日本政府は沖縄に関して、実に危険なことをしている。もし、ジャンヌ・ダルクが沖縄に現れたら、日本政府の誰がどのように責任をとるのか。
沖縄県民が民主主義のルールで選んだ地元政治家に耳を貸さない。無視する。威圧する。それは過去から日本が沖縄にやってきた傲慢な政治的態度と類似している。
かれらが独立に目覚めて、沖縄という表現から琉球ということばに置き換えたら、どうなるのか。激しい独立運動が起きるのではないか。
1429年から1879年の450年間は、沖縄本島の琉球王国が存在した。この450年は重要な歴史的な事実だ。約600年のうち500年は琉球國なのだ。
1853年(嘉永6年)5月は黒船が来航した。アメリカ海軍のペリー提督は、琉球を独立国と見なし、首里城に入って開港をもとめた。
翌1854年には、琉米修好条約を締結した。まさに、日米修好条約とまったく同一なのだ。アメリカは琉球王国を独立国として認めていた。これも歴史的な事実だ。
琉球王国は、1609年に薩摩藩の侵攻を受けて支配下に入ったふりをしていたが、独立国家として消滅したわけではない。首里城が歴然と存在していたのだ。
かれらは中国大陸、南方の国々と三国間貿易で、独自の国家と文化を築き上げていた。
1871年、明治政府は廃藩置県で、琉球王国の領土を鹿児島県の管轄しようとした。しかし、琉球は従わなかった。
1879年3月、明治政府は約600人の軍隊と警察を従え、武力的威圧のもとで沖縄県の設置を行った。これがいまの沖縄県の根拠になっている。
第2次世界大戦後、明治政府が作った沖縄県は消滅した。1952年(昭和27年)から1972年(昭和47年)まで、琉球政府が存在して、独立した行政を行ってきた。わずかに約40年前なのだ。
450年間にわたる琉球王朝の支配は、そう根本から日本に同化しない。文字を持たなかったアイヌ民族とはちがう。歴然とした国家と文化と言語を持っていたのだ。
日本政府が過去の薩摩藩、明治政府ように、おごり高ぶり、服従支配の態度で支配しようとすれば、単に反発ではすまなくなる。高飛車に出れば出るほど、琉球王国の独立運動につながってくる可能性がある。
東南アジア、中国の経済発展はめざましい。琉球はしだいに観光立国として、自主独立できる環境が整いつつある。
奄美諸島に目をむければ、琉球王朝の支配下にあった時が長い。米軍統治下でも、琉球政府の支配だった。
沖縄ジャンヌ・ダルクが現れて、独立を叫びはじめたら、九州と奄美諸島との間で国境をどうするのか、という複雑な問題に及ぶ。とてつもない争いに及ぶ恐れがある。
現代は、時々刻々とTVでものごとが伝わる。
日本政府の官房長官の表情や発言ぶりなど、まるで民族独立運動を呼び起こすような態度だ。薩摩藩、明治政府の真似事は止めた方が良い。
一介の政治家の発言や傲慢な態度が、国家の大きな危機にまで及ぶ。それは古今東西の歴史が教えることだ。
政治家はもっと歴史から学ぶべきだ。たとえば、長州藩の下参謀だった世良修蔵(せら しゅうぞう)が、まるで支配者の顔して仙台で傲慢(ごうまん)な態度をとり、それが端を発して、暗殺され、奥州32藩の結束から、戊辰戦争に突入した。とんでもない犠牲者が出た。まだ150年前の生々しい事実だ。
政治家ならば、ここらも熟慮し、謙虚にしてもっと懇切丁寧な態度をとるべきだ。沖縄ジャンヌ・ダルクが現れてからでは手遅れで、日本の悲劇におよぶ。世良修蔵のような、個人の汚名だけではすまないだろう。
写真提供 : 滝アヤ