飛騨林業はまったく解らない、というんです」
林業学者が解らない。徳川幕府の施策はシークレット(機密主義)で、現代でも解明できないのか。
前16日、愛知県・愛西市の近代史の石田学芸員さんを訪ねた折り、
「岐阜県史の編纂を手伝ったことがあるんですが、幕府領になってからの飛騨は資料がないですね。高山陣屋関係の古文書が出れば、文化財ものだと言われています」
と難しい取材だと教えてくれた。
塩澤さんの話とからめて、天竜川の向こうは飛騨国なのに、現代でも徳川支配が解明できないのか、途轍(とてつ)もないところに首を突っ込んでいるな、と思った。
【つづく】
